「松野一夫と小倉」
郷土文化講演会「松野一夫と小倉」
こどもの頃、冒険小説や探偵小説を読むのが楽しみで、「ロビンソン•クルーソー」や江戸川乱歩の「少年探偵団」などをむさぼり読んだものです。友達同士で探偵団を結成、不審な大人の後を受けたりした経験のある方も多いのではありませんか。
そのミステリー心を掻き立てていた挿絵を描いたのが小倉出身の松野一夫。
今回の小倉郷土会と中央図書館のコラボ講座・郷土文化講演会のテーマは「松野一夫と小倉」です。
講師は北九州市立美術館学芸員の山下理恵さん。
昨年2023年11月、北九州市立美術館分館で「没後50年展」が開かれましたが、松野一夫(1895〜1973年)は明治28年、小倉市(北九州市小倉北区)堺町に生まれました。
1909年に旧制小倉中学に入学、2期生です。1912年に家庭の事情で小倉中学を転出し上京。安田稔、石橋和訓に師事、洋画の修行をしました。
帝展などに入選しますが、生活のため1921年から雑誌「新青年」の表紙や翻訳小説、探偵小説の挿絵を描き始めました。「新青年」は日本に探偵小説というジャンルを確立した雑誌とも呼ばれます。
「新青年」表紙400冊のうち350冊は松野が描いたものです。
『新青年』や推理小説雑誌『宝石』などで小栗虫太郎「黒死館殺人事件」、江戸川乱歩「怪人二十面相」、横溝正史「本陣殺人事件」など探偵小説では黒を基調にミステリーにぴったりの絵を自在に描きました。
松野の絵は推理小説が好きな方なら「どこかで見たことある絵」。フランスにも留学、外国人の顔もイギリス、フランス、ドイツなどを国別に描き分けることができたそうです。
小倉中学時代、美術の教師に杉田宇内がいました。女流俳人杉田久女の夫です。宇内先生は東京美術学校出のエリート、松野の憧れの存在だったのではないでしょうか。
松野のふるさと小倉愛は年取ってからますます募り、思い出を15メートルにも及ぶ「小倉絵巻」に表しています。
1973年に死去、広寿山福聚寺で静かに眠っています。
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