山下みつお

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記事一覧

小倉城下町さんぽ 秋月街道㉖古川

小倉南区西部⑭ 小嵐山~古川・加用編を書き換えました。写真は最新のものです。 広くなった紫川沿いの市道を南へ進むと左側に二市一郡新四国霊場古川地蔵堂。 古川地区…

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2時間前

鷗外さんの小倉日記㉘行水と二十六夜待

(八月) 三十日。朝僦房主人宇佐美の婦告げて曰く。貴家の婢は身めることある如しと。婢姿容あり。性質豁如たり。恒に笑を帶び事を執り、而も些の媚態なし。予頗る愛す。是…

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ガイド研修・黒崎宿

北九州市観光案内ボランティア小倉地区会では前回好評だった、日本銀行北九州支店見学に続き、6月12日、黒崎宿を歩いて研修しました。 ガイドが仲間のガイドを案内する形式…

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「松野一夫と小倉」

郷土文化講演会「松野一夫と小倉」 こどもの頃、冒険小説や探偵小説を読むのが楽しみで、「ロビンソン•クルーソー」や江戸川乱歩の「少年探偵団」などをむさぼり読んだも…

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12日前
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小倉城下町さんぽ「小倉北区鋳物師、長圓寺さんの菩提樹まつり」

毎年恒例の小倉北区鋳物師の浄土宗長圓寺さんの【菩提樹まつり】 に伺いました。 本堂の奥、古色を帯びたお墓が並ぶところに鮮やかな黄色の花をいっぱい咲かせたボダイジ…

山下みつお
2週間前
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鷗外さんの「小倉日記」語る会編6月「魚玄機」

北九州鷗外記念会では、毎月、鍛冶町旧居で「語る会」講座を開いています。 今月の語る会は6月1日、勝田理事の「魚玄機」でした。 この作品、鷗外さんが大正4年に書いたも…

山下みつお
2週間前
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鷗外さんの「小倉日記」⑰軍都

鷗外さんが赴任した小倉は、戦前「軍都」と呼ばれていましたが、その始まりは明治7年4月、陸軍歩兵第十四連隊が小倉城内に新設されたことです。 その前の明治4年、近代国家…

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2週間前
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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉕小嵐山

神理教(徳力神宮)を出て南へ向かいます。 すぐ右上に北九州都市モノレール「徳力嵐山駅」。 「桜橋北」交差点を直進。パチンコ店南の路地の奥に「日限(ひぎり)地蔵尊」…

山下みつお
3週間前
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鷗外さんの小倉日記㉗暴風と長浜の盆踊り

(八月) 二十八日。登衙して雨に遇ふ。午後暴風雨。是日午後一時北方砲兵聯隊將に創立紀念祭を行ひ、將校集會所を落せんとす。 隊長柴田正孝予を招く。風雨に阻げられて往く…

山下みつお
4週間前
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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉔造化宮

神理教のある徳力山の頂上近くにある大元稲荷神社の手前に「造化宮」が祀られています。 手水舎の木額 「設神理以奨俗」(しんりをもうけもってならわしをすすむ)は明治17…

山下みつお
1か月前
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鷗外さんの小倉日記㉖二人の弟

(八月) 二十一日。雨數ゝ至る。 晩貴志典正の女の葬を送りて東岸寺に至る。貴志は第十二旅團副官なり。 二十二日。午時雷雨。弟篤次郎書を寄せて曰く。酒井榮次といふも…

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1か月前
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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉓徳力神宮

国道322号線(旧秋月街道)「くら寿司」の先に徳力神宮(神理教)があります。 屋根付きのお洒落な鳥居をくぐって境内に入ってみましょう。 右手に「神理幼稚園」。 左手に…

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1か月前
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鷗外さんの「小倉日記」㉕焼き鮎

(八月) 十八日。夜雨曉に至りて歇(や)む。樒を賣る兒童花柴々々と叫びて街を走れり。今日は陰暦の七月十三日にして、盂蘭盆會に當れば、人家買ひて佛に供するなるべし…

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1か月前
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復活した「将軍さまと白象くん」

小倉城の横、八坂神社境内でゴールデンウイーク序盤の4月28日、再結成した「はくぞう座」(古賀えみ子代表)による紙芝居「将軍さまと白象くん」(無料)が開かれました。 …

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1か月前
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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉒佐野経彦と門司港レトロ

北九州都市モノレール「徳力嵐山口駅」手前に銅板屋根の乗ったおしゃれな大きな鳥居(昭和9年築)が目に入ります。 明治政府の政策で成立した教派神道十三派のうちの一派…

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1か月前
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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉑失われた古代の徳力

秋月街道をたどっていますが、今回はずっとずっと古い時代の徳力周辺の話です。 少し長文になりますがご容赦ください。 北九州は大陸に近く、古代から交流の盛んな地域です…

山下みつお
2か月前
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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉖古川

