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南京虫 2/7

学生時代のサークル仲間である赤崎から大事な話があると召集がかかり、世話役の鹿野は仲間に声をかけたが応じたのは清田の一人だけ。皆家庭もあることで、早々予定も変えられないし、それよりなにより赤崎の人望だった。待ち合わせ場所に大幅に遅れて登場した赤崎の横には見ず知らずの女。すっかり出来上がった赤崎は、鹿野と清田にいっしょに起業するぞと息巻く。

これまでのあらすじ


 あの日、赤崎は酔っていた。
 泥酔していたといってよかった。
 そんな男の話をまともに受けるわけにはいかない。そうとわかっていながら、独立起業の四文字は、その後の鹿野にことあるごとにつきまとった。それこそ呪縛のようにして。いや、それはあまりに自分を偽ったいい方だ。譬えていうなら、暗い穴倉にはまって途方に暮れていたちょうどその矢先に、救いのロープが降りてきて、その先端が目の前でチロチロと躍るような塩梅だった。
 鹿野は社内での将来を嘱望されながら、またそれ故か、さまざまなルートを通じて役員でもない人間が本来知り得ないないような会社の内情をつぶさに知らされていた。会長が鬱を患っていること。間接部門を取り仕切るAが出身大学のツテを使って腕のいい医師を紹介したことから後継争いの雲行きが大きく変わったこと。このままでは直接部門トップを張ってきたBが数年来の業績不振の責任を問われて更迭され、「純血主義」のBがいなくなれば、Aが腹案の大手企業との業務提携は一気に進み、五年以内に身売りが完遂されるであろうこと……。こうした噂を聞かされるたびに、不安は不安でも、情報提供者へのいわば礼儀として一通り不安がって見せるというのが正直なところで、はっきりいって鹿野の関心事ではなかった。所詮は雲の上のこと。子会社化されれば親会社の天下り先認定だから、もはや俺たちの先も見えているなどといわれても、役員になるなど想像だにしない鹿野には、野心家の焦燥などまるで他人事だった。
 それより鹿野を悩ませつつあったのは、ほかならぬ日々の業務だった。入社して五年目に支店の一営業マンから本部の管理系へ異動となり、それからは本部勤務が続いて、ひたすら数字を追いながら上へ下への資料作成という「作文」に追われる日々にいい加減食傷していた。ところへ、Bの次期後継説が浮上し出したあたりから部長以上の顔つきが変わった。部内に怒声が轟くようになった。鹿野の部署では日月と日水の定休日が交互に来て、パターンが個々に割り振られ、だから本来なら月曜日と水曜日は出社人数が半分になるところ、少なくとも役付きは月水休みが許されない空気がいつからか支配的になっていった。
 鹿野の直属の上司はしかしながら休みをきっちり取った。私が取らなければ君たちが取りにくくなるだろう、と上司はいい、宣言をついに曲げなかった。役員の緊急招集がかかってろくな資料が用意できず大目玉を食らった、あなたが出社していたらこんなことにはならなかったと本部長に咎められた直属上司は、年度終わりを待たずにあっさり職を辞した。
 平日休むと本部長から直々にショートメールが来るようになり、その陰湿な内容に耐えかねて鹿野の平日休はじき消滅した。七月に入ると、日曜も出社しなければ仕事が回らなくなっていた。指示された通り、データの粉飾・改竄にも少なからず着手した。どこの会社が業績不振の会社と提携したがると思う? と上長らは飲みの席でしたり顔していうのだったが、こちらはインサイダー取引なるものを知らぬではないし、後継問題が決着しないうちから身売りが既定路線になっていることに内心啞然としたし、なにより会社の身売りのために猛烈に働かされているのかと思うと、鹿野は不信感が募るというより、自分が情けなくて仕方がなかった。少なくとも妻子に誇れる仕事をしていないと思い当たったとき、自分のなかでなにかがぷつりと切れる音を聞いた。
 それからの彼の外形的な変化を、周囲は状況に対する屈服と受け取った。待てば海路の日和あり、といって慰める者も複数だった。文句ひとつ言わず、黙々と仕事をこなす。かの本部長までが気遣うほどに粉骨砕身して働く。しかし彼の脳中の大半が、起業のための事業プランで埋め尽くされていたとは、誰ひとり知る由もなかった。
 頃は十月にかかっていた。

