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南京虫 4/7

大学時代のサークル仲間である鹿野と赤崎と清野は、赤崎を発起人としてノベルティグッズを販売する会社を立ち上げることになった。ところが香港の会社に勤める赤崎は、会社所有のノートパソコンを紛失するなどのトラブルに見舞われ、創業までに帰国は叶わないかもしれないなどと不穏なことをいいだす。赤崎はまた商材をどうするかの決定すら保留したままだった。彼の煮え切らない態度をよそに、鹿野と清田は突貫工事で作った日めくりカレンダーを手に、最初の営業に臨む。

これまでのあらすじ


 二月の下旬には『一日一脳』と『一日一校』の入稿はなんとか果たされた。印刷は深圳の印刷屋が請け負う。入稿から三日後に空輸で「試供品」が送られてくる。段ボールにして三十個が、高円寺駅近くに借りた八十平米のテナントに積みこまれた。
 さっそくモニタリングを実行することになり、レンタルの軽トラに段ボールを積載して千葉は市川にある介護施設「ぼぬ〜る」に向かった。「ぼぬ〜る」の所長のところへは、これより二週間ほど前に鹿野と清田は挨拶に訪れていて、本八幡の老舗の鰻屋で一番高い鰻重と一番高い酒を振る舞った。さらには、所長たってのリクエストでフィリピンパブを三軒はしごした。所長は気さくは気さくでも、お調子者でいい加減という評価のほうが勝ちそうな五十がらみの小太りの禿頭とくとうで、「いろいろとインタビューしてみてよ」というなり、その日はどこかへ引っ込んでしまった。
 ちょうど「おやつタイム」の時間で、二十人からのお年寄りたちは男は男、女は女で固まって長机を囲い、大半は談笑に興じている。そばに控えるエプロン姿の介護士の女性が、片手を股間のあたりで振りながら「遠慮なく、ささ、どぞ、どぞ」とにこやかにうながしてくれるのだが、談笑に割って入るのもなんだかで、鹿野は日めくりの入った紙袋を手にいつまでもぐずぐずしていた。老人たちから聞こえてくるのは、会話のキャッチボールというよりは自慢の披露合戦で、鹿野は故郷くにの母親のことを思い出していた。昨年の暮れごろから認知症が顕在化して、たださえ家に引きこもりがちの母を父が試しにデイサービスに連れていったところが、「わたしはあんなお婆さんではないし、みんな自慢ばかりで息が詰まる」といって、以降頑なに施設に行くのを拒んだ。
 女たちの会話は途切れることがなく、これでは埒が明かないと周囲を見回すも、輪に入っていない老人は見るからに会話もままならぬ様子だし、さて困ったと清田を探していると、背後から胴間声がして、
「君はさっきからなにをしてるんだね」
 見れば輪から外れた一人の車椅子の男性が、卓に手を伸ばしてみかんの皮を剥きながら、じっとこちらをうかがっている。声の感じでは咎めるようでもあったが、表情は皺に埋もれて計り知れない。
「はあ、皆さんとお話しようと思いまして」
「営業かね」
 周囲の耳目を集める声量には閉口させられるが、こちらを咎めるように聞こえたのも耳が遠いせいかと思い直し、こういう話し方の人なのだとせいぜい笑顔を作って男性の耳元に口を寄せると、鹿野はいった。
「営業といえば、そうですが、皆さんの、ご意見を、うかがおうと、思いまして」
「そんな大きい声出さんとも、こっちは聞こえとるわ! 鼓膜が破れるきぃ」
「あ、すいません」
「え、なんて?」
「ほんとうに、申し訳ありません!」
「だから、なにを人の耳元で、うるさっ!」
 たじたじとなった鹿野へ、まあ座りんさいといってくだんの老人は隣席に座るよううながした。
「みかん、食べますかな」
 老人は剥いた皮が器のように四方へ開いた温州みかんを、鹿野の手前にすっと差しだした。
「いえ、結構です」
「食べますかな」
「……あ、はい、では、いただきます」
 老人は蜻蛉の卵のようにあちこち奔放に跳ねた白毛の眉をハの字にして、深々と頷いた。そして訊いた。
「君は、ここへはなにしに来たの」
「あ、はい、ですから、その、皆さんのご意見をうかがいに……」
「なんの?」
「え?」
「なんの意見」
「あ、はい、こちらの日めくりカレンダーなんですが、皆さんのご意見を参考に改良できたらなと思いまして……」
「そんでそれを私らに高く売りつけるの」
「いえ、そんなつもりは……」
「なんで、私らの意見なんか」
「お礼に皆さまには、こちらをのちほどお配りいたします」
「お礼というのはね、もらう者が喜びそうなもんを持ってくるもんだ。そんな、出涸らしみたいなもんもらって、誰が喜ぶの」
 するとどこからか男のしわがれた声が野次を飛ばした。
「タダでもらえるもんなら、ジジババはなんでも嬉しいよう!」
 室内がどうと笑いにどよめいた。「そうだよ、ゲンさん、そう若い者をいじめるもんじゃないよ。その子らだって生活があるんだから」女性の誰かがたしなめる。
「だからさ、いい機会だから教育してあげてんの。こんな日めくりみたいな重たなもん、田中のジイなんか、持ったとたん肩が外れてぷらんぷらんなる」
