記事一覧

橋本治の後期雑文を読む4

引き続き『中央公論』の連載 2010年12月号より「日本人の「間」がおかしい」 韓国人の動きはキレがいい。今年の初めにソウルへ行ってパフォーマンスショーを見て改めて思っ…

hanjimomonga789
11時間前
1

橋本治の後期雑文を読む3

引き続き2010~2011年の『中央公論』の連載から。 2010年4月号より「デパートを失う街」 京都の四条河原町の阪急と、東京有楽町の西武デパートが閉店になるという。「有楽…

4

橋本治の後期雑文を読む2

『演劇界』2010年10月号、特集「実ハ」の世界より「アパートの隣室にマリー・アントワネットが住んでいたら」 歌舞伎の「実ハ----」が大好きです。 たとえば、汚い木造アパ…

hanjimomonga789
12日前
3

橋本治の後期雑文を読む1

橋本治はデビューから80年代までの雑文をパンセシリーズにまとめ、90年代前半の雑文は、中央公論社から出版された『春宵』『夏日』『秋夜』『冬暁』にまとめ、90年代後半か…

hanjimomonga789
2週間前
4

橋本治の初期雑文を読む6

『文學たちよ!』より「遁走詞章」 久生十蘭は、知識を"メロディー"して把握してしまう人である。 歌を覚える人間は、まずメロディーを覚える。メロディーがあれば、そこに…

hanjimomonga789
3週間前
2

橋本治の初期雑文を読む5

橋本治は、デビューから1980年代に書いた雑文を、1989年末~1990年にかけて、『橋本治雑文集成パンセ』と題し全7冊刊行している。これまでに紹介したものから漏れたものを…

hanjimomonga789
4週間前
3

橋本治の初期雑文を読む4

『問題発言2』より「理性の時代に--解説·有吉佐和子『母子変容』」 有吉佐和子の小説『母子変容』が週刊読売誌上に連載されていた昭和四十八年は、有吉佐和子にとって実に…

hanjimomonga789
1か月前
4

橋本治の初期雑文を読む3

『問題発言』より「サブカルチャーの不思議」 日本には社会学用語の"サブカルチャー=下位文化"に当たるようなものは江戸時代の"町人文化"にしかない。士農工商という身分制…

hanjimomonga789
1か月前
5

橋本治の初期雑文を読む2

『極楽迄ハ何哩』より「親爺の女」 僕は、伊東深水を"知っている"ばかりでなく、伊東深水をかなりに"好きだ"。 伊東深水は、画壇の"川口松太郎"だろう。どうしてかというと…

hanjimomonga789
1か月前
4

橋本治の初期雑文を読む1

とりわけおもしろいと思うものをいくつかピックアップ まずは『よくない文章ドク本』より 「顔の長い文学史」 戦前の江戸前の日本文化は顔が長いことを正統とした。 九代目…

hanjimomonga789
1か月前
5

橋本治と宗達、光琳

橋本治は『ひらがな日本美術史』において、俵屋宗達のことを次のように言う。 「俵屋宗達は天才で、日本美術というものは、俵屋宗達を最高の画家とするような形で存在して…

hanjimomonga789
2か月前
6

橋本治『風雅の虎の巻』「風の音を知れ」を読む

『風雅の虎の巻』は1988年9月に刊行された。 「花の名前は知らねども」「鳥のように」「風の音を知れ」「月見れば千々に心は乱れても」の4部構成となっている。今回はこの…

hanjimomonga789
2か月前
5

橋本治とミュージカル4

秦豊吉は昭和8年、宝塚入社以前に、小林一三に以下のような内容の手紙を送っている。 ·パリのレビュウは種ギレの感がある。踊りよりも歌に転じてきている。 ·レビュウに…

hanjimomonga789
2か月前
2

橋本治とミュージカル3

橋本治にとっての「"日本の"ミュージカル」の"終わり"ははっきりしている。昭和35年12月から5回ほど続いた東宝ミュージカル『雲の上団五郎一座』である。なぜこれが"終わり…

hanjimomonga789
3か月前
3

橋本治とミュージカル2

橋本治の脚本で最初に上演されたものは、『月食』である。演出は宮本亜門。1994年1月に東京、3月に神戸で公演された。 この脚本執筆の経緯は、宮本亜門から橋本治へ、会い…