 赤崎がメールで帰国を知らせてきた。
 仕事で三、四日滞在するという。茅ヶ崎の実家には帰らず、都内のビジネスホテルで宿泊するという。飲みの誘いだったが、飲みなら断る、と佐野は返信した。昼に会おう、酒を交えずに、と鎌をかけると、望むところです、とやけにしおらしかった。どうやら起業話は冗談ではないらしいと、鹿野は少しだけ安心した。
 赤崎の指定した日にちに合わせて鹿野は有給休暇を取った。休みを取る社員をあれだけ戦犯扱いしてきた部内の誰も咎めなかったし、事由さえ訊いてこなかった。ランチをしながら話をしおうとなっていて、鹿野は銀座のオーバカナルを予約しておいた。もちろん清田も同席する。
「おまえ、ほんとこの店好きだな」
 珍しく時間通りに赤崎は現れた。先に一杯引っかけてきた様子もない。赤崎とこの店で落ち合うのはこれが二度目で、最初に来たのはかれこれ二十年も昔のこと、電話口で二人して苦笑しながら、それではクリスマスに会おうとなったのだった。用向きは、互いの卒業論文の初稿の読み合わせ。よりによってクリスマスに男二人で会うこともなかろうに、クリスマスだからといって別に特別なことのある二人ではなし、あえて都心の浮かれムードのただなかに身を置いて超然として難しげな話をしようというのが、まず互いにおもしろかった。
 学生時代はホロコーストと太宰治に呪縛され、批評ばかりを読んだり書いたりした赤崎だが、所属したのは創作コースで、落ち目の都内中堅私大が起死回生を期して新設した花形の学科だった。小説家の登竜門を目指すという謳い文句が図にあたって分不相応な偏差値評価を得ていたもので、だから赤崎は、鹿野や清田の所属する学科など見下すフシが折に触れてあった。創作コースの卒業論文は百枚以上の新作小説という規定があるにもかかわらず、ホロコースト以降の物語は不可能だと信じる赤崎は、指導教官である現役の小説家(名前は聞いたことがあるがその人の作品を鹿野は読んだことがなかった)にかけあって、「ホロコーストと知識人のリアクション」と題したお堅い評論を書くのを許された。いっぽうの鹿野は、「オートフィクションとしての日本の私小説」と題し、大正・昭和に活動した葛西善蔵の小説のテーマ研究をもっぱらにしたが、葛西善蔵は太宰治をして「偉い」といわしめた先輩格の小説家だけに、赤崎の鹿野の論文に対する関心はひとしおで、ことあるごとに読ませろ読ませろとしつこかった。
 オーバカナルとは、国内では数少ないフランス式の本格的なオープンテラスカフェで、銀座のほか、高輪や原宿といった都内一等地に店舗を構えた。鹿野が初めて訪れたのは代官山店で、フランス人留学生(女子)の紹介でゼミ生の何人かと連れ立って来たのだった。ほんとうはフランス文学をやりたかった鹿野は、英語が大の苦手で、第二外国語など及びもつかないと諦めて、翻訳ばかりを読んでその憧れを慰めてきた口だったから、フランス人留学生が本場さながらと太鼓判を押すカフェが、彼にとって特別な場所とならざるはずはなかった。「おまえ、ほんとこの店好きだな」などと赤崎に軽口たたかれて、自身のナイーブな深部を突かれたようで、いまさらながら激しく赤面する鹿野だった。
「どうした。耳まで真っ赤になって」
 こういうところは目ざとい赤崎で、「いや」と鹿野は返すのがやっとだった。向こうはこちらの話の接ぎ穂を待つようだったが、気の利いたこともいえず、憮然とした表情の顔にみるみる張りつくのが我ながら手に取るようにわかった。いや、俺は怒っているのだとおのれをなんとか鼓舞して、鹿野は切りだした。
「起業するというのは本気なのか」
 思いのほか声がうわずって、周囲の耳目を引くようだった。
「本気だけど」赤崎はこともなげに答えた。
「冗談ならもっと笑える話をするさ」
「なら、なんでいまのいままでなしのつぶてなんだ」
「そりゃ忙しかったから。お互い様だろ。でも、ようやく時間ができたから、こうして会ってる。なにが気に入らない?」
「事業計画もなにも詰めずに三ヶ月以上が経った。こんな杜撰なことがあるか」
「だから忙しかったんだって。おまえらもそうだろうが、こっちだって休み返上で馬車馬のごとく働いている。今日だって出張の合間にようやく取れた時間なんだ。それにさ、俺は間違いなくいったぜ、今度会うときまでに俺たちになにができるか考えておこうぜって。起業プランについて、考えない日はないさ」
「考えるだけなら誰でもできる」
