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播磨陰陽師の独り言・第三百七十八話「聞き慣れた日本語」

 以前、アメリカの西海岸あたりで、日本のJポップが流行っていることを書きました。最近はヨーロッパに飛び火したようです。イギリスを中心に流行りはじめました。
 最初はアナログのレコードが流行りはじめたそうです。1980年代初頭はアナログレコードが中心でした。当時の日本語のレコードが、英語圏の人々に好まれているのです。
 昔は、ヨーロッパの人々にとって日本語は、理解不可能な、しかも聞きなれない言葉のひとつでした。それが、Netflixでアニメの全世界配信がはじまって、アニメを字幕で見るようになってから世の中が変わりました。
 外国の人にとっても、日本語は聞き慣れた言葉になりました。そうなると、次は漫画を読みはじめます。最初は英語に翻訳されたものが少ないため、辞書を引きながら読んでいたようです。
 私も大阪へ帰る新幹線で、辞書を引きながら漫画を読む外国人を見たことがあります。多分、フランス人だったと思います。簡単な日本語でしたが、フランス語で説明出来ないので関わるのことはしませんでした。出来れば教えてあげたかったです。
 今では日本の小説も、各国語に翻訳されて広まりはじめています。映画やアニメになった作品の原作から、火がつきました。
 こうやって目に見えないところで、あるいは明らかに見えるところでも、日本の文化が広がってゆくのです。子供の頃から日本のアニメや漫画を見て育つ世代は、もう大人になっています。親子で日本語に触れて、もうその子供も大人になる時代です。
 こうなると日本語はビジネスに必要ではなく、趣味として必須の言葉になってきています。やがて、日本語を覚えた人々は日本に住みたくなるようです。遥か東の果ての理想郷のように憧れて、日本にやってくる人々を歓迎しようではありませんか。
 日本は単一民族で……とは言われますが、これは誤解です。平安時代の昔から、いや、もっと以前も、外国から来る人々を受け入れて、混血になっていたのです。だから日本人は複雑な遺伝子を持っています。そのため、器用で頭も良いのです。前にも書きましたが、平安時代には外国から来た人々が、人工の三割を占めていたそうです。江戸時代初期にも金髪の豊臣家に仕えていた女性がいました。金髪の日本髪姿は、さぞ、目立ったことでしょう。彼女のことは調べてもあまり資料がありませんが、豊臣秀吉の裏の姿を目撃したことを話し残しています。黒人のサムライがいたことも記録に残っています。これらは稀なことかも知れませんが、平安時代に東南アジアの人がいても、いちいち記録には残りません。皆、日本人らしい名前をもらって、生活しているのですから……。ちなみに古事記で有名な稗田阿礼は外国人だったと言う説があります。阿礼と言う名前は外国の人に多かったそうですが……。

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