 するとさっきの野次の声が「なんだとお、クソジジイ!」と怒って、またひとしきりの笑いを誘った。
「……茶番はこのくらいにして。せっかくだから、それ、見せてごらんなさい」
 鹿野は立って紙袋のなかのものを取り出すと、ゲンさんの目の前に恭しく置いた。紙がばらけないよう、一つひとつが透明ビニールで真空梱包されており、鹿野は胸元に挿したボールペンの先で端の部分を突き、そこへ指をこじ入れてビニールを引き裂く。
「ほう、まずは日めくりカレンダーというには、桁外れに大きいな」
 高齢者に見やすいよう、紙面に盛りこむ情報の活字を大きくする必要から、A3の純白ロールを使用してあった。純白ロールは日めくりに使われる紙の定番で、裏映りするが薄くて破れにくいという利点がある。裏面にも情報を盛りこもうというのが清田の案だったが、重量が嵩むのを理由に「一日一脳」は純白ロールで押し切った(正直なところ、三百六十五枚ぜんぶの裏面をネタで埋め尽くすと考えただけで鹿野は途方に暮れた)。「一日一校」のほうは清田は裏映りしない用紙を採用して裏表印刷を実現し、かくして厚みは「一日一脳」のちょうど倍になった。
 長机を囲っていた誰彼がおもむろに立ち上がって、わらわらとゲンさんの周りに集まってきた。「ほう、これが日めくり」「いまどき珍しいわよね」「なんだか字がびっしり書いてあるよ」「今日はなん日かしら」等々いいながら珍しそうに机上のものを眺めている。鹿野はさらに二つサンプルを取り出してその横に並べ、「どうぞお手に取ってご覧ください。忌憚のないご感想をお願いします」といって皆に頭を下げた。
 さっそく一枚目の表をめぐって皆が鳩首する。
「……なになに、3+4+5−6= って、算数が書いてあるよ。あたし算数きらい」
「あー、わかった、これ脳トレよ。脳トレのパクリだわ」
「ヨシコさん、いい方」
「あら、ごめんなさいね」
「色々と詰めこみ過ぎなんね。目がチラチラする」
「あ、ここにはなぞなぞが書いてある。……しないでするスポーツ、なーんだ? だって」
「しないのにするの?」
「だって」
「やだ、これって、アレじゃないの」
「アレって、なに?」
「アレって、ほら……」
「やだ、ヨシコさん、ヘンなこと考えてる」
「ヘンなことって、あれか、男と女のくんずほぐれつの」
「おー、まぐわいか」
「恋愛しないのにしちゃう……ってことか」
「セックス!」
「ちょっと、ジジイ、はっきりいうなよ!」
 どうと笑いが起こる。なるほどね、年寄り向けに艶っぽい話でまとめてあるのだね、とうちの一人がしたり顔していい、皆しきりと感心し合う、たしかにそういうの、これまでなかったかもしれないねえ。
「いえ、そういう、なんというか、いわゆるお色気系の商品ではありません。いたって真面目な、その……脳年齢をですね、若々しく維持していただいて、皆さんのように生き生きとご活躍されるよう、そんなお手伝いができることを願って開発された商品です」
 鹿野がいうと、
「開発コストは?」
 とゲンさん。続けて、「こういうのはね、監修者がいてしかるべきで、◯◯大学教授の◯◯監修とどっかに書いてくれてなきゃ、これをやって脳年齢が維持できるかどうかの担保にならんでしょうよ」とゲンさんは怒ったようにいうのだった。
「どうせ、あんた自身が適当にネットかなんかで見繕ったネタだろうに」
 鹿野はぐうの音も出なかった。
「ゲンさんはデンツーにいたからね。こういうのは詳しいんだよ」
「勉強させてもらったらいいよ」
「年寄りを、舐めちゃあ、いかんねえ」
 女たちは鹿野に助け舟を出しているつもりかもしれなかったが、いうことの一々が彼には堪えた。早くこの場を退散したかった。
「わかった! 剣道だ!」
「なによ、藪から棒に」
「だから、さっきのクイズ。しないでするスポーツ」
「そりゃ、竹刀でするのは剣道ですよ。当たり前じゃないの」
「いや、ヨシコさんさ、『しないでする』ってさっきこれ読んだろ? そうじゃない、『竹刀でする』だよ。そう読んでくれたらわかったのに」
「ヨシコさん、読み方」
「ヨシコ、しっかり!」
 女も男もじつに楽しそうに笑うのだった。
 鹿野はそそくさと商品を紙袋にしまうと、座を離れて清野を探した。
 清野は広間に隣接する八畳間のまた別の卓にいた。一瞬、清野に後光が差すように錯覚されたが、それは清野が窓側を背に座るからだった。彼を囲うように老人の男女が三人ずつ円座になっていて、うちの一人が身振り手振りを交えてさかんになにかを清野に向かって話しているのだった。老人の立ち居振る舞いの一々に笑いが起こる。清野も笑っている。あんなふうに屈託なく笑う清野を鹿野は見たことがなかった。
「……それでね、いざ着陸するとなって、車輪が片方出ないのさ。さっきもいったように余計な燃料は積んでませんよ、ここは思案のしどころだ。そしたら目の前に干し草の山が見えて、もっけの幸いとばかりに突っこんだ。ほれ、そのときにできた傷の名残がここの肘のところにぴーっと一筋に入ってありましょうが……」

