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【symposium3】「クバへ/クバから」第3回座談会(シンポジウム)上演記録「『沖縄の風景』をめぐる7つの夜話」第7夜(12/27)「写真集制作に向けた公開編集会議の上演」(Part.1)

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前回のふり返り

三野 「クバへ/クバから」第3回の座談会を始めたいと思います。よろしくお願いします。今回は――笠井さんがホワイトボードに本日の座談会の予定と今までの座談会で話された内容がざざざっと書いていただいております。

山本 自己紹介をしたほうが(笑)。

三野 自己紹介しましょう(笑)。三野と申します。よろしくお願い致します。

 はい、いぬのせなか座の――

なまけ なまけです。お願いします。

 hです。

山本 ぼくがいちおう主宰ということになっている、山本です。

笠井 笠井です。

鈴木 鈴木です。どうぞよろしくお願いします。

笠井 6時から8時くらいまで、2時間配信できたらと思います。途中で7時くらいに休憩を入れて、前半・後半で話をしていけたら。30分ごとにTwitterで実況する人を入れ替えようと思います。そのタイミングで話題も切り替えられたら。冒頭は、初めてご覧になる方向けに、5分から10分ほど、これまでのあらすじをざっくり話します。

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笠井 このプロジェクトの発端はというと、三野さんからいぬのせなか座に、沖縄で撮影した写真を作品(写真集)にしたいのだけど、色々な理由――表現者としての、もしくは個人としての心理的な抵抗や、そもそも写真をどう扱うかといった問題があって、すでに撮影された写真を東京で出版・流通できずにいると、相談を受けたところから始まりました。

 春先から話を続けていて、当初は夏頃にプロジェクトを発足して、ぼくたちも一緒に沖縄に行って撮影する企画を組んでいたんですけど、今回の新型コロナウイルス感染症の流行を受けて、発足時期を遅らせて、10月から約8ヶ月――来年6月までの長い期間をかけて行うことになりました。

 今日こうして話すように、写真集を作るための諸条件を――現地取材や参考文献の収集、そもそもどのような表現をすべきか、その表現の前提となるぼくたちの考え方、この写真集に収録されるだろう写真の周辺の題材や歴史的文脈を――きちんと整理した上で、三野さんが撮影した写真を、写真集として世に問うことを可能とするためのプロジェクトとして進行しています。


第7夜にいたるまで

笠井 これまでに「座談会」と称して何度か配信を行ないながら、企画構想から出発して、2ヶ月ほどかけて、今日(12月27日)まで話を進めてきたところです。初回は、三野さんの約10年間の制作歴を振り返ってもらいました。それをもとに、いぬのせなか座と三野新の共同プロジェクトとして何ができるかを話し合いました。

 第2回の座談会では、沖縄に生まれ育って現地で撮影している人たちの作品についてぼくたちが学んだり、おそらく三野さんの立場に近い二人の写真家――沖縄に生まれ育ったわけではないんだけど、あることをきっかけに沖縄へ訪問して、自身にとって重要なテーマとして表現を続けてきた――東松照明・中平卓馬の、沖縄についての写真集やその周辺の論争・評論を参照しながら、いま、このプロジェクトで沖縄写真史を扱うことが、どのような意味を持つか話し合いました。あわせて、三野さんが撮影した写真の素材を少し見せてもらって、それがどのようなものであるかも話しました。

 それを受けて、10月の末ごろですね。ちょうど第一波と第二波の合間をぬって、三野さん、山本くん、hさん、なまけさんの4人で、現地取材に行きました。Periscopeで配信していますが、現地で見聞きし、感じたことを受けて、写真集の企画コンセプトを話し合いました。それを踏まえて、今夜が第3回です。

 すでにご覧になった方もいるかもしれませんが、今週……いや、先週か、先週の日曜日から連日で配信を続けてきました(※実際は「今週月曜日」から)。第1夜から第7夜(※実際は「第6夜」)まで、いぬのせなか座のメンバーが1夜ずつを担当して、それぞれが沖縄について、もしくは沖縄の写真史について調べ、考えたことを踏まえて、これからこの写真集に収録するための作品をどのように作っていくか、自分の方法の実践として作ってみた試作品を手がかりにして、それがどのようなものであるかを話してきました。
 それらを踏まえて、今日、第7夜を行います。「公開編集会議の上演」と題しました。いよいよ、まだ仮題ですけど、『クバへ/クバから』という本を、どのようなかたちで、どのようなコンテクストで、誰に読んでもらう本にしていくかを集中的に議論できればと思っています。編集会議としてみんなで話しつつ、三野さんからも、これまでの3ヶ月を振り返って、いまどんなことを考えているか、これから何をしていこうか話してもらえれば。

