鷗外さんの小倉日記㉜平壌陥落と碧蹄館
(九月)
十三日。馬關に在る村田豊作の書、勝田少将の馬より墜ち頭を傷くるを告ぐ。即時陸軍省に電報す。
十四日。馬關に徃いて勝田少将の病を問ふ。 長養軒に午餐して還る。碼頭に近き西洋料理店なり。是日監督中谷皓の子某を堺町圓應寺に葬る。人をして代り送らしむ。
13日。馬関(下関)にいる赤間関衛戍病院長・村田豊作より手紙、勝田四方蔵(しょうだ・よもぞう)少将が落馬して頭をけがをしたとあり、すぐさま陸軍省に電報を打った。
勝田少将は7月に馬関に来た折、会っています。
馬関とは、下関の