山下みつお

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鷗外さんの小倉日記㉟貝原益軒と袖の港

(九月) 二十六日。昧爽江藤正澄來ぬ。午前衛戍病院を視る。午後金龍寺に徃きて、貝原益軒の墓を拜す。寺門を入れば、道の左なる鐘樓の傍に、青石の新碑あり。竹田定直の…

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観光ボランティア小倉ガイド研修・「安川電機ロボット村」10月2日

表紙の写真は黒崎駅のおみくじロボットです。 10月に入って初めての地区会研修は、北九州市八幡西区黒崎にある「安川電機ロボット村」。 夜来の雨で昨日と比べても8〜10度…

山下みつお
2週間前
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鷗外さんの小倉日記㉞即非、ゲンノショウコ

(九月) 二十二日。夜來大風、曉に至りて雨霽る。偕行社に徃きて、下士卒考試を視る。井上中将の爲めに機動演習訓示文を艸す。夜渡台の軍醫二人を三樹亭に餞す。 二十三日…

山下みつお
2週間前
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観光ボランティア小倉ガイド研修•9月卒業検定

9月25日、門司港レトロ地区。降水確率70%、どんよりとした天気ながら先日までの猛暑よりは、過ごしやすい。異常気象の続いた夏も、お彼岸を過ぎ季節はやはり正直なのでしょ…

山下みつお
3週間前
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「かわいい」のパイオニアは北九州市に住んでいた

かわいいは、“21世紀に入って世界に最も広まった日本語”と言われます。大正時代、現在でも通用するというか、絶賛を浴びそうな絵を描き人々を魅了していた作家・竹久夢二…

山下みつお
1か月前
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鷗外さんの小倉日記㉝我をして九州の富人たらしめば

(九月) 十六日。吉田に托して海松の烟管一枝を買ふ。光澤甚美し。是日福岡日々新聞社の爲めに一文を艸す。題して我をして九州の富人たらしめばと曰ふ。 十七日。日曜日なり…

山下みつお
1か月前
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鷗外さんの小倉日記㉜平壌陥落と碧蹄館

(九月) 十三日。馬關に在る村田豊作の書、勝田少将の馬より墜ち頭を傷くるを告ぐ。即時陸軍省に電報す。 十四日。馬關に徃いて勝田少将の病を問ふ。 長養軒に午餐して還る…

山下みつお
1か月前
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鷗外さんの小倉日記㉛ 篠崎八幡

(九月) 十日。小婢久盗癖あるを以て罷め歸らしむ。午後篠崎八幡宮の祝河江氏を訪ふ。豊前國の故跡を知ること最も詳なる人なりといふ。共に語りて日暮に及びて反る。男某出…

山下みつお
2か月前
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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉘加用~高津尾

小倉南区・紫川の東谷川との合流を過ぎて東谷川に架かる橋が加用橋。 加用地区は江戸時代から住家は主に川東に建っていて、川西の大内田地区は水田地帯でしたが、明治25年…

山下みつお
2か月前
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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉗加用1

小倉南区中谷地区 小嵐山~古川・加用 小倉南区古川、「妙真寺」の参道入口の目の前に大きな橋が架かっています。古川と長行方面をつなぐ橋で、その昔、この橋を架けるた…

山下みつお
2か月前
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鷗外さんの小倉日記㉚飛白布の寝巻き

(九月) 五日。晴雨定まらず、稍ゞ寒し。 六日。夜來雨ふる。北方第四十七聯隊の内に一兵ありて頓に死せるを報ず。往いて檢す。事の稀有なるが爲めに、他日或は物議を生じ…

山下みつお
3か月前
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鷗外さんの小倉日記㉙元と春

(九月) 九月一日。雨。夜牙婆至る。明旦二婢を伴ひ來らんと約す。小倉に来りてより、予に事ふるもの兵僕あり、馬丁田中寅吉あり、婢あり。而れども兵僕は夕に營舎に帰り、…

山下みつお
3か月前
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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉖古川

