ゴロウ@読書垢/Noter

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ブロガー/文学・ビジネス書・学術書などの書籍を通して【エッセイ】【書評】【読書関連】などの記事を執筆しています。📱💻 連作長編『知力を磨く』/長編[書評]『思慮する読書』/長編[評論]『虚無と結実』-愉楽の批評理論-/長編[エッセイ集]『泡沫の謠』等々があります。

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『揺蕩う素養』

◆Ⅰ.幸の調べより豊かさや幸せを考えるとき、‘‘素養’’という言葉が脳裏を過ることがありました。 私たちは、日々の暮らしの中で見たものや感じたことを胸の中に記憶して、あるときそれについてふと考えることがあったりします。 あのとき、怒ったこと、笑ったこと、泣いたこと、感情には必ず理由があって、感情の向こう側に家族がいたり、友人がいたり、恋人がいたりします。 相手が笑うと、自分もつられて笑って、怒ってると嫌な気持ちになるし、泣いていると悲しい気持ちになるので感情の作用によって、

    • [エッセイ]【‘‘真意’’】

      * 思索を巡らすことで、感覚と情念が浮遊する。 着想を得ることに書くことを目的にしなくても、自ずと心象から表現へと転化するものだと感じる。 * 小さなピースを集めたものは、どれも細かくて繊細なものばかりである。 考えることから、離れることで人はもう一度生まれ変われるもの、そう思った。 * 泡のような感情は、文体へと変えていく。 変えられた文体はどれも泡であると感じた。 触れると、すぐに水に戻ってしまう。 泡はやがで、水鏡へとなった。 * 頭の中の空想は、いつも抽象的だと

      • 明日、乗り気って次の日からはGWだ😆🎵 やりたいこと、たくさんやって楽しむぞー🥳

        • [エッセイ]【‘‘書くもの、書かれたもの’’】

          自分の書こうと思っているものと、実際に書いたものというのが違う場合がある。 それは、頭の中のイメージと書いたものでズレが生じるからだと考えられます。 ぶれないように気をつけても、これをいざ書こうと思って判断しても思考がそれを頭の中で整理してから書くからだと私なりに思うところがあります。 整理して書いた上で推敲することによって、最初からあった原形は崩されて、まるっきり別のものになってしまいます。 それは、はたして自分が書きたかったものなのだろうか、書くべきことが本当に書けただろ

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        『揺蕩う素養』

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        記事

          [エッセイ]【‘‘癖になる音楽’’】

          最近、Creepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」という曲を繰り返し聞いていました。 マッシュルというアニメのオープニング曲であり、YouTubeでたまたま見て知ったのがきっかけでありました。 私は、気になった音楽に出会うとそればかり聴くという癖があって、この曲は既に100回以上は聞いたと思います。 この「Bling-Bang-Bang-Born」という曲の良さは、耳にずっと残る独特なリズム感とテンポによるものが癖にさせる力が働いているのではないかと

          [エッセイ]【‘‘癖になる音楽’’】

          [エッセイ]【‘‘文章で何が出来るのか?’’】

          文章という表現の可能性から、私たちはそうした文章で何が出来るのかということを考えていた。 何故、文章を書くのかということは人それぞれで目的も異なるものがあります。 私にとってnoteは作品を読んだり、見たり、聞いたりと、そこから派生して考えたり、思ったことを備忘録として形に残したものに過ぎないと感じています。 これまでに書いた短いものも、長いものも、たまに読み返したりします。 それは、その時の感情や感覚が風化してしまわない為だと思っています。 文章を書くことは、自分の為であり

          [エッセイ]【‘‘文章で何が出来るのか?’’】

          【続・‘‘読むとは何か?’’】

          読むとは、何かということを考えていた。 私なりの永遠のテーマでもある。 考えるまでもないが、読むこととは本に記された文章をただ純粋に読むということだと思っていたが、はたしてそうだろうかという疑問を抱くことがありました。 一つの考えに縛られずに、読むとは多様な意味を持つものだと捉え方によっては考えられるのではないかと思います。 例えば人の心を読むこと、その人が何を考えているのか、読むことは人を理解する為にもあると感じています。 世界には様々な言葉がある。 言葉がある限り、見たも

          【続・‘‘読むとは何か?’’】

          【‘‘変わりゆくもの’’】

          本をこれまでたくさん読んできて、自分なりの理想的な大人へ近付けただろうかと思い返すことが何度かあります。 人は思ってるほどそんな簡単には変われないものだと考えていたりします。 心身ともに、どこか幼い頃の面影があるもので、いつまでも子供だなと痛感することさえあります。 周りの人たちや環境というのは急に変わるものであり、適応するまでには人間関係の問題などに頭を悩ませることもあると考えられます。 この先どうなるのだろうかという、理由が分からない不安感というのは常に抱いていたりします

