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「行かなくてもいい」というフィクション
山本 一方で、「行かない」けれども同様のメタファーを立ち上げる、という話として……何らかのフィクションを作ろう、というとき、例えば「現実に沖縄に行くよりも、沖縄の戦争での出来事を考える上でより役立つようなフィクションを作りたい」などと言ったりしますよね。それを「フィクションの力」と呼んだりもする。そこでの「フィクションの力」とは
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全体をふり返って
笠井 今日は『クバへ/クバから』の編集会議でした。前半は7夜(※実際は6夜)のまとめからコンセプトを整理して、後半はすでにある素材から写真集の関係の網目がどのように作れそうかを話してきました。まだ空白になっているけれど、全体を統御するのではない、いわば数珠繋ぎになった一連のシリーズのひとつ目の珠の部分を見つけること、(ホワイトボードの空白を指さして)
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隠れて撮る/情報量を増やす
三野 えっと、ちょっと隠れて撮ることにかんしては、なんとなく実感を持っていて。写真の情報量を増やしたいなと思ってるんですよ。
山本 (なまけが夜話で指摘していた)あの、木の写真の話ですか?
三野 木のやつもそうで、けっこうよくやっちゃうんですよ。
なまけ 木の幹をこうやって(半身だけ傾けて木の幹からのぞき込む身振りで)撮ってるやつとか
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ところで、どうしてクバなのか?
笠井 hさんは聞いていてどうですか?
h 三野さんが九州や福岡でもクバを撮ろうというときに、まだやはりこれまでの座談会や活動の中でクバについてが体系化されて語られてきていないと思うので、なぜこの植物に三野さんが惹かれるのか……
三野 気にしているのか。
h (大きくうなずきながら)というのが、やはりひとつ、まとめなくてはならないと
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「どこ」へ向かった移動の記録か
三野 そこは目論見どおりというか、すごいパフォーマティブな写真群になったなぁ、というのは見て取れて、写真集にしたときの重要な要素となっていく感じはある。
笠井 (企画発足の)最初に三野さんは形態的な類似の話をされていましたが、今の山本くんの話を受けると、これからは「撮られたもの」の議論から、まさしくパフォーマティブな意味で、ルポルター
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ヘッドコピーとキーワード
三野 休憩中にも考えていたんですが、さっきぼくが言った話に補足すると、今回の上演や座談会が写真集の「言い訳」として扱われたくない気持ちが強いんだな、と。写真集のコンセプトが、なにこれふつうじゃん、みたいに読者に理解されたことによって、テキストが「長い言い訳」として読まれるかたちには絶対したくないんです。写真群は写真群でコンセプチュアルかつ強度
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どのレイヤーに置くべきフィクションか
三野 最初に山本くんたちに(写真集を出したい、と)話した時にも、ペドロ・コスタ『Casa de Lava-『溶岩の家』スクラップブック』にすごく影響を受けてるんだよね、と話していたんです。この形式は、ペドロ・コスタ本人はもう二度とやらないと言ってるんだけど(*1)。1回やったらもうおしまいだと。
ペドロ・コスタは脚本嫌いで有名
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「遠ければ書ける」
笠井 ふり返ると、第1夜から第6夜までの話題は、三野さんが第1回の座談会で自作について語ってくれたことと弱く響くところもあれば、ダイレクトにつながる論点もありますね。
笠井 ちなみに三野さんは、(夜話を聞きながら)どんなことを考えていましたか。
三野 いま、みなさんの話を聞きながら考えていたんですけれど……みんないっせいに動き出しましたね(笑)
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前回のふり返り
三野 「クバへ/クバから」第3回の座談会を始めたいと思います。よろしくお願いします。今回は――笠井さんがホワイトボードに本日の座談会の予定と今までの座談会で話された内容がざざざっと書いていただいております。
山本 自己紹介をしたほうが(笑)。
三野 自己紹介しましょう(笑)。三野と申します。よろしくお願い致します。
h はい、いぬのせなか座の――