天正20年(1592)3月26日は秀吉が肥前名護屋城へ向けて京都を出発した日。名護屋城は朝鮮出兵のための拠点として築かれた城で当時の大坂城に次ぐ規模だった。諸大名の陣屋も築かれ20万人を超える人たちが集まったとか。この頃の日本の政治の中心は九州の肥前国だったということでしょうね。
慶長3年(1598)11月8日は毛利輝元が筑前博多で石田三成や地元豪商を招いて茶会を開いた日。8月に秀吉が死去するが秘匿されたまま朝鮮遠征軍の引き上げが決定。この遠征軍引き上げ処置にあたり五大老の輝元、実務を執る三成、神谷宗湛や島井宗室ら博多商人が円滑に進めるために催された茶会。