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風琴のお告げ #4/4完


「慌てて荷造りをして小屋を出たときには、部落の中央広場は森閑としていた。風の人に限らず、密林の民なら子どもであれ女であれ、驚くほどのスピードで物音ひとつ立てず密林を移動する。密林にあっては、彼ら一行に文明人と自称する我々が追いつくことなどかなわないのです」

「……それでも彼らの道行きの跡を辿りながら、セルバに野営すること三日、はたと行軍の跡が途絶えて、下生えやら灌木やらの荒らされ具合から、そこに予期せぬ騒擾の出来したことがわかりました。低木の大きな葉のかしこにペンキを撒き散らしたようにしてあるのは、いまだ乾き切らぬ血で。手分けして低木の葉や枝を山刀で切り落としていくと、やがて頭上が開けて、見渡すと高木の幹や枝の至るところに極彩色の大きな袋状のものが吊り下げられてあるのが認められた。ホエザルの鳴き真似のうまい研究員がひとりいましてね、このポルトガル人が口に両手を当ててそれの警戒音をやった。すると極彩色の蓑がたちまちほどけて、オオハシやらインコやらの派手な色彩の嘴や翼があらわになり、それら無数の鳥たちが慌てふためいて飛び去っていった。鳥たちに遅れて新世界猿たちが吼えながらこちらは樹冠のほうへ逃げ去りまして。そして現れたのが、蔦を縒って作られた縄に両の足首を結ばれて逆さに吊られた『風の人』の男たちの骸だった。一部皮を剥がれた死体もあって、拷問というより、密林の民の彫物を珍しがる連中がいて、これが高値で市場で取引される。ただ、皮剥ぎが目的だったか、それは不明です。事実は、風の人の男たちのほとんどが殺されて、そこに吊るされたということ。見せしめとみれば焼畑でセルバの奥地に進出してきているスペイン系ないしはメスチーソの仕業と見るべきですが、宗教的な意味合いがあるとも考えられるし、そうなれば部族間の抗争の線もある。しかしこんな残虐なことをする部族が密林に存在するとは、とても考えられませんでした」

