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【symposium3】「『沖縄の風景』をめぐる7つの夜話」第5夜(12/25)「沖縄にいったときの日記と三野さんの写真で考えたこと」(発表:なまけ)

※本稿は、「クバへ/クバから」第3回座談会(シンポジウム)「「沖縄の風景」をめぐる7つの夜話」第5夜(12/25(金)20:00-)の発表資料です。

※ヘッダ画像はなまけ撮影の写真。

1.沖縄にいったときの日記
 1-1.辺野古ゲート前抗議(2020.10.30)
 1-2.摩文仁の崖(2020.10.31)
 1-3.伊原第一外科壕(2020.10.31)
 1-4.嘉手納基地(2020.11.01)
2.三野さんの写真で考える
 2-1.雑感
 2-2.『植物の生の哲学』
 2-3.〈浸り〉と〈垣間見〉
 2-4.この生(活)の〈外部〉


1.沖縄にいったときの日記

沖縄にいって書いた自分の日記。ある程度の時間をおいて、そのときの記憶を思い出しながら書いている。事実として間違っていることや、論理化=物語化されている部分もあるとおもう(が、自分にとってはこれがhさんの言う「本当のこと」として感じられる)。これをもとに小説を書いていく。これがそのまま小説になるのではなく、書き足されたり、削られたりする。

1-1.辺野古ゲート前抗議(2020.10.30)

10月末の沖縄は日差しが強くて、半袖半ズボンでも汗をかくのに、8月はもっと暑いだろうとおもう。それを7年近く継続している。テント村の立て看板に日数が書かれている。ゲートの反対側も基地になっていて、フェンスに挟まれた一本道がずっと続いている。カンパで送迎バスを所有していて、抗議に参加したり見にいきたいというひとたちを空港近くまで迎えにいくこともあるという。辺野古と那覇は車で片道2時間くらいかかる。自分たちは、そもそもゲート前抗議があることを事前に調べられていなかったので、レンタカーと路線バスでいった。聴き慣れない金属音のような鳴き声のセミが鳴き続けているなかでマイクリレーをして、さいごにみんなで歌をうたう。あのあおいそらのようにすみきったこころになるように。泣きそうになる。埋め立ての土砂を積んだダンプカーがゲート前にならびはじめる。ダンプカーの運転手は若い男のひとが多い。お昼に、基地の近くのお弁当屋さんでお弁当をたべたことをおもいだす。お店のおかあさんは、基地内の建設現場で働く息子たちのために基地の近くでお弁当屋さんを経営している。しばらくしてダンプカーが基地に入る時間になる。みんな、おのおののタイミングで座り込みをやめて、道路の反対側(こちら側)にわたる(もどる)。あとで調べると「あの青い空のように」という曲だった。あのセミはオオシマゼミというらしい。

1-2.摩文仁の崖(2020.10.31)

平和祈念公園の駐車場に着いて、車を降りるとおばあさんがいる。花を売っている。どこから来たのか聞かれる。機械で戦没者を調べる。出身地ごとにわかれていて、沖縄だけでなく、そのほかの日本各地、北朝鮮、韓国、台湾、アメリカ、イギリス、とある。膨大な数の石碑がならんでいて、ひとつひとつに名前が彫られている。まんなかに広場があって海が見える。献花台があるので献花する。広場のはしの柵のところまでいって海を見わたすと、崖になっている。海がおおきい。風が強くてかなり荒れている。引き潮で砂浜ができている。砂浜におりて釣りをしているひとがいる。遠くてよく見えない。自分はぜったいにこの崖を降りられないとおもう。落ちる想像をしてしまう。岩にぶつかって死ぬか、荒波にさらわれて死ぬとおもう。資料館に入って、展示資料を見る。時系列ごとにパネルが用意されていて、琉球処分、第二次大戦に至る流れ、沖縄戦の経過、戦後の沖縄、沖縄返還、など。映像資料で、あの崖こそが摩文仁の崖で、多くの島民が投身自殺をした場所だったとわかった。いっしょに逃げてきたひとは、敵に捕まるくらいならと、崖から飛び降りていったという。

1-3.伊原第一外科壕(2020.10.31)

ひめゆり平和祈念資料館にいく。展示のコンセプトとして個人に焦点があてられている。生き残った語り部の証言、学校での暮らし、生徒や先生の当時の日記、顔写真、ひととなりのメモ。語り部が証言する映像資料を見る。医療道具の不足、野戦病院として使っているガマの衛生状態の悪さ、運ばれてくる兵士の手の施しようがない状態にたいする、医療従事者としての自分の立場。動けない患者が耳かきをしてほしいと言うので見ると、うじがわいていて、細い木の棒をつかって取り出そうとするが取り出せない。くちゅ、くちゅ、とえんえんと音がして頭がおかしくなりそうだと患者がさけぶと言うときの、くちゅ、くちゅ、の速度。近くにもうひとつ病院として使用されたガマ(伊原第一外科壕)があるので向かう。あたり一面のサトウキビ畑のあいだをずっと進んでいくと、なにかが腐ったようなにおいがしてくる。地図にしたがって進むたびににおいがつよくなる。畑のなかにいきなり手入れされていない森のような場所があって、大量の蚊とトンボが飛びまわっている。のぞくと地面におおきな穴があいていて、ガマだとわかった。ラジオをかけっぱなしの軽トラックが停まって、そのあたりから降りていけるようになっている(石段があった)。まわりにはだれもいない。降りていくと千羽鶴とお供えものがおいてある。これ以上なかに入ることはできないとおもう(あとで、崩落の危険があるので立ち入り禁止となっていることを知る)。黙祷。外に出る。においがうすくなっている気がする。解散命令を受けて、いっしょに手をつないでガマから外に飛び出したところを撃たれて死んだ友人を、名字にさん付けで呼び続けていた語り部のことをおもいだす。

