FouFou
日常の裂け目。退屈からの解放。
音楽に触発されて生まれたコント。もしくは情景素描。
読書とは、本という無数の寄港地にしばし停泊するようなもの。その場合、海とは人生である。そして読書そのものもまた、凪があれば、嵐もある、難所を越えることもあれば、座礁することもあるという点で、航海に似ている。長い時間の果てに、しみじみと一冊の本について振り返るとき、それはあたかも航海日誌を記すようなものではないか。
尽くさぬ美学。 切り詰める美学。
日本の近現代文学に多少慣れ親しんだ者なら、その正体については曖昧であるにしても、南京虫の字面くらいは少なからず目にしているはずである。 横光利一だったか開高健だったか、異国の安宿に泊まった作中人物が南京虫に咬まれて閉口する場面を読んでいて、それにしても度々目にするこの南京虫とはいったいなんだろうと、インターネットのイの字も聞かないはるか昔のこと、家にあった古い辞書をひもといて調べた記憶が鹿野にははっきりとあった。その説明では要領を得なかった少年の鹿野は、駅の便所などでたま
さる大手学習塾の広報宣伝部は、本郷にある雑居ビルのワンフロアを占めていた。パーテーションで仕切られた六畳ほどの応接間に通された赤崎と鹿野は、そこでかなり待たされることになる。前の会議が押していると、私服の上に会社支給のものと思しき紺のカーディガンを羽織った案内の中年女性が何度か顔をのぞかせて詫びた。幸先の悪さは明らかだった。 三十分ほどして現れた三人はしかし、名刺の肩書きを見るかぎりなかなかの顔ぶれだった。さきがけが専務取締役、続いてグループ教育本部長、そしてしんがりが広
二月の下旬には『一日一脳』と『一日一校』の入稿はなんとか果たされた。印刷は深圳の印刷屋が請け負う。入稿から三日後に空輸で「試供品」が送られてくる。段ボールにして三十個が、高円寺駅近くに借りた八十平米のテナントに積みこまれた。 さっそくモニタリングを実行することになり、レンタルの軽トラに段ボールを積載して千葉は市川にある介護施設「ぼぬ〜る」に向かった。「ぼぬ〜る」の所長のところへは、これより二週間ほど前に鹿野と清田は挨拶に訪れていて、本八幡の老舗の鰻屋で一番高い鰻重と一番高
市役所や政策金融公庫に融資を乞うべく事業計画書その他諸々の書類が整ったのは、結局年も明けて一月の末だった。事業計画と一口にいっても、会社の設立事由であったり、グランドデザインであったり、単年度の具体的な収支予測であったり、その他こまごまとした項目があって、それらの記載は結局鹿野が一手に引き受けることになり、記載したら記載したで各所で不備を指摘され、往復させられること度々だった。その他、会社登記やら謄本・印鑑証明の発行やら保険証の書き換えやらで年末年始はたださえ忙しい上に忙し
あの日、赤崎は酔っていた。 泥酔していたといってよかった。 そんな男の話をまともに受けるわけにはいかない。そうとわかっていながら、独立起業の四文字は、その後の鹿野にことあるごとにつきまとった。それこそ呪縛のようにして。いや、それはあまりに自分を偽ったいい方だ。譬えていうなら、暗い穴倉にはまって途方に暮れていたちょうどその矢先に、救いのロープが降りてきて、その先端が目の前でチロチロと躍るような塩梅だった。 鹿野は社内での将来を嘱望されながら、またそれ故か、さまざまなルー
赤崎から五年ぶりに連絡があって、今度のゴールデンウイーク中に日本に帰るからみんなで会おうじゃないかという。大事な話があるんだと。ついてはセッティングよろしくと頼まれて、鹿野が連絡した仲間は四人だった。赤崎の召集と聞いて清田以外の三人が保留し、前日までに三人全員の都合がつかなくなった。そのことを赤崎にLINEで知らせたが、既読はついても当日になっても返信はなかった。 当日は、月島のもんじゃ焼き屋を予約してあった。 集合時間になっても赤崎は現れなかった。ケータイにかけても
三女には生まれつき右手がなかった。 手首から先がなかった。 その「ない感じ」は、右手の先からいまにも消え入ろうという、その経過の中途のように見えることがあった。すると私は激しく狼狽えるのである。行くなと叫んで引き留めようとする衝動に駆られるのである。こちらの恐慌などおかまいなしに娘が顔を上げ、にこりと笑いかけてこようものなら、私は涙ぐまずにはいられなかった。 手のない腕の先端に、傷口のふさがれたような痕跡はなかった。皮膚と肉に覆われてぷっくり丸くなっていて、そこ
庭で子猫が鳴いていると、家人がいう。それも複数。どうやらここを縄張りにするハチワレが庭のどこかで子を産んだらしいと。 そう訴えるからには私に見にいけということですからね。いそいそと探索に参りまして、古い家ではありますが、縁の下などないし、床下に潜りこめるような破れ目もない。そういいきれるのは、前の住人がタヌキだかハクビシンだかの獣害に悩まされた経緯があり、床下や軒下の、鼠以下の小動物が入りこめそうな破れ目はことごとくアルミ板で厳重に塞がれてあったからで。念のため紫陽花や