「……そして、杳としてその行方の知れなかったのは、女たちそして子どもたちです。その後さらに三日探索してなお、彼らの道行きの痕跡はどこにも見つけることはできませんでした。殺されるより悲惨な末路をあれこれ頭に浮かべながら、逃げおおせたと信じるシュミット博士に異を唱える者は誰ひとりいなかった」
 押し黙る先生。戸外の雨風の音はいよいよ激しくなりまさり、予期せぬ嵐だった。わたしはそろそろ帰りのことを考えていた。日曜日の夜に指導教官の家に食事に招待されたとは、大学出でない二親には随分な栄誉のように思われて、わたしたちの関係などつゆとも想像し得ない二人は無邪気に喜んだものだが、さすがに終電の終わる時刻になっても帰宅しないとなると、同じ邪気のなさで心配するのは目に見えていた。先生の後ろの書棚にある真鍮の置き時計は、今まさに一時を回ろうとしているのを知らせていた。バンカーライトの灯りひとつでは、いかにも書斎は暗かった。うつむく先生の横顔の陰影はいよいよ深く、ふと眠っているのではと驚かれて声をかけた。
「……我々一行はやむなくミュンヘンに戻った。しかしシュミット博士は程なくして失踪した。おそらくはセルバに単身戻っていかれたのだと、わたしも含め関係者は皆確信しました。そしてその後は、今日に至るまで行方不明です。わたしたちのフィールドワークは結局頓挫せざるを得なかった。頓挫の顛末をも含めて論文として発表することも可能は可能でしたが、これは元々博士の論文のための調査でしたし、シュミット博士の名誉にかけて、風の人の末路について公にすることはなんとしても憚られた。彼はハーモニカを、その口風琴をまじない師に渡したことが、一部族のアルマゲドンを招来したのだと、それはそれは凄まじい自責の念に駆られていました。それをはっきりと否定する術を我々もまた持ち得なかった。たしかに完全なる客観性を要求される研究者の態度としては、学界から追及されるに足る案件ではあったでしょう。しかし西側諸国から持参される有象無象の贈り物は不問に付され、ハーモニカだけはけしからんなどと誰が言い得るものでしょう。シュミット博士の行方不明に事件性がないのは明らかですが、それでも警察は調査に乗り出しました。そして、あのことが……いずれあなたもシュミット博士について早晩インターネットでお調べになるでしょうから、彼の名誉のために先回りして言うのですが、あのことが、彼の晩節を(死んだと決まったわけではありませんが)著しく汚してしまった。しかしあれはまったくの誤解です。彼の研究室の鍵付きの抽斗から密林の部族の子どもたちの、研究名目からは明らかに逸脱した姿態をさらす写真の数葉が発見されましてね。博士が撮ったものとは限らないし、そのようなものを撮った何某から没収したものかもしれず、スキャンダルになりようもないはずが、博士に係累のなかったことが裏目に出たもので、本国では彼の謎めいた失踪と合わせ、とんだ醜聞として世間に騒がれてしまった。博士がそうした下世話の渦中におられなかったのが、せめてもの救いでした。しかし今もって悔やまれるのは、博士が黙って旅立たれたことです。わたしにお声をかけてくださったなら、取るものも取り敢えず馳せ参じたものを……。やはり人は心のうちまではわからない。必ずしもこちらが期待するように考えたり行動したりするものではない。そんな百も承知なことが、どんなに歳を重ねようと、相変わらず慚愧の思いにつきまとうのだから、歳の取り甲斐もないと言いましょうか……」
 わたしはすぐさま席を立ち、先生の支えになるべく彼の背後に回って再びその肩に手を添えた。わたしの手の甲を、その大きな手でまた包んでから、にわかにそれに力がこもった。
「いやいや、どうということもないのです。こんな雨の夜には、ふと心が頽れそうになることがある。でも自分で言うのもなんですが、老いとの付き合い方は、そろそろ手慣れたものになりつつあると、その自負ときてはそれなりになくもない。達観とは、無縁ですよ。お若いあなたに言っておく。老いと達観は必ずしも両輪ではない。強く己を持ち続けなければ、歳を重ねたところで、人はある箇所さえ突かれれば、容易に頽れるものなのです」
 そうして先生はうって変わって晴れやかな顔を上げ、机上に置かれた電話の受話器を取った。
「こんな夜に帰すわけにもいかないから、今日はうちに泊まりなさい。部屋ならいくつもある。ご両親にはわたしから連絡するから、電話番号を教えなさい」
 胸騒ぎがした。しかしわたしにそれを断る術はなかった。失礼になることを恐れてか、あるいは内奥で期待していた通りになったことへの気後れか。瞬時の躊躇いを見咎められないよう祈りながら、わたしは彼に電話番号を告げた。
「ああ、もしもし、田中様のお宅ですか。こんな時間に大変恐縮です。わたくし、田中恭司くんの指導教官の曽根崎と申します。先刻からの激しい吹き降りのためこちらに足止めされておりまして……ええ、ええ、それで、今夜はお泊まりになってはどうかとご提案差し上げた次第で。……いえいえ、迷惑だなんて、滅相もない……」

 彼がそれを、と言って手を差し出したので、わたしはそれを渡した。それを手に取ると、やおら口にやり、吹いた。それはそれは不可思議の音色、メロディーと呼ぶには躊躇われるような、聞く者を不安に誘わずにはおかないあやかしの和音。ひとしきり繰り返すと、先生は口を離した。あとには募る風の音。そして雨の音。
「それは……」
「世界の終わりとは、至るところにあるものなんですよ」
 先生は言って、何度目かの遠い目つきをした。

(おわり)

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