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播磨陰陽道

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播磨陰陽師の独り言・第三百六十九話「目が悪いので」

播磨陰陽師の独り言・第三百六十九話「目が悪いので」

 私は視力が弱いです。左目は手の届くところにしかピントが合いません。右目は見ているところの中心部が歪んで見えています。昔はかなり見えたんですけどねぇ。今は、こんな感じです。
 当然、人の顔を見分けることは出来ません。誰かの顔を見ると、中心部がぼやけて見分けられないのです。誰の顔も、ただの肌色の塊にしか見えず、かなり困ります。最近は、皆、マスクをしているので、見分けるのはさらに困難になりました。
 

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播磨陰陽師の独り言・第三百六十八話「祝詞や祭文の音」

播磨陰陽師の独り言・第三百六十八話「祝詞や祭文の音」

 われわれ播磨陰陽師は、祓いや様々な時、神職と同じように祝詞や祭文をあげます。もちろん、神主ではないので、独特の古いあげ方を好みます。古いと言うのは、歌うような節があるやり方と言うことです。神主も昔は歌うような祝詞をあげていました。それが、大正十四年に決まった法律で、祝詞は棒読みになったのです。
 理由は、
——祝詞を歌うには才能が必要であり、たくさんの神職が必要になった現代にそぐわない。
 と言

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播磨陰陽師の独り言・第三百六十七話「夜店と大道芸・後編」

播磨陰陽師の独り言・第三百六十七話「夜店と大道芸・後編」

 大阪の天王寺では毎月二十一日に弘法市があります。この市で、ハブとマングースの戦いを見ました。これは大道芸のひとつです。ハブ酒を売る夜店です。ハブが死ぬまで戦うと言った激しい見せ物でした。
 その近くに〈覗きカラクリ〉もありました。覗きカラクリと言うのは、穴から覗く紙芝居のようなものです。あの時は、確か〈八百屋お七〉をやっていました。
 大道芸は好きだったのと、ゲームを開発していた頃に大道芸を参考

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播磨陰陽師の独り言・第三百六十六話「夜店と大道芸・前編」

播磨陰陽師の独り言・第三百六十六話「夜店と大道芸・前編」

 祭りなどで夜店めぐりをするのが好きです。最近は少なくなりましたが、大道芸とかもあって楽しかった思い出もあります。コロナでなかなか夜店に行くことも出来なくなって残念な感じがします。
 子供の頃は、お盆の平原祭りだけが夜店のすべてでした。これは帯広の祭りです。あの頃、他の地域の祭りは知りませんでした。旅行しても祭りの時期に行くとは限りません。平原祭りにはたくさんの夜店が出て、それはそれは華やかだと思

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播磨陰陽師の独り言・第三百六十五話「ビデオのこと」

播磨陰陽師の独り言・第三百六十五話「ビデオのこと」

 最近、YouTubeで映像を見ていると、
「では、VTRスタート」
 とか言ってはじまる作品がありました。VTRは〈ビデオテープレコーダー〉の略なので、
——オンデマンド時代にビデオテープはないだろう。
 と思いました。
 昔のビデオ作品は画面が小さくて、解像度も低かったですが、それなりに綺麗だったと思います。もしかするとブラウン管の表面の美しさを勘違いしているのかも知れません。
 ビデオデッキ

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播磨陰陽師の独り言・第三百六十四話「虫たちの声を聞く」

播磨陰陽師の独り言・第三百六十四話「虫たちの声を聞く」

 最近、わが家のお風呂場にコオロギが入りこんだようで、壁に反響して大きな鳴き声が聞こえます。元々、お風呂場は庭に面していて、窓を開けると虫が入って来ます。いつもは網戸を閉めていますが、いつの間にか入っていたようです。
 庭にいる虫は主にコオロギとキリギリス。スズムシも鳴いて欲しいですが、残念ながら聞こえません。どこかで買って、庭に放そうかなとも思っています。毎年秋になると、虫の鳴き声を楽しみにして

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播磨陰陽師の独り言・第三百六十三話「臨海学校のこと」

播磨陰陽師の独り言・第三百六十三話「臨海学校のこと」

 夏になると、世の中には臨海学校と言うものがあるらしいですね。あるらしいと言ったのは、私は臨海学校を体験したことがないからです。北海道の学校には臨海学校の制度がありませんでした。時代的なこともあるかも知れません。
 知らないことなので、〈林海学校〉と勘違いして覚えていました。林や海に行くと思っていたのです。十勝平野はどちらも遠く、ほとんど別世界のような雰囲気ですので、学習には良いかも知れません。し

