南京虫 3/7
市役所や政策金融公庫に融資を乞うべく事業計画書その他諸々の書類が整ったのは、結局年も明けて一月の末だった。事業計画と一口にいっても、会社の設立事由であったり、グランドデザインであったり、単年度の具体的な収支予測であったり、その他こまごまとした項目があって、それらの記載は結局鹿野が一手に引き受けることになり、記載したら記載したで各所で不備を指摘され、往復させられること度々だった。その他、会社登記やら謄本・印鑑証明の発行やら保険証の書き換えやらで年末年始はたださえ忙しい上に忙しかった。鹿野にとっては苦手科目の事務処理に加え、比較的得意とはいえるクリエイティブな科目、たとえばホームページの作成や会社のロゴやマークの作成なんかも並行しておこなった。ちなみに清田は、テナントの物色とオフィスの設計および必需品をそろえるにあたっての予算作成を一任された。
予定では四月からの事業開始だった。さしあたって単価の安いノベルティを中国の工場に千単位で発注し、人脈を活かした販路でもって捌くという事業の青写真は出来上がっていた。しかし一月の末になっても、肝心の「なにを」「どこに」売るかについては、赤崎の決断待ちになっていて、その赤崎がなかなか決断しなかった。いや、「なにを」の部分はモノとしてはすでに決まっており、早い段階から鹿野が提示したあまたのサンプルのうち、「この一択でしょ」と赤崎が譲らなかったものがあって、それというのが「日めくりカレンダー」だった。もちろん単なる日めくりカレンダーではない、三百六十五枚の用紙一枚いちまいは、日付、曜日、七曜、月齢、星占いのほか、半分以上が余白になっており、格言やら箴言やら蘊蓄やらを印刷できるようになっている。この余白をどのような情報で埋めるかでおのずとターゲットも決まるわけだが、これには二案あって、どちらにするか、赤崎はかれこれひと月以上考えあぐねているのだった。
鹿野は、高齢者をターゲットに、脳のアンチエイジングを謳うパズルやクイズなどをプリントすることを提案した。その名も「一日一脳」。いっぽう、これは清田の案で、「一日一校」という商品名で、中学・高校入試の問題を一枚ずつ掲載していくというもの。こちらは「計算編」「漢字編」「図形編」「日本地理編」「歴史年号編」「理科の知識編」等々、幾通りものバージョンが考えられた。どちらにせよ、三百六十五通りのパズルならパズル、問題なら問題を選定あるいは考案しなければならず、四月頭から販売するのであれば、二月中に中身を校了し、遅くとも三月の第一週までに工場へ入稿する必要があった。それにしても一ヶ月で三百六十五個のオリジナルのネタを確保するとなれば、一日あたりおよそ十二個のそれを捻出しなければならず、これを現職と並行して行うのは、年度末の繁忙期を思えばまず不可能だった。
昨年の夏以来、赤崎は多忙を極め、年末年始の帰朝すらままならなかった。会社側には規定通り新年度開始から遡って六ヶ月前きっかりに退職の意向を伝えたというが、ひょっとすると円満とはいかず、あれこれ無理難題をふっかけられているやもしれないと鹿野は危惧した。
翻って鹿野は八月中に退職願を会社へ提出し、滞りなく受理された。慰留すらされず、そのことを寂しいともなんとも思わなかった。これは鹿野が退職してから半年近くのちの話になるが、四十代五十代の社員を集めての地区別会議で、会社は「独立支援」を通達し、その際に一例として鹿野の名前が挙げられたと、人伝に聞いた。会社が鹿野の独立を支援したことになっているらしい。ちなみに早期退職者の募集はとうに数年前に実施済だった。上積みされた退職金で退職希望者を釣ろうにも、もはや金策は尽きていた。そして鹿野が去ってから一年後、噂通り会社は某大手企業に身売りした。