小倉南区西部⑭ 小嵐山~古川・加用編を書き換えました。写真は最新のものです。 広くなった紫川沿いの市道を南へ進むと左側に二市一郡新四国霊場古川地蔵堂。 古川地区…

山下みつお
4か月前
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鷗外さんの小倉日記㉘行水と二十六夜待

(八月) 三十日。朝僦房主人宇佐美の婦告げて曰く。貴家の婢は身めることある如しと。婢姿容あり。性質豁如たり。恒に笑を帶び事を執り、而も些の媚態なし。予頗る愛す。是…

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4か月前
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観光ボランティア小倉ガイド研修・黒崎宿

北九州市観光案内ボランティア小倉地区会では前回好評だった、日本銀行北九州支店見学に続き、6月12日、黒崎宿を歩いて研修しました。 ガイドが仲間のガイドを案内する形式…

山下みつお
4か月前
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「松野一夫と小倉」

郷土文化講演会「松野一夫と小倉」 こどもの頃、冒険小説や探偵小説を読むのが楽しみで、「ロビンソン•クルーソー」や江戸川乱歩の「少年探偵団」などをむさぼり読んだも…

山下みつお
4か月前
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鷗外さんの小倉日記㉟貝原益軒と袖の港

鷗外さんの小倉日記㉟貝原益軒と袖の港

(九月)
二十六日。昧爽江藤正澄來ぬ。午前衛戍病院を視る。午後金龍寺に徃きて、貝原益軒の墓を拜す。寺門を入れば、道の左なる鐘樓の傍に、青石の新碑あり。竹田定直の撰む所の益軒碑銘及貝原常春の撰む所の夫人江崎氏碑銘を併せ刻す。 明治二十九年五月益軒の九世の孫貝原寛一の建つる所なり。碑誌の略に云く。先生姓は貝原、諱は篤信字は子誠、寛永七年庚午十一月十四日を以て筑前州福岡城内に生れ、正徳甲午八月念七日を以

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観光ボランティア小倉ガイド研修・「安川電機ロボット村」10月2日

観光ボランティア小倉ガイド研修・「安川電機ロボット村」10月2日

表紙の写真は黒崎駅のおみくじロボットです。

10月に入って初めての地区会研修は、北九州市八幡西区黒崎にある「安川電機ロボット村」。
夜来の雨で昨日と比べても8〜10度は下がって、半そででは肌寒いほどでした。
2日午前9時40分に黒崎駅に集合、電車の遅れがあり参加者がそろったところで出発、黒崎駅からすぐ北の安川電機に向かいました。

北九州の四季おりおりの自然を感じることのできる100種類の植物が

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鷗外さんの小倉日記㉞即非、ゲンノショウコ

鷗外さんの小倉日記㉞即非、ゲンノショウコ

(九月)
二十二日。夜來大風、曉に至りて雨霽る。偕行社に徃きて、下士卒考試を視る。井上中将の爲めに機動演習訓示文を艸す。夜渡台の軍醫二人を三樹亭に餞す。
二十三日。秋季皇霊祭の日なり。海老納次郎書を寄せて、我に豊後國志一部を頒たんことを約す。
客ありて僧即非の自蹟を談ず。
二十四日。微(すこ)しく暑蒸す。 霎雨霽る荐(しき)りに至る。

22日。昨夜から大風がひどかったが、朝方になって雨は上がった

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観光ボランティア小倉ガイド研修•9月卒業検定

観光ボランティア小倉ガイド研修•9月卒業検定

9月25日、門司港レトロ地区。降水確率70%、どんよりとした天気ながら先日までの猛暑よりは、過ごしやすい。異常気象の続いた夏も、お彼岸を過ぎ季節はやはり正直なのでしょうか。 
相変わらずインバウンドのお客様が行きかい、いろいろな言葉が聞こえています。そんな中、赤いベストの新人ガイドが数人ずつを伴い一生懸命案内しています。
きょう25日は北九州市観光案内ボランティア小倉地区会の22期の皆さんの最後の