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播磨陰陽師の独り言・三百六十二話「重陽の節句のこと」

播磨陰陽師の独り言・三百六十二話「重陽の節句のこと」

 重陽の節句は、陰陽道の祭りである五節句の、最後の節句にあたります。古くは御九日と呼ばれていました。これが訛って〈くんち〉となり、今の〈長崎くんち〉などのお祭りの名前の元となりました。
 今は新しい暦で数えますが、こと「重陽の節」に限っては旧暦を重要視しています。その訳は、中秋の名月(旧暦八月十五日)を祝ってからでないと、感覚的に〈重陽の節句〉が来た感じがしないからです。
 とは言え、新暦の九月九

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播磨陰陽師の独り言・第三百六十一話「高校野球のスコア」

播磨陰陽師の独り言・第三百六十一話「高校野球のスコア」

 夏になると、従姉が毎年、ラジオで高校野球を聞きながらスコアをつけていました。私は野球のスコアブックなるものを、他で見たことはありません。
——従姉はどこであのような物を手に入れたのだろう?
 と、いつも不思議に思っていました。
 当時、高校生だった従姉は女子校だったため、学校に野球部はありません。野球とは無関係な生活をしていた筈です。
 中学生の頃、この家に引っ越しました。もちろん、近所に知り合

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播磨陰陽師の独り言・第三百六十話「門司のこと」

播磨陰陽師の独り言・第三百六十話「門司のこと」

 門司港はそうでもないですが、少し手前の門司駅周辺には、九州各地から人が集まって住んでいます。普通なら博多に住むような場合でも、門司に住むそうです。
 理由は、
——博多へは行ききらん。
 からだそうです。
 博多は都会過ぎて住むには苦労します。しかし、門司なら、そこそこ都会的な雰囲気で、しかも田舎っぽさが残っています。どこへ行くにも近くて静かで住みやすいと言います。景色も良く、海や山も近くに見え

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播磨陰陽師の独り言・第三百五十九話「妙な味の食べ物」

播磨陰陽師の独り言・第三百五十九話「妙な味の食べ物」

 体調が悪くなると、幼い頃に食べたような味を求めてしまいます。
 時代が時代だからか、あるいはわが家に限ってのことか? 幼い頃に食べていた味は、かなり妙な食べ物ばかりでした。
 たとえば、マヨネーズをかけたスパゲティとか、コーヒー牛乳に浸したトーストとか、今にして思えば奇妙な物ばかりだった気がします。
 子供の頃にスパゲティと言えば、何も入っていない麺にマヨネーズをかけたものを食べていました。ミー

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播磨陰陽師の独り言・第三百七十八話「聞き慣れた日本語」

播磨陰陽師の独り言・第三百七十八話「聞き慣れた日本語」

 以前、アメリカの西海岸あたりで、日本のJポップが流行っていることを書きました。最近はヨーロッパに飛び火したようです。イギリスを中心に流行りはじめました。
 最初はアナログのレコードが流行りはじめたそうです。1980年代初頭はアナログレコードが中心でした。当時の日本語のレコードが、英語圏の人々に好まれているのです。
 昔は、ヨーロッパの人々にとって日本語は、理解不可能な、しかも聞きなれない言葉のひ

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播磨陰陽師の独り言・第三百五十七話「祓いの掟」

播磨陰陽師の独り言・第三百五十七話「祓いの掟」

 祓いには様々な掟があります。もちろん、決まりは決まりであります。それとは別に〈掟〉と言うべき物事があるのです。
 決まりとしては、儀式の手順が決まっています。その時にあげる祝詞も書式が決まっています。また、何を祓うのかについても、使う祝詞や儀式の手順が決められていて、自由にやれる訳ではありません。しかし、自由さのある場合もあって、厳密にこうしなければならないと言う訳でもありません。
 しかし、い

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播磨陰陽師の独り言・第三百五十六話「様々な礼儀」

播磨陰陽師の独り言・第三百五十六話「様々な礼儀」

 以前に、死んだ人に鞭を打ってはならないと言う言葉を書きました。それに関連して、また、ひとつの言葉を書きます。
 それは、
——人の陰口を叩いてはならない。
 と言うものです。
 陰口を叩く人は、いつか、見えないところでトラブルを起こします。そんな人は、やがて見えるところでもトラブルを起こすようになります。そんな潜在的危険を含んでいるのです。また、人に対して礼儀を欠く行為だと言うことからも禁じられ

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