正直、いまどき「日めくりカレンダー」で三人の糊口を潤せるとはとても鹿野には思えなかった。赤崎も清田も独身だからそれなりに辛抱は利くだろうが、鹿野は所帯持ちである。しかし赤崎にいわせれば、不安を抱くこと自体が論理的な帰結としてあり得ないということになる。たしかに逡巡すればするほど、不安につけ入る隙を与えることになる。だから逡巡している暇などないのだった。やるからには抜かりなくやる。それだけだった。年末までに赤崎が結論を出さないとなったとき、鹿野は清田に持ちかけて、「一日一脳」になろうが「一日一校」となろうが、すぐに動けるよう、前者は鹿野の、後者は清田の責任で、正月からネタ集めに邁進するという話にはなっていた。
睡眠時間も削り、休みなく働いた。しかし辛いということはなかった。なんとなれば、忙しさのうちに鹿野は久しく覚えなかった労働の楽しさを見出していた。夢などないが、希望があった。
自由。
そうだ、自由だ。
年度末退職を選択した鹿野だったが、最後の一ヶ月は有給休暇の消化に充て、実質彼の退職日は二月末日となった。
珍しくその冬、鹿野は風邪をひかなかった。
二月にようやく一時帰国の機会を得た赤崎とは、某日の日曜日に高円寺駅で落ち合うことになった。清田一推しのテナントが界隈にあって、それを内見したあとに食事をしがてら起業の打ち合わせという段取りだったのが、赤崎のほうの用件が片づかず十六時には間に合わないとなって、結局物件は鹿野と清田の二人で見にいった。駅前のファミリーレストランで待つこと三時間、二十時を回ってようやく赤崎は現れた。深草色のトレンチコートをやさぐれふうに羽織り、リーゼントで固めた髪は何本か額に垂れ落ちて、いかにも憔悴しきっているように見えた。
挨拶もそこそこに、赤崎はこう切りだした。
「ごめん、俺、四月頭からはおまえらと合流できないかもしれん」
聞けば、案の定会社と揉めているらしく、年度更新時の退職は危ういという。しかし解せない話だった。社員十人にも満たない小さな会社だから、主力の赤崎が抜けるのに対し、相応の慰留がなされるのは想像に難くない。にしても、いまさら情に絆される赤崎ではないはずだ。あるいは退職金の有無、もしくはその額をめぐって、赤崎のほうから会社側へふっかけているのだったか。
「出張先で会社のノートパソコンを失くしたんだよ。てか、盗られたんだ」
ようやく赤崎はいった。昨年の九月から赤崎はオーストラリアと香港をひっきりなしに往復した。会社がシドニーに支店を出すことが前々から決まっており(そもそも赤崎の発案だったらしい)、その立ち上げを一任されていた。で、今年の一月の頭、赤崎は香港の空港でパソコンを失くした。正確には、搭乗ゲートへ向かう途中で忘れたことに気がついて、慌ててロビーに引き返したが、時すでに遅しだった。で、ラップトップを失くしたと社長に報告すると、社長の顔色がみるみる変わった。社長は赤崎のいい分を信じなかった。あれには会社の全情報が入っている。そしてあなたは三月の中途で会社を去ろうとしている。このたびの紛失を偶然であると片づけるのは、ちょっと無理がありはしないか。
全共闘崩れの社長に対し、腹に一物なくはないにしても、ひとかたならぬ恩義を感じている赤崎は、その疑いの晴れるまではおいそれと退職などできないといった。
「疑いを晴らす? しかしどうやって。まさか、紛失したラップトップを探しだす?」鹿野はいった。
「それに越したことはないがね。色々と向こうの警察には動いてもらってるが、アテにはならん。しかしまずは必死に探している素ぶりだけでも示さんことにはな。まあ、Macだから第三者にデータを閲覧されたり抜かれたりする心配は万に一つもないわけだが……。社長の気の済むまでというかね、それなりの埋め合わせをしながら、許してもらうしかない」
「いや、そんな、無責任な」
「すまん。ただ、社長とは後腐れなくしておきたいんだ。今後世話になるかもわからんし」
「じゃあ、開業時期をずらす?」
「なんで?」
「だって、君、四月になっても帰国できないかもなんだろ」
「だから?」
「だからって……」
「せいぜいひと月ふた月俺の合流が遅れるからって、開業自体が滞るって法もないだろ。ここまで三人の総意のもとに動いてきたわけだし、香港にいたってやれることはある」
「……しかし、肝心のなにを商品にするかについては、詰め切れていない」
