hanjimomonga789
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橋本治の初期雑文を読む5
橋本治は、デビューから1980年代に書いた雑文を、1989年末~1990年にかけて、『橋本治雑文集成パンセ』と題し全7冊刊行している。これまでに紹介したものから漏れたものを、パンセシリーズよりいくつかピックアップ。
『女性たちよ!』より「結婚なんかしたくない」
男の時代が終って女の時代が来たんだそうで、しかしそうなったらはっきりしてるっていうのは、その瞬間女の時代は終る宿命にあるってこと。
"女
橋本治の初期雑文を読む4
『問題発言2』より「理性の時代に--解説·有吉佐和子『母子変容』」
有吉佐和子の小説『母子変容』が週刊読売誌上に連載されていた昭和四十八年は、有吉佐和子にとって実に重要な年だった。前年に『恍惚の人』、翌年に『複合汚染』を書いた"社会派"有吉佐和子が、実におもしろい小説を三本も並行させて書いていた年なのだ。問題意識の狭間に"おもしろい"ものがあるということは、実に重要なことで、この辺りが才女·有吉佐
橋本治の初期雑文を読む2
『極楽迄ハ何哩』より「親爺の女」
僕は、伊東深水を"知っている"ばかりでなく、伊東深水をかなりに"好きだ"。
伊東深水は、画壇の"川口松太郎"だろう。どうしてかというと、川口松太郎は"小説家の川口松太郎"ではなく、"新派の川口松太郎"だからである。川口松太郎の功績は、残るのだとすれば、『愛染かつら』を書いたことではなく、昭和の新派を完成させたということで残るであろう。新派は"現代劇"だった。今後商
橋本治『風雅の虎の巻』「風の音を知れ」を読む
『風雅の虎の巻』は1988年9月に刊行された。
「花の名前は知らねども」「鳥のように」「風の音を知れ」「月見れば千々に心は乱れても」の4部構成となっている。今回はこの中の「風の音を知れ」を読む。
橋本治はここで、「人間のすることすべては最終的には娯楽(エンターテインメント)である」と言っている。なぜなら、どんなことでも、出来るまでは悪戦苦闘のつらい日々で、出来るようになったら後は楽、それをすること
橋本治とミュージカル3
橋本治にとっての「"日本の"ミュージカル」の"終わり"ははっきりしている。昭和35年12月から5回ほど続いた東宝ミュージカル『雲の上団五郎一座』である。なぜこれが"終わり"なのかというと、これ以降、日本のミュージカルは、"本格"ミュージカルの方向に進み、昭和38年の『マイ・フェア・レディ』上演によってその方向が決定的なものとなったからである。
『雲の上団五郎一座』は菊田一夫作並び演出、エノケン、益
精読『完本チャンバラ時代劇講座』終講
全盛期の東映チャンバラ映画は"みんなおんなじ"だったが、それは、どんなものでも手を変え品を変えて結局みんなおんなじものにしてしまうという、非常に手のこんだ"みんなおんなじ"だった。
その一端を担っていたのが沢島忠監督である。この人の魅力を一言で言えば、みんなが走ることである。色んな人間の集団が、色んな方向から大クライマックスへ向けて走るのである。
色んなものが喚声を上げて走ってくる。その走ってくる
精読『完本チャンバラ時代劇講座』第四講その八
『大菩薩峠』が都新聞紙上に連載を開始したのは大正二年九月。そして大正二年は、"大衆小説"の誕生年と言われる年でもある。この大衆小説の誕生は『大菩薩峠』の連載開始とは直接の関係はない。"大衆小説"は講談との関係から浮かび上がってきたものなのである。
明治時代に全盛期を迎えていた講談には話したことを記録する速記があり、その速記本が大衆の読み物として広まっていた。速記術は舶来の技術ということもあってか、
精読『完本チャンバラ時代劇講座』第四講その七
内田吐夢は『宮本武蔵』以前、昭和三十二年に『大菩薩峠』三部作の第一作を撮っている。この第一作ではまだ一滴も血が流れない(殺しのシーンはあるものの)。しかし翌年の第二部では平然と血を飛ばしている。例の『用心棒』の三年前の作品である。それが必要ならそれは登場する、それが内田吐夢であるから、それまで血はなくとも、ここから血がいるとなれば平然と血を流すのである。
内田吐夢という人の頭の中には"矛盾"という