見出し画像

都知事選を振り返る

なにかと話題に事欠かなかった都知事選も明けて一カ月以上が経ちました。皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。巷は相変わらず興奮の余波のなか醒めやらぬ夢を見続けているものでしょうか。それとも負ければ誤審だ差別だと騒ぐ心理構造にすっかり毒されて、男っぽい女(あるいは女っぽい男)を見かけ次第その背に向かってえんがちょポーズを決めて悦に入ってるのではありますまいか。はたまたウクライナはこれでもクライナとばかりにロシア国内へ侵攻したというし、イランにイランことしてイスラエルは五度目の中東戦争を構えようとしている。そろそろ皆さまも世界情勢に乗じて我が国民が定期的に襲われる「トイレットペーパー買い占め衝動」に駆られてうずうずし始める頃合いかもしれませんが、それに先んずるように東京都内のスーパーというスーパーから米が消えましてね、サトウのごはんしか店頭に並んでいないというこの体たらく。都政はなにをしておるのか。まあ、こういうときこそ大きな声を持つはずの肝心の年寄り層がふだんからもっぱらサトウのご飯に頼りきりなんで、都内の深刻な米不足に気づかない。気づかないから足元で火が上がっているのに対岸の火事と決め込んでテレビを食い入るように見て同情している。若者は若者で「米がなければ麦を食う」と割り切って、パンと麺しか勝たんとかなんとかいいながらなんの痛痒も感じていない。それでもいまふたたびの米騒動をも辞さぬと鼻息荒い層が一家の四十前後の主婦らを中心に一定数いるにはいて、人知れずしゃもじを磨きながらきたるXデイに備えておりましたところが、現職の総理が九月退任を表明されまして、これでようやっとクリーンで本格的な正当ならぬ政党政治が実現するやもしれぬと桃色未来が見え始めたその矢先、お祭り気分に水差すこの台風本土直撃の一報。野分荒れ、傘はあっても、米がない。

それはさておき都知事選。振り返れば、なんやかんや言われつつも待てばカイロの日和ありとばかりに三密を避けた現職は全得票数の60%をさらって再再選を果たし、あれだけ二位じゃダメなのか二重じゃダメなのかと連咆した国政経験者は満面の作り笑いをそのままこわばらせて三位に甘んじ、大方のオジオバ評論筋の下馬票を覆す形で石丸電気が二位につけたのはYouTubeの功績ともいえるし伝説の選挙参謀の力ともいえるのだがいずれにせよこの結果は「でっかいわー」と巷間の誰しも思ったのではなかったか。石丸電気についてはいわゆる「石丸構文」以上に、さる国内屈指のコーヒーチェーンの創業者をはじめ、いわゆるアベトモ系の実業家連が後援者として名を連ね、最近も国内最大手の衣料メーカーの社長兼会長との破談した密会が報じられるなど、日本経済界の新興勢力の動向が透けて見える結果となったのは一番の収穫ではなかったか。しかしこのたびの選挙を振り返りましてね、ワタクシが一番に憂うのは、回を重ねるごとに増え続けるいわゆる「泡沫候補」の存在です。今回もジョーカーやらラッパーやらセクシー系やらが名を連ね、政見放送ではもうやりたい放題。選挙ポスターの掲示板ジャックなんてのも話題になりました。売名行為等の不純な理由での候補者の乱立を防止する策として、我が国は供託金制度を採用しており、都知事選の場合これが三百万円で、有効投票数の十分の一に満たなければ選挙後に没収されるという仕組み。ちなみに供託金制度を採用している先進国は日本とイギリスのみで(そのイギリスも五百ポンドで日本円にして約十万弱)、他国は一定数の支持者の署名を集めることを立候補の条件とするらしい。破格に高い供託金を課したところで泡沫候補の乱立は防げないとは今回の選挙で明るみになったと見るべきで、そうなると、このふざけた候補者の乱立こそは、現状を変えたいと日頃から思っている少なからずの真摯な有権者の、「現職のほうがまだマシ」という反動を誘発するのも無理からぬことではあるまいか。じじつ、NHKのサイトの「政治マガジン」掲載のアンケートによれば、「"小池氏に投票"その主な理由は?」の回答の一位が「他の人より良さそうだから」で25%を占めている。まあ、泡沫候補の乱立とは、現状なんてどうしたって変えられやしないという諦念からくる、ある種の末法思想的な現象なのかもしれませんが、それはそれで目先の生活に明け暮れる市民にとっては傍迷惑な話なんで、少なくとも公共放送の場で仮装をしたりフェロモン発したり壇上に土足で上がったりはしたない言葉を使ったりせず、都民が常日頃から感じている不平不満をふつうの言葉で代弁する「真っ当な」候補者が五、六人ばかり立っていれば、現職は危うかったかもしれないし、都政の本当の問題点が浮き彫りにされ、国民の多くに刻印されたかもわからない。なにごとも真面目にやりなさいといいたくもなるのです。