          【‘‘変わりゆくもの’’】

          【‘‘考えながら読むこと’’】

          読み進めながら、思考は無意識的に働き、必要な要素と不必要なものとを区別していることがある。 フィルターにかけられたものは、残ることもあるし、残らない場合もあります。 膨大な情報量を詰め込むには、コンピューターでしか出来ないものがあり、脳のメモリーには限界があると考えられます。 記憶から必要な物事と関連させたり、取り出してみたりと、そうした行為全般は思考による働きだからこそだと感じています。 考えながら読み進めることで、分かることもあれば、分からないこともあります。 読むことで

          【‘‘考えながら読むこと’’】

          【‘‘読むこと、創ること’’】

          読むことと、創ることというのはとても似ているものがある。 読むという行為は、本に記された文章を頭の中で処理して理解することで学びを得るものであり、創るという行為は、頭の中にある引出しから必要なものを取り出して自分の言葉で組み換えて文章化するものだと考えています。 読むことも、創ることも、思考する上で成り立つものであり、思考の補助線として読書や映画、音楽などからヒントを得られるもので、アイデアを生み出す為にはそうした原形からいくつもの要素を取り入れなければいけないものだと思って

          【‘‘読むこと、創ること’’】

          【‘‘食を愛すること’’】

          ここ数ヵ月前から料理にハマっていて、時間があれば出来るだけ自炊をするように心掛けています。 料理にハマったきっかけとしては、料理研究家の土井善晴さんの影響がかなり大きいものであり、和食や洋食といったジャンルにとらわれずに、料理することの考え方や価値観、在り方そのものを示すものそれこそが一汁一菜の教えであることを料理の基礎として私なりに学びました。 食事することは、目の前の料理と真摯に向き合い、料理を食べること、つくるということは想像以上に奥深いものだと考えさせられることもあり

          【‘‘食を愛すること’’】

          【‘‘言語化する為の読書’’】

          創作する上で、読書は欠かせないものであり、創作は言語化する為の手段でもあると思っています。 読み方によって、あるいは捉え方によって、作成される記事がどのようなものになるのかは私にもよく分からないところがあったりします。 読んでは、書きたいことが思い浮かべば書いて、読んでは書く、その繰り返しの作業を行っている。 読書から映画や音楽へと媒体を変えて、言語化することもありますが、やはり本から得たものを言語化する方がやり易く感じていて、文章を読み、そこから取り入れたものを自分なりの感

          【‘‘言語化する為の読書’’】

          【‘‘本から、そして言葉へ離れる’’】

          この記事を書いている今、私は読書から離れて、そして言葉に通じるものから距離を置いている。 本を読むことは、好きなのは間違いないのだが、読みたいとか、読みたくないといった感情ではなく、本から、そして言葉から離れていたいという気持ちが正確な表現だと感じています。 人と距離を置いて、一人でいたい、そうした心理に近いような気がします。 言葉や人から、意識的に離れていると、気持ちが軽くなって開放的な気分になります。 もともと、一人で過ごすのが好きである私にとっては苦ではなく、むしろ一人

          【‘‘本から、そして言葉へ離れる’’】

          【‘‘読書好きになった、きっかけ’’】

          私にとって、読書は日常の一部であり、暇さえあれば本を読むことが多くて、ジャンルは問わず、とにかく面白そうな本を手当たり次第に読んでいる。 何故、そこまで読書が好きになったのか、きっかけというものを頭の中で模索していた。 小さい頃から、外で遊ぶことよりも家の中や学校の教室の中で遊ぶことが好きだったなと思う。 自分の頭の中から思い浮かんだ動物の絵を自由帳に書いたり、学校の図書館で借りた本もその頃から読んだりしていて、気付けば読書というものは日常の側にあるかけがえのない大切なものと

          【‘‘読書好きになった、きっかけ’’】

          【‘‘読書スランプ’’】

          日々の日常で、本が読めないことが時々あったりします。 それは、仕事が忙しくて時間が取れないとか、体調的に読むのが辛いことも理由としてあったりします。 ですが、例外として本を読む時間が取れるが、本を読もうと思う気力が湧かない無気力な状態、それこそがすなわち‘‘読書スランプ’’であると自覚しています。 読書スランプに一度陥ると中々、抜け出せなくなってしまうところが読書スランプの一番の恐ろしいところだと思っています。 スランプは、読書に限らず、映画を見ることや音楽を聴くこと、not

          【‘‘読書スランプ’’】

          【‘‘La Matiere’’】

          ‘‘La Matiere’’という言葉は、フランス語で‘‘素材’’という意味であります。 素材と本を読むことは、なんの関係があるのかと思われるかもしれませんが、本に記された内容について考える時、それは素材を示すものだと考えられます。 多様な素材は、物語や学問にしても、本を通して読むことから筆者は読者に何を語るべきなのかということを考える必要があります。 感情や考察などを文章へ滲み出させることで、意図を汲み取る読者はそこから、素材を感じる為に読むことで思考します。 読む為に思考

          【‘‘La Matiere’’】