小倉城下町さんぽ 秋月街道㉖古川

小倉南区西部⑭ 小嵐山~古川・加用編を書き換えました。写真は最新のものです。
広くなった紫川沿いの市道を南へ進むと左側に二市一郡新四国霊場古川地蔵堂。

古川地区は名の通り紫川の流れがあったところで、たびたび洪水に見舞われ、また子供が溺死する事故が多かったため、明治20年、災難除け地蔵を祀ったといいます。地蔵堂横の道を山のほうに行き右折すると、「山ノ神」があり、志井越えの峠道があります。

市道そ

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鷗外さんの小倉日記㉘行水と二十六夜待

鷗外さんの小倉日記㉘行水と二十六夜待

(八月)
三十日。朝僦房主人宇佐美の婦告げて曰く。貴家の婢は身めることある如しと。婢姿容あり。性質豁如たり。恒に笑を帶び事を執り、而も些の媚態なし。予頗る愛す。是に於いて婢に問ひて曰く。
人汝が身めることあるを疑ふ何如と。答へて曰く。非なり。然れとも既に外間の言説あり。請ふらくば此より辞せんと。予の曰く。汝何れの處にか去る。曰く郷に反る。曰汝盤纏を要せば特に給せん。 日平生賜ふところ太だ厚し。請ふ

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ガイド研修・黒崎宿

ガイド研修・黒崎宿

北九州市観光案内ボランティア小倉地区会では前回好評だった、日本銀行北九州支店見学に続き、6月12日、黒崎宿を歩いて研修しました。
ガイドが仲間のガイドを案内する形式です。
北九州市小倉の常盤橋を起点に長崎まで続く「長崎街道」。
唯一つ西洋に開かれた窓口、長崎・出島へと続く、いわゆる文明が行きかう道です。主に西洋の文物、科学、医学が入ってきました。逆に日本からは浮世絵美術などが西洋にもたらされ印象派

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「松野一夫と小倉」

「松野一夫と小倉」

郷土文化講演会「松野一夫と小倉」
こどもの頃、冒険小説や探偵小説を読むのが楽しみで、「ロビンソン•クルーソー」や江戸川乱歩の「少年探偵団」などをむさぼり読んだものです。友達同士で探偵団を結成、不審な大人の後を受けたりした経験のある方も多いのではありませんか。
そのミステリー心を掻き立てていた挿絵を描いたのが小倉出身の松野一夫。

今回の小倉郷土会と中央図書館のコラボ講座・郷土文化講演会のテーマは「

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小倉城下町さんぽ「小倉北区鋳物師、長圓寺さんの菩提樹まつり」

小倉城下町さんぽ「小倉北区鋳物師、長圓寺さんの菩提樹まつり」

毎年恒例の小倉北区鋳物師の浄土宗長圓寺さんの【菩提樹まつり】 に伺いました。

本堂の奥、古色を帯びたお墓が並ぶところに鮮やかな黄色の花をいっぱい咲かせたボダイジュがあります。
顔を近づけるとほのかに爽やかな香りがしました。

本堂での吉水友晃住職の「戻り涅槃図」の説明(法話)で、このボダイジュについて、詳細な解説がありました。

長圓寺のボダイジュは、お釈迦様がインドのブッダガヤで悟りを開いたと

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鷗外さんの「小倉日記」語る会編6月「魚玄機」

鷗外さんの「小倉日記」語る会編6月「魚玄機」

北九州鷗外記念会では、毎月、鍛冶町旧居で「語る会」講座を開いています。
今月の語る会は6月1日、勝田理事の「魚玄機」でした。
この作品、鷗外さんが大正4年に書いたもので、鷗外作品の中では結構レアな(あまり知られていない)作品です。
魚玄機とは実在の人で中国、唐代末の女流詩人。長安の人。字(あざな)は蕙蘭(けいらん)・幼微。詩文の才能で有名になり、女道士となったが、召使いの女を殺して死刑になった。森

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鷗外さんの「小倉日記」⑰軍都

鷗外さんの「小倉日記」⑰軍都

鷗外さんが赴任した小倉は、戦前「軍都」と呼ばれていましたが、その始まりは明治7年4月、陸軍歩兵第十四連隊が小倉城内に新設されたことです。
その前の明治4年、近代国家にふさわしい軍備を整えようと 西海道鎮台(さいかいどうちんだい)の設置が決められました。
西海道鎮台は全国に二つしかない鎮台の一つで、本営を小倉に、分営を博多(福岡)と日田に置くこととされました。
西海道鎮台には熊本藩と佐賀藩から兵1大

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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉕小嵐山

小倉城下町さんぽ 秋月街道㉕小嵐山

神理教(徳力神宮)を出て南へ向かいます。
すぐ右上に北九州都市モノレール「徳力嵐山駅」。
「桜橋北」交差点を直進。パチンコ店南の路地の奥に「日限(ひぎり)地蔵尊」が見えます。お堂の右は小嵐山への登り口です。
駅名は「徳力嵐山駅」ですが、本当は小嵐山。小京都、小江戸などと呼ぶように、京都の嵐山に似た風情があるということでつけられたということです。