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「かわいい」のパイオニアは北九州市に住んでいた

「かわいい」のパイオニアは北九州市に住んでいた

かわいいは、“21世紀に入って世界に最も広まった日本語”と言われます。大正時代、現在でも通用するというか、絶賛を浴びそうな絵を描き人々を魅了していた作家・竹久夢二。
竹久夢二は青年期、北九州市の製鉄所に勤めていました。

いま、ゆかりの地、北九州市立文学館で「"かわいい”のパイオニア 竹久夢二展大正浪漫のマルチクリエイター」が開催されています。
夢二は、郷里の岡山県邑久郡(現・瀬戸内市邑久町)から

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鷗外さんの小倉日記㉝我をして九州の富人たらしめば

鷗外さんの小倉日記㉝我をして九州の富人たらしめば

(九月)
十六日。吉田に托して海松の烟管一枝を買ふ。光澤甚美し。是日福岡日々新聞社の爲めに一文を艸す。題して我をして九州の富人たらしめばと曰ふ。
十七日。日曜日なり。 麻生來りて、昨日草する所の文を持ち去る、麻生船小屋の螢光の奇を談ず。螢の大なること船小屋の産に若くものなし。徃々聚りて柱の狀を作し、柱頭より散じ飛ふ。又大樹の幹に密附して樹膚を掩ひ盡し、その蟲の群一斉に明滅す。 船小屋に遊ばんと欲せ

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鷗外さんの小倉日記㉜平壌陥落と碧蹄館

鷗外さんの小倉日記㉜平壌陥落と碧蹄館

(九月)
十三日。馬關に在る村田豊作の書、勝田少将の馬より墜ち頭を傷くるを告ぐ。即時陸軍省に電報す。
十四日。馬關に徃いて勝田少将の病を問ふ。 長養軒に午餐して還る。碼頭に近き西洋料理店なり。是日監督中谷皓の子某を堺町圓應寺に葬る。人をして代り送らしむ。
13日。馬関(下関)にいる赤間関衛戍病院長・村田豊作より手紙、勝田四方蔵(しょうだ・よもぞう)少将が落馬して頭をけがをしたとあり、すぐさま陸軍省

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鷗外さんの小倉日記㉛ 篠崎八幡

鷗外さんの小倉日記㉛ 篠崎八幡

(九月)
十日。小婢久盗癖あるを以て罷め歸らしむ。午後篠崎八幡宮の祝河江氏を訪ふ。豊前國の故跡を知ること最も詳なる人なりといふ。共に語りて日暮に及びて反る。男某出で、見ゆ。現に歩兵少尉たり。第十四聯隊将校團に屬す。一少女あり。麥酒を薦め、杯盤に侍す。是日は日曜日なりき。

10日。若い方のお手伝い、お久は盗癖があるのでやめさせ里に帰してしまいました。お久は3日前、前のお手伝いのお春が「鷗外さん宅は

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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉘加用~高津尾

小倉城下町さんぽ 秋月街道㉘加用~高津尾

小倉南区・紫川の東谷川との合流を過ぎて東谷川に架かる橋が加用橋。

加用地区は江戸時代から住家は主に川東に建っていて、川西の大内田地区は水田地帯でしたが、明治25年に中谷高等小学校が開設されてから人家が集まり、大正時代には加用の中心は西に移ってしまったそうです。

明治の中頃からは登記所の出張所ができて三谷地区の人は不動産を移動するときには必ずここに来て手続きをしました。
宿場ではありませんでした

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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉗加用1

小倉城下町さんぽ 秋月街道㉗加用1

小倉南区中谷地区 小嵐山~古川・加用

小倉南区古川、「妙真寺」の参道入口の目の前に大きな橋が架かっています。古川と長行方面をつなぐ橋で、その昔、この橋を架けるために川を掘ると大きな亀が出てきたそうで、その縁起のいい亀にちなんで「亀年橋」と名付けられました。

