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風琴のお告げ #3/4


 にわかに風が走り、雨の礫が窓ガラスに撒き散らされる。パイプの灰を明け、新しい葉を詰めながら、先生は続けた。
「ハーモニカを介することで、風の音の言語のおおよそが理解されたのは僥倖でした。これで風読みがまじない師の気まぐれに負うものではないこともはっきりした(博士もわたしもちょっと疑っていたのです)。ただ、部族の言語に翻訳されたところで、『東の石は真っ赤に笑う』とか『猿は魚を棒で叩く』とか謎かけのような御宣託なので、その意訳は相変わらずまじない師の恣意性というか独創性に委ねられたままでした。彼の意訳はとてもシンプルかつは具体的で、『今日は男たちは西へ行き、女たちは洗濯を控え、家を掃除すべし』などと指示するわけですが、何がどうそのように翻訳されるのかという質問はタブーに属しました。いずれにせよ、日の出日の入りの一日二回、部落を渡る風はハーモニカを鳴らし、それを風のお告げとしてまじない師が意訳して風の人々に伝えるというのが、彼ら部族の習いとなっていきました」

 マッチの火をボウルの葉に近づけて、忙しなくひと吸いふた吸いすると、先生の眼前に真白い雲が棚引いて、あたりにアプリコットの香りが漂った。
「悲劇は前触れもなく出来する。ある朝、我々が部族の言葉に書き留められない風変わりな音楽をハーモニカが奏でましてね。風はランダムに吹くはずが、一時間近く、断続的に同じメロディーが繰り返されたのには我が耳を疑いました。こんな不思議なことがあるものかと固唾を飲んで見守っていると、ついにその日は朝にも夕にもまじない師はそのお告げを読まなかった。少なくとも櫓を見上げる部落の人々に、なにかを伝えることはなかった。いつにない沈鬱な面持ちでハーモニカの音に聞き入って、近寄る誰彼を手で制しながら、彼はひとり小屋にこもって風読みのとき以外、姿を現すことはありませんでした。

「明くる日の朝も夕も、櫓のまじない師のさしあぐる風琴は同じ一節のメロディーを繰り返した。じつに不可思議な事象です。記録に残すことが躊躇われるくらいに。そしてその明くる日もまた。するとその夜、首長の小屋の前の篝火は深更にかかっても消されることはなく、なにやら男たちは集まって密談するようで。そして翌朝。起きしなに我々が目にしたのは、広場に集結した百人からの部落の老若男女で、全身赤と黄の染料を塗った男たちは完全なる武装モードで、女たちは頭に大の荷物を乗せ、首に赤子を包んだスリングをかける者も少なくない、年若い者たちは荷車を引いて、そこにも山と荷を積んでいる。一夜のうちに風の人は部落を捨てる決断をしたということです。客人の我々は放っておかれたまま。まじない師に何事かと詰め寄ると、頭上を指差しながら、ひとくさりまくし立てた。わたしたちにいくつかの単語は未知だったにせよ、シュミット博士もわたしもまじない師が伝えようとしたメッセージの概要については一致しました」
 ふいに獣の金切り声のようなものが頭上にくぐもって聞こえた。しばらく耳を澄ましていて、屋根上の風見鶏が盛んに向きを変える音だとようやく心づく。過去に沈潜するような先生を呼び戻すようにして、わたしは聞いた。
「それは、なんだったのですか」
「世界の終わり、ということでした」

(つづく)

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