あと数日もすると夏至だった。 募る躁のなかへ、鬱がかすかに紛れこむ。夏至を過ぎてからいよいよ夏は夏らしく盛るというのに、刻々と日は短くなりゆくことを思えば、それは否が応にも人生の暗喩である。そして思う、暗喩が暗喩でなくなる節目というのは、やはりあるのだろうと。 梅雨入りを聞かぬうちに猛暑日が続いた。日中は猛暑なのに、日が落ちかかると猛りははたとやみ、夕焼けは都度美しかった。庭の梅の実が全然生らないと家人と不思議がっていたら、なんでも今年は暖冬のせいで全国的に梅が不作な
篤子は中学生になる息子の制服がいかに高いか、その値段をいってみせた。たしかにそんな高いスーツを道夫は持ったことがなかった。体操着も高い。上履きも高いし体育館履きも高い。高いもそうだが、学校指定のそれを買わなければならず、聞いたこともないメーカーで、とても値段に見合った代物ではないと、アルコールの勢いにまかせて篤子はぶちまける。ちょっとモノが見てみたいと道夫がいうと、たとえばコレ、とその日の夕に購入してきたスニーカーの箱を取ってきて食卓の上に置いた。たしかに道夫もそのメーカー
……京都の天橋立でね、おっさんが転落したっていうね。なんかのニュースで見ましたよ。あすこ、「股のぞき台」なんてスケベな名のついた見晴らし台があるらしくって、背中向きに立って軀を折って股ぐらをのぞけば松の生う砂洲が天空に架かるように見えるってんで、なんとも日本らしいスケールの観光地なんですな。どうも昨今砂洲が細っちまって、コンクリートで固めてるなんて話もございます。で、くだんのおっさんが、股のぞきをしていたところうしろざまに転んで、これがころころ防護フェンスを突っ切って(なんの
その日の午前中に小五になる息子の奏多のクラスで野外観察が行われた。 子どもたちは学校の敷地に隣接する田圃に出向く。国民的唱歌に歌われた田園風景を再現すべく近年自治体のあつらえた田圃で、背後にひかえるこんもり山には古墳時代の横穴墓群もあり、一帯は地元の観光スポットになっていた。ぜんぶで六枚ある田圃のうち一枚が近隣の児童の啓発用に充てられたもので、五月の連休前、代かきの済んだ田の周辺に生う草花や集う昆虫を、子どもたちは支給されたタブレットのカメラで撮影し教室に戻って調べるとい
「シフォンにブルーベリーがたくさんついてる」 下の娘がいうのを、野崎は気にも留めずにいた。犬に極力近づきたくなかった。それは忌避の感情にほかならなかった。なぜなら、犬の死が近いと野崎は予感するから。 腹を撫ぜていて、しこりに気がついた。気がついて、野崎は暗澹となった。犬にとっては監禁生活と変わらぬ十年が、いまさら思われたのである。長男がダダをこねるのへ、きちんと世話をするならと飼うのを許したのだった。近所からもらわれてきた雑種犬だった。しかし息子が犬に情熱を示したのもほ
二月に入ってしばらくして、個人のLINEでモチダ夫人から連絡があった。サシ飲みの誘いだった。しかし亜紗美はそれどころではなかった。 小六の長男が中学受験に失敗した。模試の最終が去年の十二月で、その時点で合格率五十パーセントを越える志望校は一校もなかった。それでも亜紗美は、一月いっぱい学校を休ませて朝から晩までつきっきりで過去問に取り組ませれば、一校くらいなんとかなるだろうと信じて悲観しなかった。工学部上がりの夫に土日は算数と理科を見させ、亜紗美自身は社会の小テストを大量コ
今年は幼稚園でのクリスマス・パーティーは行われないことに決まったと、木曜日の朝にグルーブLINEで通知が届いた。理由は添えられていなかった。実施一週間前というタイミングでの突然の告知だった。「えー、マジ、どうして?」「何かあったん?」「子どもたち、超楽しみにしてたのに」等々、ママたちからの返信がいっせいになされたのも当然で、なのに発信元のモチダ夫人はその日一日既読スルーを貫いたのだった。 翌日の昼過ぎにスマホを覗いた亜紗美は、LINEのバッジが「5」と表示されているのを
Ⅰ-6. 納戸に南京錠がかけられ、庭にアライグマが降臨する。そして自警団による攻撃の狼煙が上がる。やがて龍の甕から龍が飛び立つ 🦇 いつのまにか納戸の扉に南京錠がかけられていた。それではそこが父と母の居室になったかといえばそうではなく、二人の寝起きする部屋は、居間の東側に隣接する八畳間で、うなぎの寝床のように細長いと思われる納戸と壁一枚で仕切られていた。ちなみに姉妹は、居間の南側に続く八畳間を共有した。 引っ越してきて早々に、二親は部屋を仕切る襖をほとんどすべて取