今回、橋は渡らず、直進します。

市道をそのまま進むと、以前は右に大きなセンダンが数本並んでおり、いかにも街道という雰囲気でしたが、センダ

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鷗外さんの小倉日記㉚飛白布の寝巻き

鷗外さんの小倉日記㉚飛白布の寝巻き

(九月)
五日。晴雨定まらず、稍ゞ寒し。
六日。夜來雨ふる。北方第四十七聯隊の内に一兵ありて頓に死せるを報ず。往いて檢す。事の稀有なるが爲めに、他日或は物議を生じ出さんことを慮ればなり。隊の将校及軍醫に訓示する所あり。

5日。晴れるかと思いきや突然降ったりしてはっきりしない天気。まだ9月というのに少し寒く感じる。
6日。昨夜から雨。
(現在の小倉南区)北方の第47連隊で一人の兵隊が突然死亡したと

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鷗外さんの小倉日記㉙元と春

鷗外さんの小倉日記㉙元と春

(九月)
九月一日。雨。夜牙婆至る。明旦二婢を伴ひ來らんと約す。小倉に来りてより、予に事ふるもの兵僕あり、馬丁田中寅吉あり、婢あり。而れども兵僕は夕に營舎に帰り、馬丁は厩に臥す。故に家裏に眠るものは予と婢とのみ。 前の婢の来り仕ふる初、 予宇佐美氏に請ひて、其婢をして共に眠らしめ、以て嫌疑を避く。既にして宇佐美氏の婢、我家の勞少く賚多きを羨み、 宇佐美氏を辞して、 井上中将の家に仕ふ。故に予の新婢

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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉖古川

小倉城下町さんぽ 秋月街道㉖古川

小倉南区西部⑭ 小嵐山~古川・加用編を書き換えました。写真は最新のものです。
広くなった紫川沿いの市道を南へ進むと左側に二市一郡新四国霊場古川地蔵堂。

古川地区は名の通り紫川の流れがあったところで、たびたび洪水に見舞われ、また子供が溺死する事故が多かったため、明治20年、災難除け地蔵を祀ったといいます。地蔵堂横の道を山のほうに行き右折すると、「山ノ神」があり、志井越えの峠道があります。

市道そ

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鷗外さんの小倉日記㉘行水と二十六夜待

鷗外さんの小倉日記㉘行水と二十六夜待

(八月)
三十日。朝僦房主人宇佐美の婦告げて曰く。貴家の婢は身めることある如しと。婢姿容あり。性質豁如たり。恒に笑を帶び事を執り、而も些の媚態なし。予頗る愛す。是に於いて婢に問ひて曰く。
人汝が身めることあるを疑ふ何如と。答へて曰く。非なり。然れとも既に外間の言説あり。請ふらくば此より辞せんと。予の曰く。汝何れの處にか去る。曰く郷に反る。曰汝盤纏を要せば特に給せん。 日平生賜ふところ太だ厚し。請ふ

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観光ボランティア小倉ガイド研修・黒崎宿

観光ボランティア小倉ガイド研修・黒崎宿

北九州市観光案内ボランティア小倉地区会では前回好評だった、日本銀行北九州支店見学に続き、6月12日、黒崎宿を歩いて研修しました。
ガイドが仲間のガイドを案内する形式です。
北九州市小倉の常盤橋を起点に長崎まで続く「長崎街道」。
唯一つ西洋に開かれた窓口、長崎・出島へと続く、いわゆる文明が行きかう道です。主に西洋の文物、科学、医学が入ってきました。逆に日本からは浮世絵美術などが西洋にもたらされ印象派

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「松野一夫と小倉」

「松野一夫と小倉」

郷土文化講演会「松野一夫と小倉」
こどもの頃、冒険小説や探偵小説を読むのが楽しみで、「ロビンソン•クルーソー」や江戸川乱歩の「少年探偵団」などをむさぼり読んだものです。友達同士で探偵団を結成、不審な大人の後を受けたりした経験のある方も多いのではありませんか。
そのミステリー心を掻き立てていた挿絵を描いたのが小倉出身の松野一夫。

今回の小倉郷土会と中央図書館のコラボ講座・郷土文化講演会のテーマは「

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