いい加減選挙のほとぼりが冷めるもなにもないようですが、「石丸構文」なる用語がいまだにネット上でチラホラするあたり、ひょっとするとテレビが得意の「自虐と懐柔」を発揮して石丸氏をバラエティ番組なんぞに呼んでイジり倒しているのではないかとも推察というか危惧されるのですが、なにぶんテレビを持たないワタクシには確かめようもなく、またその辺の消息をネットで調べようという気概ももはやございません。ではなんでいまさら都知事選のことなんぞ蒸し返すのかと申しますと、先日中学校の同窓会がございまして出席しましたんですが、席上、「たまかくさ(多摩格差)」の話がポロリと出ましてね。
「あー、あれを初めて耳にしたときは心臓止まるかと思ったよ」
「わたしも。やなこと思い出さすなよっつーて」
「ほんとに」
そうボヤくのはもっぱら男連中で、ご婦人連は上品に口元を押さえ、うつむいてくつくつと笑っている。と申しますのもワタクシどもの地元多摩ではタマの大きさこそ男の絶対的価値だったんで、往時は放課後の校庭にずらり横に並ばされて、女子たち一人ひとりに握々にぎにぎされまして品定めされるなんてのは日常茶飯だったんでございます。こうして構築された学内ヒエラルキーにおいて出来した問題こそは「タマ格差」。タマが大きければ大きいほど女子にモテるはおろか内申にも影響して進学先を決定づけ、小さいタマの男子は身の置きどころもなかった。そしてワタクシはタマ格差に苦しんだ口だった。それを、公キン投じてタマ格差を是正するとかなんとか候補者が熱弁振るうのを耳にし、時代もそこまできたかとワタクシも感慨ひとしおでございました。やはりタマありとタマなしとではおのずと発想が違うものだと感心したものです。
「久しぶりにして差し上げましょうか」
いいだしたのは学内屈指のアイドルだった片瀬松代で、独身を貫いて、還暦近い年齢ながらいまだ容色衰えず、彼女が話しだすと男らは皆つい聞き耳を立ててしまう。やりましょう、やりましょうとご婦人連はたちまち黄色い声を上げてはしゃぎだし、ためらうものか立ち上がること自体にわかにできかねるものかもはやわからぬ男連中一人ひとりに手を差し伸べて貸切の座敷の壁際に一列に並ばせた。右端から左端へ、片瀬松代を筆頭に女たちは神妙な顔つきしながら入念に握々して移動していき、全員がし終えると、隅に円座し鳩首してなにやら侃侃諤諤やる模様。男たちはなんだか傷ついたような白けたようになって、よろよろとまた座りつくと、互いに差しつ差されつ盃を交わしながら、話柄は今般のオリンピックへと移っていった。
「一番が決まりました」
片瀬松代が声を張り、男らはやむなく話を中断して顔を上げた。一番といわれた男はそれでも嬉しそうで、優勝の弁を求められて立ち上がると、自分は中学生の時分はタマの小さい部類だった。歳を経て、大きくなって帰ってまいりました、そういって深々と頭を下げた。
「ビリも決まりました」
そうして名指しされたのが、ほかでもないこのワタクシでございました。タマ格差の亡霊が、四十余年の月日を経てワタクシを絡め取るの図。ビリのスピーチを求められ、タマが小さくとも子を四人となして皆立派に育ちましたなどと嘘ではないながらいかにもおざなりな挨拶をした次第。ビリはさらなる「特典」として一次会の飲食費すべてを持つこととなった。帰りしな、そんなに小さいのかよと好奇心に駆られた旧友が三、四人寄ってきて、記念に触らせろといい募り、減るもんでもなしかまわんよとなってむろん服の上から探らせると、
「おい、よほど俺なんかより大きいぞ」
「ほんとだ」
「むしろ大きい部類でないのか」
と口々にいって首を傾げるのでありました。考えてみればタマの大小は女たちが握々の感触を持ち寄って協議の末決めるのであり、客観的な指標など昔からなにもないのでした。女たちの匙加減一つだったわけです。なんともキツネにつままれたような感じがしたものでございましたが、さらに穿って考えるに、最後に触らせろと集まってきた男たちこそいわゆる「かませ」というやつで、ワタクシの男を立てるために共謀してついた嘘だったのではないかと思われなくもない。それが証拠に、ワタクシは誰のキンタマをも握らせてもらったわけではありませんでした。

政治もまたこんな化かし合いの上に成り立っているものかと思えば辟易いたしますが、清廉潔白ばかりではなかなか理が立たないというのもこの歳になってみますとわからないではない。タマ格差もそういう意味では、必要悪かもしれないなどと思う今日この頃です。まだまだ残暑も厳しいおりから、皆さまにおかれましてはくれぐれもご自愛くださいませ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?