 2時間かけて、まずは中心になるコンセプトがかたちになればいいですね。さらに、「こういう判型で」とか「これを収録して」とか、中身の話もできるとよりよいです。


「本当のこと」を書くために

笠井 議論の下地にするために、第1夜から第6夜までにどんな話をしてきたのか、発表者それぞれに、一言二言ずつ説明してもらおうと思うんですけど、hさんから、話せますか?

 はい。すでに、すぐに忘れるという……私は基本的には、自作のまとめをして……(笑)、なにをしたんだっけ?

笠井 第1夜はどんなタイトルで話を……?

 あれ、なんてタイトルでしたっけ。

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山本 「沖縄について書く、考えるために」。

 すみません、そうでした(笑)。「沖縄について書く、考えるために」というタイトルで発表をしました。沖縄についてどのように書けばいいのか、今回のプロジェクトの発端になった三野さんの問題意識である、沖縄について東京で発表することや、沖縄に関する作品を自作として発表することとはどのようなことであるのか、そして発表自体の困難性という引き受けた上で、では、私自身もどのようにすれば書けるのだろうかということを考えるために、自作のまとめを用いながら、どのような難しさがあるのかを細かく整理していきました。自作のまとめをしたのは、自分がこれまでの制作の中で、「私」というものをどのように扱えばいいかを考えてきたためです。もしかしたら制作の中でできてしまってきた方法を利用すれば、沖縄のことを書けるようになるかもしれない、というまとめをしました。

笠井 hさんがこれまでに書いた小説や日記の話をしてもらいました。

 そうですね。「本当のこと」という言葉で発表の中ではまとめたのですが、作品を作るなかで一番大切なものとしてあるこのルールが、もしかすると書くためのヒントとしてひとつあるんじゃないかと思っています。

笠井 困難さを乗り越える、あるいは向き合う方法としての「本当のこと」が出てきた。

 第2夜はぼくが話しました。参考文献について話しています。このプロジェクトとは別に、いぬのせなか座叢書のための参考文献を100冊集める企画を水面下で進めてまして、5人が20冊ずつ集めた書誌をデータ化して、「日本十進分類法」という図書の分類方法をもとに、国立国会図書館のエンジニアが作った、書籍の分類ジャンルを自動で推定する機械学習アルゴリズムを使いまして、5人の選書がどのような関心でなされたのか、どのジャンルに組み分けられるのかを分析しました。第2夜以降の話でも出てくるので、ここではあまり繰り返さないですけど、それぞれに関心のある事柄と、沖縄について、あるいは沖縄各地で撮影された写真について考えるときに必要なベース材料が洗い出された気がしています。

 第3夜が、山本くんだね。


写真集という空間、契約書という戯曲

山本 ぼくは(「沖縄報告――「私はそこに私を見る」を支える言語/写真(のインスタレーション性)、あるいは紙面レイアウトにおける上演の試案」と称して)沖縄写真史、特に第2回座談会で話されもした東松照明・中平卓馬という、外から沖縄を訪れて写真を撮影しそれを自らの作品として発表していた二人の写真家たちの仕事を、三野さんが「クバへ/クバから」でやろうとしていることの背景にある(背景にあると考えざるをえない)ものとして、一気に振り返りました。

 加えて――当日あまり時間的余裕がなかったんですけれども――10月末の沖縄渡航時に交わされたインスタレーションをめぐる問題も、美術家・大岩雄典さんの論考「ダンスホール ──「空間の(再)空間化」」などを参照しながら考えました。インスタレーションが展示空間において立ち上げるような、何かを何かとして受け取ることそのものを設計する抽象的・儀式的・演劇的な空間(それに関する議論や技術)を、「写真集」という表現形式のなかにどうにか持ち込めないだろうか、という感じでしたね。

