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南京虫 7/7

新規に起こした会社の事務所にトコジラミが湧き、鹿野と清田はその駆除に追われる。それを尻目に、当人散々蟲に喰われているくせに、我関せずを貫く赤崎。どころか、自分がトコジラミを持ちこんだ張本人であるかのような鹿野の口ぶりにすっかり臍を曲げ、トランクを開けることを断固拒絶する。本人いわく、トランクの中身は汚れ物の山だとのことだが、好奇心を募らせた鹿野と清田は、赤崎の許可なく禁じ手の錠前破りをしてトランクをついに開けてしまう。

これまでのあらすじ


 トランクのなかから現れたMacBookが、赤崎が香港の会社から貸与され、のちに紛失してトラブルの原因となったそれであるかは、むろん鹿野や清田にわかろうはずがなかった。富士通のラップトップに鹿野は見覚えがあった。しかしMacBookにはなかった。十中八九、赤崎が前の会社から盗んだそれであろうと疑いながら、確信は持てなかった。
 だからこそ鹿野は賭けに出た。緻密な計算が働いたなどとは到底いえない。それはほとんど直感だった。清田が原状に復そうとするのへ待ったをかけた鹿野は、敢えて開錠したままトランクの蓋を閉じるよう提案した。清田はおそらくその意を汲んだ。だから抗わなかった。そしてその日も鹿野と清田は事務所には泊まらなかった。
 翌日、鹿野も清田も九時過ぎに相前後して事務所に到着した。前日に申し合わせてのことだった。それまでに二人のスマホに赤崎からの連絡はなかった。戦々恐々としながら高円寺まで来た二人だったが、激昂する赤崎と対面することはなかった。室内はほとんど前日のままだった。トランクがないことを除いては。
「やっぱりあれ、盗品だったんだね」
 清田がいった。そうだろう。十中八九そうだろう。そして我々がこのような形でそれを知っていると暗に彼に知らせることは、非難がましくはあれ、我々があくまで彼の味方であるのを知らせるのと同義であるはずだった。我々には彼の弁明を聞く用意があったのだし、なんならその権利を主張してよかったのである。あるいは仮にあのMacBookが彼の私物だったとして、信頼を裏切られたからと黙って出ていくのは、彼の流儀にいかにもそぐわなかった。友情が不可逆的に壊れるにしても、最後の一槌を喰らわすのはなんとしても自分であると譲らないのが鹿野の知る赤崎という男だった。責任の所在を曖昧にすることなどあり得なかった。いずれにせよ、彼の不在は鹿野の予想の範疇ともいえたし、大いなる誤算ともいえた。
 そして彼の不在は、紛れもなく彼の非難だった。なんに対しての? そう、敢えていうなら、永遠の馬鹿を装おうとはしない我々の凡庸さへの非難であり、もっといえば哀しみだった。
 赤崎とは二度と会えない予感がした。
 そしてその予感はおそらく正しかった。