hanjimomonga789
3か月前
3

橋本治とミュージカル 1

橋本治は『根性』収録「渋谷の歩行者天国'86」のなかで次のようなことを言っている。 "チャンバラ映画の本の中に、実は"日本のミュージカルの歴史"っていうのをキチンと入…

hanjimomonga789
3か月前
3

橋本治の後期雑文を読む4

引き続き『中央公論』の連載
2010年12月号より「日本人の「間」がおかしい」
韓国人の動きはキレがいい。今年の初めにソウルへ行ってパフォーマンスショーを見て改めて思った。日本人の動きは、もっとキレが悪い。動きと動きの間に「余分なもの」が入っている。
1960年代くらいから、日本人の動きのキレは、そんなによくない。「本場(つまりアメリカ)のようなミュージカルをやりたい」と言って精進をして、でも結果

もっとみる

橋本治の後期雑文を読む3

引き続き2010~2011年の『中央公論』の連載から。
2010年4月号より「デパートを失う街」
京都の四条河原町の阪急と、東京有楽町の西武デパートが閉店になるという。「有楽町マリオンという形で親しまれて来た、有楽町西武デパートが----」という言われ方をしているのを聞くと、「そうか、親しまれてたのか」と、自分と世間のあり方のギャップを感じる。1984年に「有楽町西武がオープン」という話を聞いた時

もっとみる

橋本治の後期雑文を読む2

『演劇界』2010年10月号、特集「実ハ」の世界より「アパートの隣室にマリー・アントワネットが住んでいたら」
歌舞伎の「実ハ----」が大好きです。
たとえば、汚い木造アパートの一室に売れないキャバクラ嬢とコンビニのバイト店員が同棲しています。しかしこの二人は、実は革命の嵐を逃れてきたマリー・アントワネットと男装の麗人オスカルなのです。
これが実のところ江戸の歌舞伎のあり方です。
メチャクチャな設

もっとみる

橋本治の後期雑文を読む1

橋本治はデビューから80年代までの雑文をパンセシリーズにまとめ、90年代前半の雑文は、中央公論社から出版された『春宵』『夏日』『秋夜』『冬暁』にまとめ、90年代後半から2004年ごろまでの雑文は『ひろい世界の片隅で』にまとめていた。それ以降のものに関しては、雑誌の連載をまとめた単行本が主で、色々な媒体に書かれた雑文をまとめたものはない。(雑文集という感じではない『バカになったか、日本人』や没後に出

もっとみる

橋本治の初期雑文を読む6

『文學たちよ!』より「遁走詞章」
久生十蘭は、知識を"メロディー"して把握してしまう人である。
歌を覚える人間は、まずメロディーを覚える。メロディーがあれば、そこに言葉はいくらでものっかるし、メロディーぐるみで記憶された歌詞は、今度は逆に、メロディーを作る。歌詞は容易に"替え歌"を生むし、メロディーは容易にハーモニーを生む。そして人は、歌詞の細部を、その時その時の気まぐれによって、覚えまちがえる。

もっとみる

橋本治の初期雑文を読む5

橋本治は、デビューから1980年代に書いた雑文を、1989年末~1990年にかけて、『橋本治雑文集成パンセ』と題し全7冊刊行している。これまでに紹介したものから漏れたものを、パンセシリーズよりいくつかピックアップ。

『女性たちよ!』より「結婚なんかしたくない」
男の時代が終って女の時代が来たんだそうで、しかしそうなったらはっきりしてるっていうのは、その瞬間女の時代は終る宿命にあるってこと。
"女

もっとみる

橋本治の初期雑文を読む4

『問題発言2』より「理性の時代に--解説·有吉佐和子『母子変容』」
有吉佐和子の小説『母子変容』が週刊読売誌上に連載されていた昭和四十八年は、有吉佐和子にとって実に重要な年だった。前年に『恍惚の人』、翌年に『複合汚染』を書いた"社会派"有吉佐和子が、実におもしろい小説を三本も並行させて書いていた年なのだ。問題意識の狭間に"おもしろい"ものがあるということは、実に重要なことで、この辺りが才女·有吉佐

もっとみる

橋本治の初期雑文を読む3

『問題発言』より「サブカルチャーの不思議」
日本には社会学用語の"サブカルチャー=下位文化"に当たるようなものは江戸時代の"町人文化"にしかない。士農工商という身分制度の"下位"である"町人"によって成立させられていたのが"町人文化"なのであるから、正しい意味での"日本のサブカルチャー"なぞいうものはここにしかない。
現在だか現代の日本の"サブカルチャー"なるものは、明治以後のすべての日本文化の例