 初日のモニタリングは、鹿野にしてみれば不首尾も不首尾。しかし収穫がなかったとはいえない。老人たちの好き勝手な発言のなかには、傾聴に値する意見も二、三含まれていた。たとえばネタの監修者の明記などはその最たるもの。それを今後にどう活かすか思案しながら、帰りの運転も鹿野が引き受けた。わざわざマニュアルの軽トラをレンタルしたのも、鹿野自身がマニュアル操作を堪能したいがためだった。ギア操作に没頭していると、少しは気も紛れるというものだった。
 清野は老人たちの話を聞くばかりで、モニタリングはなに一つし得ていない。
「途中で話を遮るのも、なんだか失礼だから」
 弁明するにも清野はあいかわらず淡々としている。
「いや、君、仕事だから」鹿野がやんわりたしなめる。
「わかってる。ごめん」
「しかしよくもまあ、あんなふうに年寄りの自慢話につき合ってられるな。私には無理」
「自慢話?」
「年寄りときたら、口を開けばマウント取るのに必死だろう。うちの親がそうだったからね。さっきもバアさんたちの話聞いてたら、やれ上海に行っただの、やれフィレンツェに行っただの、やれニューヨークに行っただの、やれマチュピチュに行っただのって海外旅行自慢のオンパレードだ。海外に行ったことのない人だっているだろうに」
「なるほどね」
「なに?」
「いやね、自慢話として聞いたら、たしかにしんどいだろうなと思って」
「どういうこと?」
「うーん、そうだねえ、僕は少なくとも自慢話としては聞いてなかったなあ。お年寄りの話を聞いてるとね、なんていうかさ、人生は生きるに値するもんなんだって、僕なんか、しみじみと思わされるんだよね」

