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【‘‘映画批評・評論の役割’’】

読書や音楽から得られる感動もまた違うものだし、映画もまた同じであると思うことがありました。
本を読むよりも、映画を見ることの方が機会が多い気がする。
それは、映画ならではの映像表現が直接脳内へと感動へと伝えられるから、イメージを既に映像として形作っているからだと考えられます。
映画監督は、物語を通じて観客の私たちに感動を与えることを目的として考え、映画から鑑賞者に夢や希望といったものを与えて、映画を見て感動することで自然と心が動かされる働きがあり、こうした働きは映画の力であることは確かであります。
もちろん映画の中で描かれるキャラクターの心情から観客の共感を引き寄せることは映像表現の技術的なものによるのかもしれません。
現代社会の暗部に迫る問題を照射し、啓発する作品として、最近では『ミッシング』や『あんのこと』を見ましたが、こうした映画には現実に存在する問題や社会的な事件を私たちが映画から知るきっかけにもなると思っています。それ以外にも、環境問題をテーマとした『悪は存在しない』やユダヤ人の大量殺戮、人権問題に焦点を当てた『関心領域』など映画を見る前では知らなかった事実に目を向けさせて意識を高めることが出来るのもまた映画の役割なのではないかと考えられます。
映画は特定の時代や文化、歴史を映像として伝達させる役割も担うものがあり、今やっている大河ドラマの『光る君へ』や囲碁の世界を通した復讐劇を描く『碁盤斬り』など時代劇から過去の出来事をリアリティを持って再現することで教育的でかつ教訓さえも得られる映画体験も出来るのも映画の魅力だと感じます。
本来は、映画はエンターテイメント、楽しむことや娯楽を提供する上ではかなり素晴らしいメディアでもありますし、芸術的な表現に力を入れた芸術映画としての表現の可能性も広がっていき、圧倒的な映像美を体感出来る『哀れなるものたち』や『オッペンハイマー』音楽的な映画として『TAR/ター』や『バジーノイズ』『キリエのうた』なども挙げられるだろうと思います。
そうした芸術性や音楽性を映画として絡めることが出来るのも特別な撮影技法や音響効果などを利用していることが考えられるであろうし、美術鑑賞とは別の感動的な映画芸術の体験もまた映画の特徴とも言えます。
私たちが映画を見るにあたり、映画を見る私たちの鑑賞眼よりも優れた映画評論家さんや映画ライターまたは映画の考察系YouTuberとしての存在がいます。
文章における考察にしても、対話的な考察にしても、一つの作品をあらゆる角度から深く考える上では必要不可欠な存在であり、最新作の映画紹介など、多くの映画ファンたちが興味を持つテーマにフォーカスすることで私たちは映画に触れるきっかけもあります。
前述にも述べましたが、映画と音楽の相性というのは非常に良くて、音楽ならではの音楽表現や映画的技法が組合わさることで実際に名作は現時点でたくさん生まれました。
アカデミー賞を受賞した日本の映画でも『ゴジラ-1.0』にみるVFXの技術、『君たちはどう生きるか』のようなアニメーション技術はかなりここ数年で進化してきていると思わせるものがあります。
それは、特殊効果の使い方や映画監督の独自の撮影スタイルなどが関係しているものだと感じますし、何よりも肝となる映画のストーリーテリングが良いので良いものが出来るのは当然だと感じます。
本記事の映画批評や映画評論の役割というものを私なりに考えてみると、ある一つの作品を解剖するにあたり、作品の特性や作り手の意図、演者の演技力、撮影技術などが作品を構成する上で必要な要素であることが窺え、それを分かりやすく解説する存在こそが必要になってくるものだと考えられます。
文芸評論家や音楽評論家などもいる中、作品の形式を言語化する立役者というのはどの世界にも役割があるものだと思いました。
役割にはきっと、あらゆる効用をもたらすものだと感じます。


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