もっとみる

橋本治の初期雑文を読む2

『極楽迄ハ何哩』より「親爺の女」
僕は、伊東深水を"知っている"ばかりでなく、伊東深水をかなりに"好きだ"。
伊東深水は、画壇の"川口松太郎"だろう。どうしてかというと、川口松太郎は"小説家の川口松太郎"ではなく、"新派の川口松太郎"だからである。川口松太郎の功績は、残るのだとすれば、『愛染かつら』を書いたことではなく、昭和の新派を完成させたということで残るであろう。新派は"現代劇"だった。今後商

もっとみる

橋本治の初期雑文を読む1

とりわけおもしろいと思うものをいくつかピックアップ
まずは『よくない文章ドク本』より
「顔の長い文学史」
戦前の江戸前の日本文化は顔が長いことを正統とした。
九代目団十郎、五代目菊五郎、十五代目羽左衛門、初代吉右衛門などなど。六代目菊五郎は丸顔だった。正統から外れた顔を持ったがゆえに自分の顔にあった様式を持たなければならなかった。それが彼のリアリズムだった。
顔の長い歌舞伎役者は、ひたすら修行をす

もっとみる

橋本治と宗達、光琳

橋本治は『ひらがな日本美術史』において、俵屋宗達のことを次のように言う。
「俵屋宗達は天才で、日本美術というものは、俵屋宗達を最高の画家とするような形で存在している」
その理由は、宗達の絵が「笑っている」から。だからこそ最高なのだと。
天才というものは、いくらクソ真面目に仕事をしたって、どっかで遊んでいたり笑ったりする余裕があるものだろう、と言う。
以下、橋本治による宗達の分析を続ける。
俵屋宗達

もっとみる

橋本治『風雅の虎の巻』「風の音を知れ」を読む

『風雅の虎の巻』は1988年9月に刊行された。
「花の名前は知らねども」「鳥のように」「風の音を知れ」「月見れば千々に心は乱れても」の4部構成となっている。今回はこの中の「風の音を知れ」を読む。
橋本治はここで、「人間のすることすべては最終的には娯楽(エンターテインメント)である」と言っている。なぜなら、どんなことでも、出来るまでは悪戦苦闘のつらい日々で、出来るようになったら後は楽、それをすること

もっとみる

橋本治とミュージカル4

秦豊吉は昭和8年、宝塚入社以前に、小林一三に以下のような内容の手紙を送っている。
·パリのレビュウは種ギレの感がある。踊りよりも歌に転じてきている。
·レビュウに代わるものとして「オペレット」が圧倒的人気
·ロンドンでは伝統的なヴァラエティが健在
·将来日本の大衆に最も歓迎される芝居は、歌と舞踊とを多く含んでいるものであると確信している。今日ではそれは「オペレット」であり、映画に対抗し得る唯一であ

もっとみる

橋本治とミュージカル3

橋本治にとっての「"日本の"ミュージカル」の"終わり"ははっきりしている。昭和35年12月から5回ほど続いた東宝ミュージカル『雲の上団五郎一座』である。なぜこれが"終わり"なのかというと、これ以降、日本のミュージカルは、"本格"ミュージカルの方向に進み、昭和38年の『マイ・フェア・レディ』上演によってその方向が決定的なものとなったからである。
『雲の上団五郎一座』は菊田一夫作並び演出、エノケン、益

もっとみる

橋本治とミュージカル2

橋本治の脚本で最初に上演されたものは、『月食』である。演出は宮本亜門。1994年1月に東京、3月に神戸で公演された。
この脚本執筆の経緯は、宮本亜門から橋本治へ、会いたいという話があったことによるらしい。それまで橋本治は宮本亜門の芝居は観たことがなかったようで、話があってから、出演していた『変身』を観に行ったそうな(週刊文春のインタビューでは『メアリー·スチュアート』の再演は観ているという記述あり

もっとみる

橋本治とミュージカル 1

橋本治は『根性』収録「渋谷の歩行者天国'86」のなかで次のようなことを言っている。
"チャンバラ映画の本の中に、実は"日本のミュージカルの歴史"っていうのをキチンと入れないとマキノさんの位置っていうのは浮かび上がって来ないようなもんで、まだそこまではやれてない。"
そう書いて、その後も日本のミュージカルの歴史についてはしっかりとは書かれていない。以前こちらのnoteでも触れた『川田晴久と美空ひばり

もっとみる