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笠井 (発表順を勘ちがいするくだりがあり)ぼくか(苦笑)。ごめんなさい、ぼくだ。第4夜は「兼業作家と複合芸術のための契約・マネジメント」と題して、この出版プロジェクト(「クバへ/クバから」)が、どのような規約によって成立しているかを、文章表現の視点で解説しました。今回はちょっと変わった趣向で、メンバー全員とも、関わってくださっている映像チームのみなさんとも、寄稿をお願いした方々とも、詳しい業務委託契約書を作って結びたいとお願いしています。昨今の文化芸術の世界では、ハラスメント然り、著者の権利が軽んじられることが大きく問題となっています。そのことは、三野さんも一貫して関心を寄せている、取材対象からの搾取が意図せず生じてしまう構図をどう逃れていくかという問題意識とも重なる。そこで、全50条くらいのかなり細かい契約書を作りました。それを締結する「身振り」が、このプロジェクトを成立させる、いわば「戯曲」として機能するのではないかと考えて。第4夜は、その「戯曲」が、芸術と経済のあいだを貫き、横断するものとして機能するにはどうすればいいかを話しました。

 そして、第5夜ですね。


写真をもとに(日記を/詩を)書く

なまけ ぼくが第5夜でやったのは、自分が沖縄に行った時の日記を、4つかな。4箇所に行った。それを日記に書いて、第1夜でhさんが言っていた「本当のこと」みたいな、日記なら書けるといったところを、自分もそうだなと思っていたところがあったので、書きました。一個、それを受けて、小説を書くための土台となるようなものを、と。

 というのと、あともう一個、三野さんが写真を撮って――このプロジェクトが始まる前に三野さんが沖縄に行って撮った写真、このプロジェクトが始まるにあたっていぬのせなか座に共有された写真を見て、ぼくが考えたことだったり思ったことをまとめた、という感じですね。

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笠井 そして昨日が、一平くん。

鈴木 ぼくは「写真へ/写真から、詩を書いてみて考えたこと」という題で話をしました。hさんとなまけさんの二人は、今回のプロジェクトを受けてこれから制作する作品についての話をしていましたが、ぼくは反対に、すでに制作した作品についての話をしました。先んじて参加していた別の企画で、一ヶ月に一編くらいのペースで詩を書くという連載を持っていたのですが、そこで今回のプロジェクトについての詩を書いています。制作の素材にしたのは沖縄の写真と、沖縄に行かなかった自分です。10月末に三野さんといぬのせなか座メンバーが沖縄へ行って、ぼくはそれに参加しなかったんですが、後日メンバーから1,200枚ぐらいの写真が共有されたんですね。沖縄に行かなかった人間が、沖縄に行った人間の写真を見て、それについての詩を書いたわけです。

 そこで目指していたのは、できる限り簡素に、確認できる写真の被写体をひたすら列挙していく行為で詩を書く、ということでした。詩を書くという行為を取り巻く周囲の環境や、制作者であるぼく自身が置かれた状況といった、複数の要素との共同において成立する表現として、それらを可視化しつつ巻き込むような詩といえばいいですかね。詩といわれると、いわゆる卓越した感性を持つ書き手のインスピレーションによる表現というか、伝達の手段ではないかたちで強調される言語の可能性への挑戦みたいな話になりがちですが、今回はそうではなく、むしろ言語以外の要素に従属する「伝達の手段」そのものである言語の仕様にとどまって、写真や演劇といった他の表現ジャンルとのかかわりを試みました。言語以外の複数の要素が関係することによって成り立つ詩というものをそこで書こう、と。

 また、沖縄に行っていない今だからこそ書ける詩、というのも考えのひとつにありました。今回プロジェクトでたびたび話題にあがるキーワードに「距離」という語がありますが、自分のなかでどのように具体的に考えることができるか、というところを実践してみたかった、それについての報告みたいな感じです。それが昨日ですね。で、1日たって、今日になるわけです。

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(Part2.へつづく)

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写真家・舞台作家の三野新と、いぬのせなか座による、沖縄の風景のイメージをモチーフとした写真集を共同制作するプロジェクト「クバへ/クバから」…

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