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ピルグリメイジの夜話の灯

日本語が堪能な現地のコーディネーター、ルチアナさんに優しく励まされながら、夕方の巡礼路を歩き続ける。今日も長閑な畑と山、草原の道を延々と歩いた。首にぶら下げている一眼レフカメラを構える余裕は、午前中に尽きた。

フリーのカメラマンとして、一個人として、ずっと参加したかった念願の異国での巡礼旅。弱音は吐けない。神聖な巡礼の様子を撮影できるなんて、奇跡的なことだ。明日はちゃんと、撮影しよう。

仕事で偶然知り合えたルチアナさんにダメ元で相談してみると、あれよあれよという間に話が進んだ。ルチアナさんが政府機関に確認すると、常識的な立ち振る舞いをするならば、よろしいという許可があっさりと出たらしい。

子供の頃から、「巡礼」や「宗教」に興味があった。信仰心からでなく、好奇心から。

なぜ、実体の無いものを信じるのか。なぜ、命をかけて聖地巡礼の旅をするのか。精神的な自由を、当たり前のように信仰に捧げられるのは、なぜ。

「キハラさん、到着ですよ!ほら、あの聖堂。千年前に建てられた重要文化財です。あれが、今日のホテル」

ルチアナさんの元気な声で目が覚めた。ルチアナさんの指し示す先には、中世の城門のように重厚な、ロマネスク様式の聖堂があった。




分厚い石の壁に囲まれた広間や廊下は薄暗く、すぐ目の前を歩く人も見失ってしまいそうだった。

聖堂に辿り着いた時には歩き疲れていて、就寝前の聖堂内の見学は憂鬱だった。しかし、見学ツアーが始まると、張って痛かったはずの足が嘘のようにスムーズに動いた。

大広間の所々に浮かんでいるバルーン型のLED照明に照らされて、暗闇に浮かび上がる荘厳な壁画、植物が複雑に刻みこまれた柱頭、太い柱と柱を繋ぐ見事な半円アーチ。

すぐに、感動が足の痛みと疲労を凌駕りょうがしたのだ。

聖堂の大広間の小宇宙に見惚れていると、左手が柔らかく温かいものに包まれた。横を見ると、ルチアナさんが私の手を握り、女神のように微笑んでいる。

「こっちですよ。ここで迷子になると、危ないわ」

ルチアナさんに引っ張られるように、人の列の中に戻った。




「この巡礼には千年の歴史があります。凄まじい高さの山を越え、八百kmもの道を歩き通す。点在する聖地に訪れるためだけに。道々にある宿泊施設や休憩拠点を運営しているのは、ボランティアの方々です。千年もの間、この巡礼にどれだけの人の祈りや願い、情熱が込めれたのか。考えると、ぞくぞくします」

寝袋に収まって、腹ばいの状態でルチアナさんの話に耳を傾ける。ルチアナさんの声量は小さいが、天井が高いためか、結構響く。間に置いている小さいランタンの灯で、向かい側にいるルチアナさんの頬が輝いて見えた。

「気が遠くなりますね……。千年かぁ。なんで、そこまで人は信仰心を守ろうとするのか、私はずっと不思議で。私自身が無宗教者だから、理解できないのかもしれないけど。私は自由が好きです。自由に旅をして、写真を撮っていられれば幸せです。精神的にも、自由な状態でいたい」

ルチアナさんが、深い緑色の瞳でこちらを見つめている。

少し寒くて身じろぎした。分厚いマットの上で冬山用の寝袋に包まっていても、聖堂内の寒さは身に染みる。

「私は、宗教が怖いのかもしれない。私の心の自由が、圧倒的な力で制限されるのじゃないかと、思ってしまうのです。おかしいでしょうか」

ルチアナさんは、組んでいた腕を伸ばし、私の腕に触れた。腕を撫で、掌を優しく握ってくれた。少し戸惑いながら、握り返す。

「信仰というのは、自由と引き換えに、暖を取るという行為なのではと私は思うのです。何かを犠牲にしなくては、確かなものは得られない。それは絶対の、厳しい掟です。人は、どうにも心が凍えてしまう時がありますね」

ルチアナさんは少し黙り、悲しそうな顔をした。

「どんなに温かい場所にいても、孤独に冷え切ってしまう時が。その時、信仰が心を暖めるのではないでしょうか。冷え固まりかける心をどうにかしようと、信仰に自由を差し出して温もりを得るのです。こんな風に。私は今、片手の自由を差し出して、あなたと手を繋ぐことを選びました。あなたも今、片手の自由を捨てて、私の手を握り返してくれた。一人じゃちょっと、寒かったから。そうでしょう?」

じんわりと、握り合った手の中で温かさが行き交う。ルチアナさんはまた、微笑んでいた。あの女神のような微笑みだ。私は何か言おうと思ったけれど、胸が一杯で、結局何も言えなかった。


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