ここを登ると「徳力山城(大鍋山城)」跡に行けます。

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鷗外さんの小倉日記㉗暴風と長浜の盆踊り

鷗外さんの小倉日記㉗暴風と長浜の盆踊り

(八月)
二十八日。登衙して雨に遇ふ。午後暴風雨。是日午後一時北方砲兵聯隊將に創立紀念祭を行ひ、將校集會所を落せんとす。 隊長柴田正孝予を招く。風雨に阻げられて往くことを果さず。

28日。第12師団に出勤途中、雨に遭遇。午後から暴風雨になった。
8月末ですからちょうど台風の季節、災害関係の史料で調べてみますと、「8月28日朝、奄美大島東の海上に達した台風は、宮崎市の沖を経て足摺岬付近に上陸、その

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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉔造化宮

小倉城下町さんぽ 秋月街道㉔造化宮

神理教のある徳力山の頂上近くにある大元稲荷神社の手前に「造化宮」が祀られています。

手水舎の木額 「設神理以奨俗」(しんりをもうけもってならわしをすすむ)は明治17年10月、「幕末の三舟」の一人、山岡鉄舟より寄贈されたものです。
山岡鉄舟は幕末期の幕臣・剣術家、明治初期の侍従。通称・鉄太郎。千葉周作に入門し、幕府講武所で剣術世話役となる。1863年(文久3)幕府の浪士募集に際し取締役。68年(明

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鷗外さんの小倉日記㉖二人の弟

鷗外さんの小倉日記㉖二人の弟

(八月)
二十一日。雨數ゝ至る。 晩貴志典正の女の葬を送りて東岸寺に至る。貴志は第十二旅團副官なり。
二十二日。午時雷雨。弟篤次郎書を寄せて曰く。酒井榮次といふものあり。東京大學法醫學教室の助手たり。 水沫集等を嗜み讀めり。 別紙に数條を記して疑を質す云ゝと。乃ち書を修めてこれに答ふ。

21日 時々雨。「数々」とはしばしば又はたびたびという意味。
夜、第12旅団副官•貴志典正の娘の葬儀で東岸寺に

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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉓徳力神宮

小倉城下町さんぽ 秋月街道㉓徳力神宮

国道322号線(旧秋月街道)「くら寿司」の先に徳力神宮(神理教)があります。
屋根付きのお洒落な鳥居をくぐって境内に入ってみましょう。
右手に「神理幼稚園」。
左手に池が、そこに小さな橋が架かっています。

その先の庭に道標が立っており、「従是東中津道」「従是北小倉道」「従是南田川道」と刻まれています。

大教殿(大正8年築)の横に教祖殿。

大教殿の前を過ぎ右手の山のほうに抜けます。
この山を「

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鷗外さんの「小倉日記」㉕焼き鮎

鷗外さんの「小倉日記」㉕焼き鮎

(八月)
十八日。夜雨曉に至りて歇(や)む。樒を賣る兒童花柴々々と叫びて街を走れり。今日は陰暦の七月十三日にして、盂蘭盆會に當れば、人家買ひて佛に供するなるべし。 朝餐畢れは又雨ふる。雨を冒して登衙す。
午時又歇む。米原氏雅女炙香魚一籠を送り、賀古鶴所葉巻烟草二筐を寄す。米原氏の書に云ふ十七日郷を出で、東京に赴くべしと。 次いで山路の書至る。云ふ、米原氏は女靜と共に我千朶山房に寄寓せんと欲し、米原

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復活した「将軍さまと白象くん」

復活した「将軍さまと白象くん」

小倉城の横、八坂神社境内でゴールデンウイーク序盤の4月28日、再結成した「はくぞう座」(古賀えみ子代表)による紙芝居「将軍さまと白象くん」(無料)が開かれました。

この紙芝居は、2004年6月に出版された歴史絵本「将軍さまと白象くん」(橋本賢作さん)を元にしたもので、江戸時代の8代将軍徳川吉宗に献上されるべく、はるばるベトナムから長崎へやってきて、長崎街道を歩いて小倉、門司・大里から船で下関、そ

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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉒佐野経彦と門司港レトロ

小倉城下町さんぽ 秋月街道㉒佐野経彦と門司港レトロ

北九州都市モノレール「徳力嵐山口駅」手前に銅板屋根の乗ったおしゃれな大きな鳥居(昭和9年築)が目に入ります。

明治政府の政策で成立した教派神道十三派のうちの一派、古神道「神理教」の本部です。
教派神道とは、布教をする神道で、天理教、金光教なども十三派の一つです。

神理教はニッポニカ百科事典には「神道教団。教派神道十三派の一つ。佐野経彦(つねひこ)を教祖とする。医者でもあった経彦が、家伝の神道の

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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉑失われた古代の徳力

小倉城下町さんぽ 秋月街道㉑失われた古代の徳力

秋月街道をたどっていますが、今回はずっとずっと古い時代の徳力周辺の話です。
少し長文になりますがご容赦ください。
北九州は大陸に近く、古代から交流の盛んな地域です。
そのため古墳や遺跡も多く残っています。
例えば、八幡西の貝塚、若松区の小田山古墳群、小倉南区の重留遺跡、曽根の古墳群などです。

ここ徳力周辺も、田川方面に抜ける街道筋ということもあり、古代より人が生活しており、縄文後期から古墳時代、

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