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橋本治の後期雑文を読む10

『演劇界』2013年11月号特集:江戸の名優怪優より「江戸の役者に憧れて 大太夫半四郎」 鶴屋南北の台帳を読んでいると、魅力的な役者だらけでうっとりする。下端の役者に至るまで、南北が個性をつかまえて役に活かしているので、読み慣れると声が聞こえて仕草まで見えるような気がする。 南北の書いた文化文政期の役者達の中で、特に好きな役者は二人いる。一人は「名人」と言われた二世関三十郎で、もう一人は「大太夫」と言われた五世岩井半四郎。 関三十郎は地味な人だからそんなに知名度はないだろうけ

    • 橋本治と六代目中村歌右衛門

      私はかつて、言文一致の純音楽家遠藤賢司が亡くなった時に、 「私にとっての遠藤賢司は、橋本治にとっての六代目中村歌右衛門である。 橋本治は歌右衛門について以下のように語っている。」とツイートした。 その際に引用した文章が次のものである。 歌右衛門の芝居は、幕が閉まっても、手が叩けない。あまりのすごさに呆然として、あまりのよさに陶然として、「手を叩く」などという余分なことをして、体に残った感動を外にこぼしたくないのだ。彼の舞台を見ていると、評論家になれない。評論家になることがた

      • 橋本治の後期雑文を読む9

        橋本治が購入したマンションで、ある騒動が起こった。その顛末を『中央公論』2013年8月号に書いている。それが以下の「マンション管理組合理事長騒動記」である。 2009年の6月、私は自分の事務所が入っているマンションの管理組合の理事長になった。管理組合の理事は区分所有者の持ち回りだが、区分所有者として20年以上もそこにいる私のところへそんな話が来たのは初めてだった。 前年の末に長編小説を書き上げた私は、さすがに年で疲れ果てていた。その年には更に長編小説を2作書く予定になってい

        • 橋本治と借金

          橋本治は自身の借金について色々なところで書いている。 いくつか拾って整理してみる。 恐らく一番詳細に書いているのは『貧乏は正しい!ぼくらの資本論』であろう。まずはここから分かることを以下に。 発端 1989年、賃貸で住んでいた「事務所であるマンションの一室」の大家さんのところに"遺産相続"という問題が発生。相続税を払うために、大家さんは自分の持っているものを売らなければならなくなった。当時橋本治は忙しく身動きが取れなかった。しかもやたらと荷物を持っていた。とんでもない量の荷

        橋本治の後期雑文を読む10

          橋本治の後期雑文を読む8

          『中央公論』2013年1月号より特集-昭和の歌 「山の吊橋」 歌謡曲から好きなものを一曲選べと言われて、ほんのちょっとあれこれと考えて、浮かんで来るのが、昭和34年に春日八郎が唄った「山の吊橋」です。歌謡曲というと「惚れたはれたばっかりだ」と思われがちだけれど、日本の古い歌謡の伝統に従って、「惚れたでもない、はれたでもない。ただ歌にして唄う」という流れは明らかにあって、「山の吊橋」は、その最右翼となるような「なんにもない歌」です。 この曲が登場した昭和34年に、私は小学校の6

          橋本治の後期雑文を読む8

          橋本治の後期雑文を読む7

          『中央公論』2012年8月号より特集日本の「正義」を考える「生物(なまもの)の正義と乾き物の正義」 その時私は、さる雑誌の依頼で山田風太郎先生に関する文章を書いていた。書き終わって、「昔、山田風太郎論を書いた時のタイトルは、"正義について"だったよな」と思った。「"今頃正義ってなんだよ?"って言われるなと思っていて、やっぱり言われたな」と思っていたら『中央公論』の編集部から電話があって、「"正義"についての原稿を書いてほしい」と言われた。私は驚いて、「今頃"正義"ってなんです

          橋本治の後期雑文を読む7

          橋本治の後期雑文を読む6

          『新潮45』2012年4月号より特集女のひとり勝ち「「女に生まれてよかった」と思える9の理由」 「国民生活白書」の調査とかいうようなもので、「女」だと幸福の実感度が高くなるのだという。そんなの当たり前じゃんと、私は思う。 1.女は男とではなく、「自分の結婚」と結婚する 今からもう四十年ばかり前からの話だが、結婚式場の宣伝写真は、幸せそうな新婦一人だけというのが主流になってしまっている。当時はただ「すげェなァ」と感嘆したが、やがて「女は男と結婚するのではなく、誰かと結婚するので

          橋本治の後期雑文を読む6

          橋本治の後期雑文を読む5

          引き続き『中央公論』の連載 2011年9月号より「なでしこジャパンと日本人の生き延び方」 なでしこジャパンが女子のサッカーワールドカップで優勝したことは、我々日本人が忘れていた「日本人の行き方の原則」を思い出させてくれたように思う。 まず、「人から注目されなくても気にせず、自分のなすべきことに集中する」である。次に、「貧しくとも、自分になすべきことがあれば、貧しさはマイナス要因にはならない」で、もう一つ、「自分のなすべきことは"なすべきこと"なのだから、決して諦めない。悲愴感