1-4.嘉手納基地(2020.11.01)

いまにぎわっているコザゲート通りと周辺のアーケード街、むかしにぎわっていたコザ十字路の銀天街をまわる。嘉手納基地の飛行場を一望できるという道の駅に向かう。辺野古と同じで、両側をフェンスにかこまれた一本道がずっと続いている。この道をとおらないと嘉手納の海に出られないのでしかたなくとおることが許されているという気がする。道の駅かでなに着く。屋上にあがると飛行場が見わたせる。飛行機を撮影したいひとがベンチで待機している。お金を入れると見えるようになる双眼鏡がおいてある。使ってみると、格納庫がならんでいて、戦闘機と哨戒機らしきものが停まっている。サータアンダギーを買って食べながら、シーサイドというレストランに向かう。嘉手納基地の敷地内にあって、関係者でなくても入れるらしい。着いてみるとフェンスが空いていて、他の基地の入り口と違って警備員がおらず、自由に入れるようになっている。駐車場には米軍ナンバーの車がたくさん停まっている。レストランに入るとアメリカ軍のコロナ追跡システムがある。関係者以外は記入用紙に手書き。時間がないので写真を撮って出る。帰りは、来た道とは別の道で帰る。ずっと基地のフェンスが続いている。


2.三野さんの写真で考える

三野さんが沖縄にいって撮った写真。いぬのせなか座メンバ数名といっしょに沖縄にいくよりも前に撮られたもの。これをもとに写真集を制作していく。これから編集していくなかで、写真集に載せないと判断されるものもあるだろうし、色調など、そのままの形では載らないものもあるだろうし、追加で撮影されるものもあるだろう。今回は、現時点で共有されている写真のうち、いくつかに絞って見ていく。

2-1.雑感

植物の写真が多い。明るくてきれいな写真もあるが、暗くて一見するとよくわからない写真に心惹かれる。

プリントA4_015

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※いずれも三野さん撮影。

光があたっている部分が目立つ。その感じがきれいだとおもうのと同時に、こわい。ひめゆり平和祈念資料館内にある、実物大に再現されたガマのジオラマのなかに入って入り口のほうを見上げたときのことと、伊原第一外科壕の入り口からガマのなかをのぞき込んだときのことがおもいだされる。ジオラマのなかは明るかったが、アメリカ兵に見つからないように、ほんとうはガマのなかはほとんど真っ暗だったんじゃないかとおもったし、実際にのぞき込んだガマのなかはほんとうにまっくらでなにも見えなくて、見つからないように明かりもつけていなかったのではないか、とおもう。三野さんの写真が、そうとしか見えなくなってくる。

そういう写真は他にもある。明るい写真でも、かこまれている感じ、おおいかぶさってくる感じの写真。伊原第一外科壕の、石段を降りたところの岩のあたりで感じた感覚は、これにすごく近い。

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※上の2枚は三野さん撮影。

※下の3枚はなまけ撮影。

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物陰から向こう側をのぞき込むような写真も多い。写真としての構図を成り立たせるために物陰から撮ったとも見れるし、この物陰からでなければ撮影行為自体が成立させられなかったとも見れる。

※以下すべて三野さん撮影。

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物陰、と書いたがほとんどは植物。暗い写真、とはじめに書いたが、これらも「陰」から撮っている写真。その点で、暗い写真も、物陰から撮っている写真も、どちらも同じ性質のものと言えそう。どちらの「陰」も植物によって生み出されている。この、植物によって成立している、という感覚。