「ずいぶん今日は機嫌が悪いんだな。もちろん事業計画については考えるだけじゃなく、収支を念頭に紙に起こしてるさ。いつかおまえらに御目通り願おうってな。それに、役所と政策金融公庫にそれぞれ融資をお願いするにあたって、事業計画の提出はマストだからな。具体的かつ精緻でなければ通らない。てかさ、なにが気に入らんのか知らんが、なしのつぶてをなじるってのは、おまえこそ当事者意識の欠けてる証拠じゃないのか? なにか詰めたい話があったのなら、おまえから連絡してくればいい。忙しくたってメールくらいは見れるさ。そうだろ? それをやらないのは、起業に対しておまえこそ受け身なんじゃないかと俺は疑うね」
 鹿野はぐうの音も出なかった。たしかに降って湧いたような話で、主体的にとらえているとはいい難かった。いいだしっぺの赤崎にここはいったん命運を預けようなどと自分は思っていたのではなかったか。それはほかでもない、自分に対する責任を自分ひとりで負うことの躊躇の表れだった。
「返す言葉もないな。たしかにいまの自分は、誰かに背中を押してもらいたがっている」
「そうさ。だからそれは俺がやってやったんだ。いまや次の段階だろ? なにが問題なんだ」
「うまくいくかどうかとか……」
「うまくいく?」
「そう」
「ちがう。うまくいくかどうかなんていい方は、なんていうか、どこか運任せなんだ。そうじゃないだろ。うまくいくようにするありきなんだから、うまくいくかどうかなんて不安は本来生じ得ないはず」
「しかしやりたいことをやろうといったって……」
「ん? そんなこと、誰がいった? やりたいことを生業にしようなんてそんな話、少なくとも俺はしていないがな。俺がいったのは、俺たちになにができるかってことだ。好むと好まざるとにかかわらず、これまで培ったスキルとか人脈とか、そうしたものを最大限に利用して、俺たちなりの価値を創出できるとして、それはなんなのか。そしてそのためになにができるのか。そういう話をあのとき俺はしたはずだよ」
 鹿野は黙った。黙るほかなかった。おのれの甘さ(それは狩野という人間の本質的な甘さだった)をありありと見せつけられるようで、いたたまれなかった。
「それにさ、お互いいい大人だろ? やりたいことをやれなんていわれたら、俺だって御多分に洩れずさ、家計の憂いから解放されることを前提に、寝たいだけ寝て、読みたい本を読み、サブスクサーフして見たい映画を見て、好きなもん食って、うまい酒飲んで、たまに人と会ったり旅行に行ったり……なんてぐうたらな生活を夢見るわけでさ、これって生業と結びつきようがないだろ? だから当面俺たちが検討すべきは、やりたいことなんかじゃない、やれることなんだ。仮にそれが茨の道だったとしても、いま歩んでる道よりマシだと確信されるなら、迷いなんて生じようがないと俺は思うがな。おまえが俺に怒るのは、お門違いだよ。おまえはおまえ自身の煮え切らなさに対して腹を立てるべきだ」
 こうして赤崎は完全にイニシアチブを得た。発起人ということ以上の、なんというか、三人のチームにおける推進力そのものであることはいまや明らかだった。しかしこうした人間力学を味わうのは、鹿野にとって初めてであるどころか、懐かしいものだったのである。おそらくは清田にとってもまた。鼓舞したり挑発したりするにかけては、赤崎という男は昔から天与の才を感じさせた。そのくせ、アイデアを出すのはあまり得意でないらしい。このたびも「俺たちになにができるかだ」なんて啖呵を切っておきながら、現時点で赤崎がし得たのは、中国本土において構築した人脈の列挙にとどまった。いまの会社において各種営業イベントの実務担当をも歴任してきた鹿野としては、いまだ会社には秘してある腹案のノベルティグッズをいくつか提示し、ターゲットと販路について大まかに語った。清田は清田らしく学習塾をやろうと提案し、赤崎によって言下に却下された。これから老いていく我々に、属人的な業態は向かないと、赤崎はもっともなことをいった。鹿野が提案したノベルティグッズの販売のいくつかに、赤崎は食指が動いた模様だった。事業計画は俺が作るからと請け合った。
 今日のところはこれ以上煮詰まりようのないところまで話し合い、気がつけばようよう陽も落ちかかっていた。夜の銀座に灯がともる。アルコールを一滴も入れずに俺たちが何時間と話し合うことができるなんてこれまた奇跡だと、三人して驚き合った。
「では、景気づけに一杯だけ行きましょうかね」
 赤崎の提案に、鹿野も清田も異存はなかった。


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