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なぜ秀吉は朝鮮に出兵したのか。2冊目③朝鮮出兵の理由とその他もろもろの論点。

力尽きた前項の続き

本稿は、「なぜ秀吉は朝鮮に出兵したのか」シリーズの2冊目『太閤検地』①と②の続きである。今回の③をもって最後としたい。

前回の記事はこちら⇩

この記事を初めて目にする人のために、本稿で取り上げる本の書誌。

中野等,2019,『太閤検地――秀吉が目指した国のかたち』中央公論新社(中公新書).

これまで「太閤検地」の概要と「太閤検地」と朝鮮出兵の結びつきをまとめてきた。

最後となる本稿では,本シリーズの目的である秀吉の朝鮮出兵理由とそのほかの面白かった論点をまとめ終わりとしたい。

秀吉の朝鮮出兵理由

 最後に、本書では秀吉の朝鮮出兵の理由についても言及されているので、この点をまとめていこう。ただし、筆者は文禄の役と慶長の役を分けて論じているので、本稿でもそれを習い、朝鮮出兵ではなく、文禄の役と慶長の役をわけていく。

〇文禄の役

 まず、文禄の役についてだが、本書は、その理由を、「多分になし崩し的に始まった」と表現している。

 その理由は秀吉が出兵を決めるまでの過程にある。

① 秀吉の「唐入り」は朝鮮王朝の服属を前提に開始された。秀吉は朝鮮に明までの先導を務めるように要求する。これを「征明嚮導(せいみんきょうどう)」という。
② しかし、朝鮮がこれを受け入れるはずもなく、かえって守りを固めた。
③ これに対し、小西行長は征明のための道を開くべく、釜山を攻撃した。

このように文禄の役の目的はあくまで「征明」であり、朝鮮の支配を目的にしたものではない。加えて、この①~③の過程のうち、とくに②の段階からわかるように、当初から予定になかった朝鮮出兵をせざるを得ない状況になったことがわかる。以上のことから筆者は文禄の役を「なし崩し的に始まった」と表現しているのである。

〇慶長の役

 では、一方の慶長の役はどうだろうか。筆者は、「征明」を目的としていた文禄の役とは異なり、慶長の役は当初から朝鮮半島、特に南部の奪取を目的としたものであったと指摘している(中野 2019: 236)。

 秀吉は出兵に当たり次のように述べている。

赤国(朝鮮半島全羅道—引用者注)残らず、悉く一篇に成敗申し付け、青国(朝鮮半島忠清道—引用者注)其の外の儀は、成るべき程相動くべき事

 現代語訳すれば、「朝鮮半島全羅道を残ることなく、すべて制圧せよ。朝鮮半島忠清道やそのほかの地域については、成り行きに合わせて動け。」とでもなるのだろうか。

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秀吉が目標とした全羅道は,朝鮮半島の南西部に当たる。慶長の役は、この全羅道を奪取することを目的としたものであった。

以上,本書を参考にすれば,秀吉の朝鮮出兵の目的は文禄の役と慶長の役とで異なることが分かった。文禄の役が,朝鮮の服属を前提に「征明」を企てるも,その前提が崩れたためになし崩し的に突入したこと,慶長の役は文禄の役で手に入れた朝鮮の一部を支配し,大名への知行やメンツを保つためのものであったことが明らかになった。

その他気になる論点

んー。あまりないかなと言う感じだったので,再読した際に見つかれば,追記していく。


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