プリントA4_033

プリントA4_145


2-2.『植物の生の哲学』

まえから気になっていた本。三野さんの写真を見て、読んでおくべきだとおもって買って読みはじめた。

https://www.keisoshobo.co.jp/book/b472203.html

植物の葉が支えているのは、その葉が属する個体の生命だけではない。その植物が表現形として最たるものであるような生息域の生命、さらにはその生物圏全体までもが葉に支えられて生きている。(……)つまり葉は、大多数の生物に単一の環境、すなわち大気という環境を押しつけてきたのだ。(p.36)
まずは次のように認識することが問題となるだろう。すなわち〈生物の観点に立つ〉ならば、生息空間を構成する物質について、その客観的な性質がどうであれ、たとえ元素の違いや物理的な不連続があろうとも、その空間は存在論的には〈一つかつ均質〉であり、〈流体〉としての性質がそこでの一性をなすことになる、ということだ。(……)流体とは、固体・液体・気体の状態とは関係ない。自身の形状を、なにがしかの自己イメージに即して拡張していくような物質は、すべて流体なのだ。(……)あらゆる生物は流動環境の内部にしか存在できないが、それは生命が世界をそのように創り上げることに寄与したからにほかならない。すなわち、常に不安定で、たえず増幅と分化の運動に囚われたものとして。(p.43)
すると魚は、生物の進化の一段階にとどまらず、〈あらゆる生物のパラダイム〉をなすことになる。海もまた、単に一部の生物にとっての特殊環境であるとは考えられず、世界そのもののメタファーとして考えるべきだということになる。あらゆる生物にとっての「世界に在ること」は、魚による世界の体験から理解すべきなのだ。この「世界に在ること」は、わたしたちの場合もそうなのだが、常に「世界という海に在ること」なのである。それは〈浸ること〉の一形態だ。(p.44)


ふつう、植物はこの世界のなかにあって雨風にさらされて生きていて、動物は自分の世界をかたちづくって生きている、とおもっているが、じつはそれは逆で、植物(とくに葉)こそがこの世界をかたちづくっていて、動物はそのなかで生きているだけなんだ、と考えてみること。動物がかたちづくる世界は、植物がつくりだす世界に大きく依存していて、そういう意味でこの星は植物の星で、あらゆるところで植物にかこまれていて、植物なしでは地上で呼吸をする動物の生はありえない。動物が呼吸するときにからだに取り入れる空気、酸素は、植物の葉が生み出していて、人間も、植物の生を前提としないと生きられない。植物の葉が生み出す空気を吸って、息をし続けている。植物がつくりだす世界に支えられて生きている。(植物自身もまたそうではあるが。)そのことは、ふだんあまり意識されることがない。

2-3.〈浸り〉と〈垣間見〉

「世界に在ること」を意識しないではいられない沖縄という土地。自分の実感でいうと、ガマはすごくこわかった(と言ってしまっていいのかわからない、それで自分の感情を言いあらわすことができているのかもわからない)。なかに入っていくことはできないというか、そこに長くはいられない、そこを前提とした生を生きられない、という感じ。ガマは、沖縄戦のときに野戦病院として使われたという事実、そこで何人ものひとが亡くなっただろうということとは別に、息苦しさを感じる場所だった。そこで生きることを想像すると、いまとはまったく異なる身体にさせられてしまうのではないか、というこわさがあった(〈浸り〉)。たとえば海のなかで生きることを強いられるような。しかし、立ち去りたいとおもうと同時に、ここに立ち寄らないといけない、見ておかないといけない、と感じるのもまた事実(〈垣間見〉)。この〈浸り〉きることのむずかしさ(これを三野さんの言う「遠さ」だと理解している)と、それでも〈垣間見〉る必要があるんだ、という二つのものが、三野さんが撮った植物の暗い写真にはあらわれているとおもう。

プリントA4_089

世界とは、息吹の質料・形相・空間・現実のことである。植物は〈あらゆる生物の息吹〉であり、〈息吹としての世界〉にほかならない。逆にいえば、あらゆる息吹は、世界に在るということが身を浸す体験であるという事実の証左でもある。呼吸するとは、わたしたちが浸透するのと同じ資格・同じ強度でもってわたしたちに浸透してくる環境に、浸りきることを意味する。すべての存在は、自身のもとで浸る当のものに浸される限りにおいて、世界内の存在なのだ。植物はこのように、浸りのパラダイムをなしている。(p.75)


2-4.この生(活)の〈外部〉

振り返って、自分は日記になにを書いていたか。「辺野古ゲート前抗議(2020.10.30)」の生の熱気、「摩文仁の崖(2020.10.31)」の死のにおい、「伊原第一外科壕(2020.10.31)」のなまなましい生の感覚、「嘉手納基地(2020.11.01)」のこの生(活)はかろうじて成立しているのだ、という感覚(が強烈に思い出されること)。三野さんのいう沖縄の「遠さ」というのが腑に落ちてくる。それを遠ざけておくことで、自分以外のさまざまなものごとに依存してこの生(活)が成り立っているということ、を忘れていられる。基地だったり、戦争だったり、貧困だったり、民主主義だったり。よくよく考えると、かつて体験したことのない規模の地震が起きたときに(それが起きる可能性はないとは言えない)、あらゆる建築物(この家もふくめて)が倒壊してしまうかもしれない。新型コロナもそう。この生(活)を成り立たせているものは同時に自分をおびやかすものでもあって、それらは自分の〈外部〉にあって、でもそれはたんなる〈外部〉ではなくて、呼吸するたびに自分がすでにつねにそこに入っていてかつ自分のなかに入ってくる空気のようなものでもある。さいきんの自分の個人的なことがらも含めて、ふだん忘れてしまっているけど、さまざまなものごとのおかげで生きているんだということを強く意識させられる。そういうことを小説に書けたらとおもう。

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