 起業して三ヶ月と経たないうちに早くも自分たちは空中分解するのかと思うと、鹿野は情けなかった。そして虚しかった。この虚しさは、辞めた会社を見限るさいに感じたそれに、遠からず通じていた。鬱の森はときとして甘やかな芳香で人を誘う。それに身を委ねたが最後、なにもかもが失速する。思考の回転数も、感情の周波数も、心臓の拍数も、そして時間そのものも。
 しかし彼の経験則がそれを許さなかった。三人いて三等分されていた不安が二人になって二等分されたまでで、現状は良くも悪くもなっていないとまずは自分にいい聞かす。そして鬱の森の芳香など嗅ぐ暇がないよう、おのれを忙しくさせる必要があった。足を使うに勝るものはない。ここは東京、繁華な駅前など腐るほどあるし、それを闊歩すれば、昨日今日開店した店などいくらでも見つかる。縁を求める人がそこらじゅうにいて、縁を売りたい人がそこらじゅうにいる。縁の使者でございってな顔をして、おずおずと店に入りこみ、せいぜい頭を下げながら、名刺と業務概要を記したリーフを受け取ってもらえれば御の字だ。歓迎されても相手は天使の化身、邪険に扱われてもそれはそれで天使のまた別の相貌と割り切るこの心意気。これで家族が路頭に迷わずに済むと思えば、それ以上の正義もないわけで、怖いものなどなに一つないのである。
 かたや清田は、前職の縁を大事に大事に育てるスタンスを貫いて、ほとんど慰労者のようにして日々「ぼぬ〜る」各所へ飛んだ。そして頃は六月の某日、こんな話が舞いこんだといって清田は鹿野に相談を持ちかけた。
「『ぼぬ〜る』の例の市川事業所に倉橋さんという飛行機整備士をされていた男性がいて、この人に『あんた、ほんとうはなにがしたいんだね』と聞かれてさ。そうですね、いつかこじんまりした町塾でもやって、のんびり暮らせたらいいですねなんて話したら、自分をぜひ雇いなさいよと真顔でいう。自分は数学なら高校生まで教えられると。するとこちらの話を聞きつけたほかの方々も、自分は絵なら教えられる、自分は俳句なら教えられる、自分は料理なら教えられると名乗りを上げて、ほら、車椅子のゲンさんって覚えてる? 彼なんか、投資のコツなら教えられるなんていって、やいのやいのとあの日はずいぶんみんなして盛り上がってね。しかし話はそこで終わらなかった。僕が近々塾を開くのらしい、ついては『ぼぬ〜る』の利用者を講師として募集しているなんて怪情報が出回って。それで実松さんに呼び出されてね。なにを企んでるんだってお叱りを受けて。向こうにしてみれば、そんな噂、施設の利用者の引き抜きと疑っても無理はない。僕はだから言下に否定して、市川でのことを心当たりとして伝えると、ああ、なるほど、なるほどねえ、とそこでやっと実松さんの気色も変わって」
 後日、実松からまた連絡があって、うちと提携しないかと清田は誘われたのだった。高齢者の「生き生きプロジェクト」の一環として、講師を高齢者に限ったカルチャーセンターのようなものを立ち上げようと考えている。塾と称してもかまわないが、あくまで講師を請け負う高齢者が主役。こちらの青写真としては、各々の得意分野に応じた講座を、数回で完結する形で不定期に提供する箱をイメージしている。ついてはその箱の立ち上げと運営とを、そちらで請け負ってはもらえないか。初期投資についてはこちらが負担するから、心配には及ばないと。
「施設の場所もいくつかの候補から僕らが決めていいっていうし、箱のネーミングも任せるっていうんだよ。運営を任すっていうんだから、もしこの話を請け負うとなれば、講師の雇用から、講座内容の決定とその準備、それから宣伝告知とやるべきことは多岐にわたる。しかし君さえゴーなら、やってみる価値はあると思うんだ」

 縁は異なもの味なものというが、なにも男女のそれに限ったことではないと、清田はつくづく思うのだった。講師の採用面接に訪れた高齢者の面々を、清田は生涯忘れないだろう。華々しい歴を滔々と語る人もいれば、言葉少なに踏ん反り返る人もいる。緊張のあまりオロオロする人もいれば、かえってこちらを質問攻めにする人もいる。自分の父や母はどの部類だろうと清田は想像した。その想像は、必ずしも楽しくないわけではなかった。
 面接会場として借りた公民館の一室に、倉橋さんは奥さまにつき添われてやってきた。奥さまもときどき市川のデイサービスに通所されることがあって、清田とは顔馴染みだった。廊下で二人してあらぬほうへ歩き出そうとしているところを、室から顔をのぞかせた清田がたまたま見つけた。
「こっちですよ」
 父さん、と危うく呼びかけそうになる。
「ああ、清田くん。よかった。会えて、よかった。時間、間に合ったかな」
「大丈夫です」
 ふだんの倉橋さんは、白の洗いざらしのワイシャツに、おそらくは引退するまで履かれていたグレーのツータックのスーツパンツというのが定番だった。しかしその日の彼のコーデは、仕立ての行き届いたツイードの上下にモンドリアンを思わせる図柄の派手なシャツ、頭には矢絣柄の茶のハンチングを被って、目を瞠るような洒落者だった。
「素敵なお召し物ですね」
 清田がいうと、奥さまが引き取って、
「みんな子や孫からの贈り物なんです。まるでパッチワークみたいですねって笑ったら、お父さん、機嫌を損ねてしまって」
「なかなかイナセですよ。今風にいうと、ちょいワルみたいな」
 清田さんに褒めていただいたんじゃ、お父さんも、嬉しいわね、と奥さまがいうと、うん、嬉しいね、と倉橋さんはいった。
「お父さん、面接頑張ってくださいね。私、隣りのお部屋で待ってますからね」
 面接会場に入りしな、倉橋さんはつと立ち止まり、清田の耳元に口を寄せていった。
「これ、全部が孫と子らの贈り物じゃあないよ。帽子はね、還暦祝いの妻からの贈り物。あれはね、そのことを忘れてるの」
 奥さまは倉橋さんの姿が見えなくなるまで廊下にいて、いつまでも小さく手を振り続けていた。

