鷗外さんの小倉日記㉛ 篠崎八幡
(九月)
十日。小婢久盗癖あるを以て罷め歸らしむ。午後篠崎八幡宮の祝河江氏を訪ふ。豊前國の故跡を知ること最も詳なる人なりといふ。共に語りて日暮に及びて反る。男某出で、見ゆ。現に歩兵少尉たり。第十四聯隊将校團に屬す。一少女あり。麥酒を薦め、杯盤に侍す。是日は日曜日なりき。
10日。若い方のお手伝い、お久は盗癖があるのでやめさせ里に帰してしまいました。お久は3日前、前のお手伝いのお春が「鷗外さん宅は寂しくてつまらない」とやめたので雇ったばかりです。
午後、紫川西岸の篠崎八幡神社に宮司の川江直種(日記では河江)を訪ねました。
鷗外さんは、着任後、福岡日日新聞の記者に「九州の地、殊に筑豊(筑前と豊前)の野は古来史上の事跡に富むを以って名あり。之を探求せば文学の材料を得るや必ずや多からん。故に今回任地に来るやひそかに楽みて期する所あり」と語っています。
川江直種は「豊前人物志」によると、「大島社社家定村直孝の嫡男。幼にして頴悟敏達、当時の儒者、山川敬蔵、帆足万里、恒遠頼母、広瀬玄監に就いて学ぶ。19歳で篠崎神社社家に養子に入る。奮励研鑽博覧強記、比較蘊奥を極め、特に歌道に通ぜり。維新の時神仏混淆取調掛及び皇典講義を命じられ小倉県学務課員として地誌を編集し、のち大阪府に出仕、10年在版、帰郷後の27年、篠崎神社社司(一部省略)」とあり、
豊前地方(小倉藩域)の歴史などについては並ぶもののいない知識人といわれています。
お互い意気投合して日暮れまで語り合ったようです。
篠崎八幡神社は小倉北区篠崎にあり、祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、宗像三女神、玉依姫命ほか。宇佐八幡宮の分霊を奉祀しているとあります。都市高速紫川インターチェンジから近く、緑の木立に囲まれた境内には、壮麗な随神門、拝殿、民話にゆかりの蛇の枕石があります。
川江宮司の息子が姿を見せ挨拶したのでしょうか。彼は現役の第14連隊歩兵少尉です。
彼の名は川江混、のちに下関市長府の乃木神社の社司になります。
一人の少女がビールを勧めてくれ、酒席に付き合ってくれたとありますが、先ほどの川江少尉が一緒だったかどうか、場所はどこか、はわかりません。三樹亭かもしれませんね。
そうだ、今日は日曜日だった。
十一日。夏期の休沐も昨日に至りて果てたれど、井上中将の僚屬を率ゐて検閲の途に上りたるが爲めに、衙門寂寥前日に殊ならず。
11日。夏季の休暇は昨日で終わってしまったが、井上中将が部下たち率いて検閲に出かけたので、役所は休み中と変わらず静かだ。
検閲とは、軍隊における風紀、教練、経理 、衛生などの検査の一種です。
公退後福岡日々新聞主筆猪俣爲治といふもの、其新聞社の小倉特派員麻生作男と偕に来り訪ふ。猪俣は越後國の人なり。 小金井權三郎と相識る。頗る英書に通ず。共に語りて薄暮に至り、辞し去る。
公務が退けて、福岡日日新聞の主筆•猪俣為治という人が同社の小倉特派員(支局長)•麻生作男と一緒に訪ねてきた。
猪俣は越後(新潟)の人で、(妹の喜美子の夫•良精の兄)小金井権三郎の知り合いということでなんとなく気が合った。彼はとても英語に通じていて薄暮まで語らった。
小倉支局長の麻生作男(1869~1953)は、柳川出身、明治35年に退社し、朝鮮木浦の会議所副会頭を務めましたが、戦後郷里に隠棲しました。
小金井権三郎は自由民権運動家で、のちに衆議院議員。
鷗外さんの妹婿、小金井良精は鷗外さんと同じく東京帝大医学部卒、シュルツ博士の教え子で解剖学者・人類学者です。また、『ボッコちゃん』『ようこそ地球さん』『きまぐれロボット』などのショートショート集で有名な星新一の祖父にあたります。
「福岡日日新聞」は、現在の西日本新聞の前身。その基礎を築き上げたのは征矢野半彌(そやの・はんや)。征矢野は安政4(1857)年8月、小倉生まれ。9歳の時、小倉戦争から逃れ、築城に移住、豊津の藩校育徳館、佐賀の鍋島藩校に学びました。1885(明治18)年、福岡県会議員、1894年3月には衆議院議員に当選、以後、1898年から1908(明治41)年まで6期を務めた。その間、八幡製鉄所の誘致、北九州工業地帯の発展に寄与しました。また1891年から20余年にわたり福岡日日新聞の社長として日刊紙の基礎を築きました。
福岡日日新聞の前身は1877年3月創刊の《筑紫新聞》だが,同紙は9月廃刊。78年12月《めざまし新聞》として再興,80年《福岡日日新聞》と改題した。征矢野半彌が社長時代(1891-1912)にその積極政策により全国屈指の地方紙に発展した。
十二日。夜井上中將を訪ふ。偶々仲木少將座に在り。共に飲みて深更に至る。
12日。夜、師団長の井上中将宅を訪問、たまたま第12旅団長の仲木少将もいたので、一緒に深夜まで飲んだ。
#森鷗外 #小倉日記 #福岡日日新聞 #星新一 #篠崎八幡神社 #川江直種 #征矢野半彌 #第14連隊
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?