          橋本治の後期雑文を読む5

          橋本治の後期雑文を読む4

          引き続き『中央公論』の連載 2010年12月号より「日本人の「間」がおかしい」 韓国人の動きはキレがいい。今年の初めにソウルへ行ってパフォーマンスショーを見て改めて思った。日本人の動きは、もっとキレが悪い。動きと動きの間に「余分なもの」が入っている。 1960年代くらいから、日本人の動きのキレは、そんなによくない。「本場(つまりアメリカ)のようなミュージカルをやりたい」と言って精進をして、でも結果はあまり面白くない。日本人の動きは、ある程度「雑味」があった方が面白いのだと思う

          橋本治の後期雑文を読む4

          橋本治の後期雑文を読む3

          引き続き2010~2011年の『中央公論』の連載から。 2010年4月号より「デパートを失う街」 京都の四条河原町の阪急と、東京有楽町の西武デパートが閉店になるという。「有楽町マリオンという形で親しまれて来た、有楽町西武デパートが----」という言われ方をしているのを聞くと、「そうか、親しまれてたのか」と、自分と世間のあり方のギャップを感じる。1984年に「有楽町西武がオープン」という話を聞いた時に、私は「え?なんでそんな余分なものを造るの?」と思ったりもしていたから----

          橋本治の後期雑文を読む3

          橋本治の後期雑文を読む2

          『演劇界』2010年10月号、特集「実ハ」の世界より「アパートの隣室にマリー・アントワネットが住んでいたら」 歌舞伎の「実ハ----」が大好きです。 たとえば、汚い木造アパートの一室に売れないキャバクラ嬢とコンビニのバイト店員が同棲しています。しかしこの二人は、実は革命の嵐を逃れてきたマリー・アントワネットと男装の麗人オスカルなのです。 これが実のところ江戸の歌舞伎のあり方です。 メチャクチャな設定を大真面目にこなしてしまえれば歌舞伎になってしまうのです。 「実ハ----」の

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          橋本治の後期雑文を読む1

          橋本治はデビューから80年代までの雑文をパンセシリーズにまとめ、90年代前半の雑文は、中央公論社から出版された『春宵』『夏日』『秋夜』『冬暁』にまとめ、90年代後半から2004年ごろまでの雑文は『ひろい世界の片隅で』にまとめていた。それ以降のものに関しては、雑誌の連載をまとめた単行本が主で、色々な媒体に書かれた雑文をまとめたものはない。(雑文集という感じではない『バカになったか、日本人』や没後に出版された『「原っぱ」という社会がほしい』は除く) ここでは主に2010年代の雑文

          橋本治の後期雑文を読む1

          橋本治の初期雑文を読む6

          『文學たちよ!』より「遁走詞章」 久生十蘭は、知識を"メロディー"して把握してしまう人である。 歌を覚える人間は、まずメロディーを覚える。メロディーがあれば、そこに言葉はいくらでものっかるし、メロディーぐるみで記憶された歌詞は、今度は逆に、メロディーを作る。歌詞は容易に"替え歌"を生むし、メロディーは容易にハーモニーを生む。そして人は、歌詞の細部を、その時その時の気まぐれによって、覚えまちがえる。 久生十蘭が特殊な文体を持っている、あるいは、文体から離れられないぐらい特殊に文

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          橋本治の初期雑文を読む5

          橋本治は、デビューから1980年代に書いた雑文を、1989年末~1990年にかけて、『橋本治雑文集成パンセ』と題し全7冊刊行している。これまでに紹介したものから漏れたものを、パンセシリーズよりいくつかピックアップ。 『女性たちよ!』より「結婚なんかしたくない」 男の時代が終って女の時代が来たんだそうで、しかしそうなったらはっきりしてるっていうのは、その瞬間女の時代は終る宿命にあるってこと。 "女の時代"の前提にある"男の時代"というのは、支配者としての男の時代で、これが覆さ

          橋本治の初期雑文を読む5

          橋本治の初期雑文を読む4

          『問題発言2』より「理性の時代に--解説·有吉佐和子『母子変容』」 有吉佐和子の小説『母子変容』が週刊読売誌上に連載されていた昭和四十八年は、有吉佐和子にとって実に重要な年だった。前年に『恍惚の人』、翌年に『複合汚染』を書いた"社会派"有吉佐和子が、実におもしろい小説を三本も並行させて書いていた年なのだ。問題意識の狭間に"おもしろい"ものがあるということは、実に重要なことで、この辺りが才女·有吉佐和子の大きさと言えよう。 "社会性"に挟まれて昭和四十八年のエンターテインメント

          橋本治の初期雑文を読む4

          橋本治の初期雑文を読む3

          『問題発言』より「サブカルチャーの不思議」 日本には社会学用語の"サブカルチャー=下位文化"に当たるようなものは江戸時代の"町人文化"にしかない。士農工商という身分制度の"下位"である"町人"によって成立させられていたのが"町人文化"なのであるから、正しい意味での"日本のサブカルチャー"なぞいうものはここにしかない。 現在だか現代の日本の"サブカルチャー"なるものは、明治以後のすべての日本文化の例にもれない、外国渡来文化の日本化--即ち、アメリカ製の"サブカルチャー"であるヒ

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