 箱の名前は清田の発案で「探Q工房たんきゅうこうぼう」と決まった。場所はこのさい同じ市川がいいだろうと迷いはなかった。JRの駅からは少し離れるが、江戸川を見晴るかす国府台の土地に、格好のテナントが用意されてあった。
 そして七月。子どもたちの夏休みの初日に合わせて、その日を開校日とした。初回講座は倉橋さんを講師とする「飛行機はなぜ飛ぶのか」。一日で完結する講座だが、倉橋さん渾身の、座学と実学の二部構成。唯一の懸念材料は、おりからの猛暑である。昼時を避けるべく十四時開始としたが、ここ数日は連日の猛暑日で、熱中症で高齢者や子どもが倒れたとのニュースは引きも切らない。
 申込の受付開始から三日後には、講座は定員に達していた。実松の塾の子どもたちの動員はやはり大きい。しかし県外からのアクセスも少なからずあった。ぼぬ〜るの利用者たちもそれなりの動員をかけた模様である。鹿野たちはブランディングの観点から思い切って有料講座としたが、準備にかかった費用はもとより、講座参加者に渡される「お土産」の質を考えても破格の安さだった。もちろん会社としては赤だ。三十人の子どもたち、つき添いの保護者を含めれば五十人を超えるかもしれない聴衆を前にして、倉橋さんが首尾よくパフォーマンスできるかどうか、鹿野と清田の今後の成功は、そこに賭けられているといってよかった。
 当日飛びこみで来た子どもたちを無碍に帰すわけにもいかず、そういう子らを含めて会場は立ち見の満席となった。最後列には「ぼぬ〜る」の面々が陣取っている。
 講座の開始が清田によって告げられた。倉橋さんは、例の子と孫そして奥さまの真心のパッチワークに包まれて登場した。挨拶とそれに続く自己紹介から早くも倉橋さんの声はうわずって、聞いているほうがハラハラするくらいの緊張ぶりを示した。会場のうしろの壁際に立って鹿野と清田が控え、彼らに並んで奥さまが見守っていた。よく見ると、片手で清田のスーツのうしろのセンターベントのひらひらを摘んでいる。
 いよいよ座学が始まった。難しい用語は極力使わないこと、できるだけ図を用いて説明すること等々は事前に繰り返し確認してあって、日夜リハーサルを重ねて今日に臨んだわけだが、聴衆を前にした途端、すべてが飛んでしまったようで、倉橋さんはいきなり「そもそも揚力とは、空気や水といった流体に物体がさらされて、流体と物体とのあいだに相対速度が生じる場合に発生するものでありまして……」とやった。しゃべればしゃべるほど聴衆との距離が開いていくとは、ほかならぬ倉橋さんがひしひしと感じているはずのことで、一見朗々として説明を続けながらも、手先の震えでその焦りははっきり見て取れた。ようやく清田の送る合図に気がついて、背に負うホワイトボードを振り返り、「ああ、こんなところに強い味方が!」とおどけてみせる余裕を得た。翼の断面をそこへ大描きし、上側に沿う矢印と下側に沿う矢印を描く。