 赤崎から「ぼぬ〜る」でのモニタリングの成果についてLINEで尋ねられ、商品の改良点が少なからず見出されたと、鹿野にしてみれば前向きの報告をしたつもりだったが、赤崎には気に入らないらしかった。まず試作品百部を鹿野らが「ぼぬ〜る」に売りつけなかったことが、赤崎には考えられないことなのであった。さる老人の指摘を受けてから商品の杜撰さがまざまざと意識され、いたたまれなくなってその場を逃げだしてきたとはさすがにいえず、いや、まだ試作品だから、と鹿野が言い訳すると、

《いやいや、もちろん目先の利益のためじゃない》

《じゃあタダで配ってもいいわけだ。ただ、「ぼぬ〜る」市川にはモニターをやってもらった手前、叩き台を配付するわけにはいかないかなと。かえって失礼でしょうよ。だから配付は別の店舗でする》

《そしたら、おまえ、手ぶらで市川に行ったことになる》

《施設のスタッフには菓子折りを持ってったし、三箱も渡したから、そこは察して利用者にも行き渡るんじゃないの》

《ちがうって。そういうことじゃないんだって。営業のセオリーとしてさ、一部百円でもいいから所長に頭下げて買い取ってもらって、日めくりをなにがなんでも「ぼぬ〜る」に置いてこなければならなかったのよ。タダで渡したらね、これ邪魔だからってんで、明日にでも廃棄しておいてなんてなっちゃう。でもタダじゃないとなれば、所長は元を取ろうとしておのずと知恵を絞る。まずは施設利用者に配るわな。それでも大半は余るから、お次は新規利用者や施設体験者なんかに景品として配る。景品をホームページで宣伝する。タダでもらえるならと、景品目当てに施設に立ち寄る輩もあるかもしれない。そのうち所長の耳に、日めくりの評判がいやでも八方から入ってくるようになる。そしたらその機を見計らってこちらは二の矢を放つわけよ。所長がああすればいいこうすればいいと率先してアドバイスしてくれればしめたもの。それでは「ぼぬ〜る」市川仕様に商品を開発させていただきますって運びになるでしょうが。そんでもって次年度に備えて新作納入となるわけだ。そういうところがね、おまえにはぜんぜん見えていない》

 おまえらに営業を任せちゃいられないとなって、赤崎は急遽三月の半ばに帰国した。香港の会社とは、なんとか丸く収まったと彼はいった。
 こうして四月いっぴの創業までに赤崎と清野と鹿野の三人がそろうに至った。三月の終わりには、これまた清野のツテで、さる大手塾の広告宣伝部の部長と会う約束を取りつけた。営業のなんたるかを教えてやると、赤崎の鼻息は荒かった。
 帰国した赤崎は、部屋探しの時間も金も惜しいと、落ち着くまでしばらくは高円寺の事務所で寝泊まりするといい張った。彼にとっては気概の見せどころでもあっただろう。ロッククライミング熱は冷めるどころかますます高じているようで、持ちこまれた荷の大半が山の装備ときて、それらに囲まれて寝袋に収まる様子は非日常そのもので、鹿野は清田と二人して遠目に眺めて、いいねえ、じつにいいねえと感心し合った。ときには鹿野も清田も家の物置きから寝袋を引っ張り出してきて職場に持ちこみ、各々が縄張りとするコーナーに陣取って寝泊まりすることもあった。こうなると、シャワールームつきのテナントを借りたのは、じつに慧眼だったといわざるを得ない。赤崎が山用のランタンをいくつか灯し、寝袋カフェなんてのも流行るかもねなどと嘯いた。酒缶が何本と空き、寝落ちするまであれこれと愚にもつかないことを語り合った。赤崎はイーロン・マスクを引き合いに、夢は荒唐無稽でなければならないと力説し、鹿野も清田も腹が捩れるほど笑うのだったが、なにがおかしいと本人いたって真面目だった。先行きに対する期待が半分と、不安が半分と。それがための、けして健全とはいえない躁状態を三人して得ていたものだった。だからおのずと口論も絶えなかった。とりわけ赤崎と鹿野のあいだにおいて。そして三人は薄々気がついていた、これが青春の再来であることを。あるいはいつまでも覚めやらない青春という徒夢の、最後の輝きであることを。

♯4[6242字]




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