「なぜ?」
「いやいや、それはアカちゃん、君がさ、最終決定をペンディングしてるから」
「俺の? なんで? なんで、俺の決定が最終決定なん?」
「いや、だって、ちょっと考えさせてくれって、いったろ?」
「いったさ。だから? それで、まさか、今日まで催促もしないでただぼーっと待ってましたなんていわないよな」
「もちろん。どう転んでもいいように、キヨと私で手分けして原稿は作ってある」
「どう転んでもいいようにって……おまえらさ、今度は下請じゃねえんだから。俺たちもはや一人ひとりが取締役なの。わかる? 受け身じゃダメなのよ。これを売るんだっていうさ、信念じゃないよ、確信よ、これが売れるんだっていう確信に基づいて商品設計してますかって話だよ。あれだ、鹿野、おまえ、どーせ日めくりなんて売れねえって、どっかで思ってんだろ」
「いや……」
「いや、いいんだよ。三人でやるんだ、誰かは慎重であるべきだし、それがセーフティネットになるんだ。どうせおまえのことだ、ほかに根回ししてることがあるんだろ」
「うん、まあ……」
「抜け駆けか」
「まさか。こんなもの、新しい業態でもなんでもないが、チラシとフライヤーの請け負いで当座を凌げないか検討している。なにせ市場は全国だから。リソグラフの中古ならツテもあるし、事務所一つあれば仲介を入れずになんとかやっていけるかもしれない。そこに、オリジナル日めくりの作成も乗っけていければと」
「さすが。あいかわらず抜け目ないな」
ニヤリと笑った赤崎の顔を見て、結局はこの男の手のひらの上に乗せられている自分に鹿野は気づくのである。清田は一言も発せず、ただただ頷くばかり。訳知りな感じを装うが、チラシ印刷の話はいわば鹿野の最終手札であり、清田とも共有していなかった。清田がどう思うかについては、鹿野の忖度外だった。
「しかしあれだ、清田の『一日一校』は子ども向けに見えてじっさいのターゲットは教育ママさんだ。教育ママは金払いはいいが、需要は首都圏に限られる。いっぽうの鹿野の『一日一脳』は、ターゲットが高齢者で、全国区の商品にはなり得る。いまや六十五歳以上の人口は全体の三割に迫る勢いだ。しかし年寄りは総じて金払いが悪い。自身の延命につながる商品とわかれば出し惜しみしないだろうが、そのあと押しは結局テレビに委ねられる。しかしテレビで宣伝広告を打つのはまったくもって現実的ではない。さてどうするか。考えあぐねて当然だと思うがな」
「その件だけど」
ここで初めて清田が口を開いた。
「僕に任せてくれないかな」
「よきアイデアでも?」赤崎は口調に侮りを隠さなかった。清田を手で制して店員に声をかけると、ビールのジョッキを三人分注文した。「私は飲まんよ」と鹿野が眉を顰めると、「俺が二人分飲むんだ」といって赤崎は肩をそびやかした。
「で?」
「うん。僕が二十年お世話になった学習塾ね。総武線の千葉側沿線に五つばかし教室を展開しているローカル塾で、そこが去年M&Aをやって、通所介護の事業に乗りだしたのね。僕も塾長から正社員で雇ってやるから介護士の免許を取れっていわれた口なんだが、独立開業するんで今年度限りで辞めますっていったら、えらい応援してくれてね。できることがあったら手を貸すっていわれたんで、日めくりのことちょっといったら、だったらうちでモニタリングしたらっていってくれて」
侮るがゆえの破顔ともいえる大仰な笑い声を立てて赤崎は清田の肩を抱いた。
「渡りに船とはこのこと、いい話じゃないの。お主もなかなかやりおるな。やはり日頃の行いというやつは馬鹿にならなくて、世間は縁で渡ってくもんなんだ。よっしゃ、そいじゃ、今月中に両方のサンプルを百部ほど上げてさ、塾長さんのお言葉に甘えて、市場調査をさせてもらおうや。三月に結論出して、予定通り四月に開業する!」
生ビールのジョッキを手にすると、交互に煽って、「一度これがしたかったんだ」と赤崎は負け惜しみみたいなことをいった。
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