「物体の形状がこのように非対称な場合……いや、こんなふうに上が膨らんでる場合、正面から風を受けると、上のほうが速く、下のほうが遅くなるんですね。そうすると下側の受ける圧力が上側より大きくなる。これをベルヌーイの定理というんです。こうして相対的に上向きの力を得ることになり、これが揚力となって飛行機は空へ舞い上がる」
 だいぶ口調は滑らかになっていた。表情も柔らかくなり、笑顔が連発され、身振り手振りも増えていった。しかし初めにドンと突き放した聴衆との距離はジリジリとしか縮まらない。なにせ聴衆の大半は小学生であったのだから。
「よろしい。百聞は一見に如かずです。飛行機が飛ぶ瞬間にお立ち会いいただきましょう」
 そういうと、倉橋さんは足元のボストンバッグから理科の実験で使うような金属製のスタンドと、B4サイズの発泡スチロールボードを取り出した。リハーサルではなかった展開だった。
「うしろの方、見えますか? 見えませんでしたらどうぞ前のほうへ。これ、今日のために急遽私が徹夜でこしらえた飛行機の翼のモデルです。断面を見ていただくと、上が膨らんでるのがわかりますでしょう。これをね、こうしてここにぶっ刺す」
 スタンドの支柱を思い切りよくボードに貫くこのパフォーマンスが前列の男の子たちに受けて、小さなどよめきを誘った。手品師よろしく人差し指を立てて口元に当ててから、ふたたび足元にしゃがみこみ、ボストンバッグをなにやら探る倉橋さんだったが、やがてピンマイクが「あれ、あれ、ないぞ、ない、ない……」と焦る彼の声を拾い始めて、ゆるゆると身を起こしたときには、その顔からは血の気が失せてすっかり強張っていた。
「あの、清田くん、この会場に、扇風機はないかね。小型の扇風機をね、バッグに入れたつもりが、忘れてしまったよ」
 扇風機などきょうび備えるはずもなかった。清田も鹿野もそこで頭をフル回転させてようよう思いついたのは、駅前の家電屋までタクシーで往復したさいに所要する時間だった。座学の残り時間はあと十数分と限られていた。倉橋さんの試みはなんとしても成功させてやりたい。しかしそれはもう叶わないのか。
 すると、会場の男の子が元気よく挙手をしていった。
「先生、扇風機ならぼく、持ってます」
「ぼくも」
「ぼくも」
「わたしも」
「わたしも」
 昨今流行りのポータブル扇風機(ハンディファンというのらしい)を持参していた子どもたちが、ざっと七人名乗りを上げた。おお、これはこれは、ありがたい、七人の侍だ! と倉橋さんはのけぞって見せ、子どもたちに教卓の前へ来るよう手招いた。一人が扇風機を翼の正面にかざす。翼はびくともしない。二人目が加勢する。やはり翼はびくともしない。三人目、四人目と加わるも、あいかわらずなんの変化も見られなかったのが、五人目にしてようやくボードがわずかに浮いた。最前列の子どもたちが「浮いた浮いた」とはしゃいで、うしろの席の子らも堪らず席を立ち、前のほうへ駆け寄った。六人目が加わると、発泡スチロールのボードはするすると糸に引かれるようにスタンドの真ん中まで一気に持ち上がった。そして七人目が加勢すると、ボードはさらに持ち上がってスタンドからはずれ、はずれた瞬間に聴衆の頭上へ舞い上がり、同時に時ならぬ歓声と拍手が湧き起こる。

 実学の部になって、一行は清田の先導で探Q工房を発ち、江戸川河川敷まで歩く。しんがりは鹿野。子どもたちの手には、先ほど銘々で組み立てたスチレンペーパー製のゴム動力のプロペラ機が、大事そうに持たれている。河川敷で飛距離と滞空時間を競おうというのである。鹿野の手には赤い翼の飛行機があった。会場を出しなに清田から渡されたものだった。
 見上げれば、雲ひとつない夏の蒼穹が広がった。いや、雲ひとつないというのは語弊がある、川の向こう、東京側を見やれば、西の果てにそれはそれは巨大な金床雲かなとこぐもがわだかまっていた。頭上に飛行機を掲げると、川風を受けてプロペラが回りかかった。翼が風を受ける。そしていままさに鹿野は揚力というやつをその手に実感していた。

 八月になって、赤崎から鹿野にLINEで連絡があった。残りの荷物を取りに行くから、立ち会ってほしいと。
 探Q工房の開校以来、清野は市川に出ずっぱりだった。指定の日時に高円寺で待機したのは、だから鹿野ひとりだった。時間きっかりに黒のゲレンデが玄関先に横づけされ、てっきり赤崎が出てくるものと緊張して出迎えると、予想に反して現れたのは作業服の男二人とミュッシャの絵から飛び出してきたようなゴージャスななりをした女だった。
「お久しぶり」
 女はいうのだった。靴も脱がずにズカズカと上がりこむ。虚を突かれた格好の鹿野だったが、じき思い出した。いつかの晩に、月島のもんじゃ焼き屋で遭遇した女だった。
「わたし、あの人の使いで来たの。この人たちに、なにを運び出せばいいか、指示してくださる?」
 この女と赤崎は、いったいどういう関係なのか。男女の関係ならまだしもだった。そんなことはどうでもいい。なにか鹿野たちの預かり知らぬ別の太いはっきりした流れがあって、赤崎の起業への誘いかけに始まって今日に至るまでの鹿野らの奮闘は、なんというか、取るに足らない傍系に過ぎないことをまざまざと知らされる感触があった。鹿野も清田も、赤崎の人生においてはそのスピンオフですらなかったのかもしれない。赤崎との関係を女に問うことを、鹿野は躊躇った。それなりの沈黙が続けば、気まずさゆえに女が口を割ることもあり得たかも知れないが、それにしては赤崎の持ち物は少な過ぎ、あっという間に車の荷台に収められた。男たちから完了報告を受けると、
「じゃね」
 といって、手にしたハンカチを振って女は立ち去ろうとした。香水の香りが鹿野の鼻面を打った。お茶を出す暇すら与えられなかったと今更のように狼狽していると、
「あ、忘れるとこだった」
 そういって女は踵を返した。ディオールの黒のハンドバッグを開けると、なかから白い封筒を取り出して差し出してきた。見るからに下品な厚みを醸している。
「二百あるそうよ。えっと、なんていってたっけかな……そうそう、餞別という名の口止め料ですって。資本金からなにから自分が預けたぶんも、ぜんぶ納めてくれと」
「あの」
「なーに?」
「こんなの、受け取れませんよ」
「またー。あなた、そのやりとり、好きねえ。でもそんなこといわれても、わたし、困る。あの人のお金だもん。いらないなら、捨てちゃえば。今度こそ、じゃーねー」
 追おうとすると、作業服の男が一人後部座席から飛び出してきて、鹿野をしたたかうしろへ突き飛ばした。「ちょっと、手荒な真似はよしてよ!」女は男を叱りつけると、助手席へ滑りこんだ。その場にへたりこんだ鹿野を見据えたままあとずさりしながら作業着の男が後部座席に乗りこむと、ゲレンデはすぐさま発進した。

 探Q工房の活況はほどなくしてテレビ局の知れるところとなった。地方局を皮切りに、八月だけでも三件の取材を受けることになった。講師として抜擢されたさる高齢者のご婦人は、取材に応えていわく、なにせ所長の清田さんが、わたしたちを束ねるのが上手でねえ。なに話してもうれしそうに聴いてくれるから、ついみんな舞い上がっちゃうのよね。
 近い将来、探Q工房をNPO法人にシフトする旨、実松は鹿野と清田に語った。そのさいの所長を清田に任ずることが、内々に決められた。
 この頃の鹿野は、どこか海近い鄙びた町に隠棲することばかり考えている。元手はなくともなんとかなるだろうと、悪しき楽観主義がこの数ヶ月のあいだにすっかり根づいたものである。もちろん家族を連れていきたいが、子どもたちにとってはいま東京を離れるのは得策ではないだろうと都度躊躇う。いまでないなら、いつが潮時かとなって、六十か、七十か、と数えてみて、しかしいざその歳になって妻がついてくるのを嫌がったら、そんな殺伐とした展開もないと早くも暗い翳が萌す。
 とまれ、現在の慰めは、暇を見ては江戸川の河川敷に来て、川の匂いを吸いこみながら、この広々と開けた空を我が物のように仰ぐことである。雲ひとつなく晴れた空は最高だ。綿雲のぽつぽつと浮かぶのも格別。曇天はいうに及ばず、雨の日は、ときおり傘をはずして仰ぎ見て、雨の、針降るように八方へ広がるようなのはほんとうに堪らない。いつか雪降る空を仰ぐ日だってあるだろう。
 鹿野は先だって、前職の仲間らに誘われて都心で軽く飲んだ。その席で、中国にすごい日本人がいるらしいと誰かがいった。その口からアカザキという名が飛び出した。鹿野は知らぬふりを通した。なんでもアカザキという日本人の、中国で起こした合弁会社がいまや破竹の勢いで成長していて、世界中が熱視線を浴びせているのらしい。こないだテレビでも取り上げられたんだとか。
「で、なんの会社なの」
 鹿野が訊くと、
「トコジラミって、最近世間を騒がせてる害虫があるでしょう。あれに抜群に効く殺虫剤を開発したらしくってね。『ZIGOD-KOO』と書いてジゴク、これが大当たりしているそうだよ」

 南京虫 了

♯7[8329字]




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