橋本治の後期雑文を読む2

『演劇界』2010年10月号、特集「実ハ」の世界より「アパートの隣室にマリー・アントワネットが住んでいたら」
歌舞伎の「実ハ----」が大好きです。
たとえば、汚い木造アパートの一室に売れないキャバクラ嬢とコンビニのバイト店員が同棲しています。しかしこの二人は、実は革命の嵐を逃れてきたマリー・アントワネットと男装の麗人オスカルなのです。
これが実のところ江戸の歌舞伎のあり方です。
メチャクチャな設定を大真面目にこなしてしまえれば歌舞伎になってしまうのです。
「実ハ----」のどんでん返しのないリアリズム演劇の最右翼は、近松門左衛門の世話物です。あまりにも当時の人間の心理に即したリアルな組み立て方をしてしまった結果、上演が難しくなってしまいました。それで結局、「もう少し派手で面白いものはないのか?」と考えて嘘八百だらけになり、それがかえって逆に、現実を突き抜けたすごいドラマになってしまったのじゃないかなどと思います。

つづいて『クウネル』2010年11月号より「柿の実の赤くなる頃」
私の祖父は菓子屋だった。三世代同居の家で、入り婿だった私の父は、アイスクリームの卸商売をやっていた。菓子屋は通年営業だが、今から五十年以上も前のアイスクリーム屋の冬は暇だった。
夏の商売が忙しくなって、我が家にも住み込みで働く人が二人ほど増えた。その中に、菓子職人の経験のある人がいたので、ある時、その人を中心にして我が家でも菓子を作って売ろうということになった。突然我が家の一角が「菓子製造所」になってしまったのだ。
子供にとって「一家総出でなにかを作っている」というのは、ワクワクするような大スペクタクルなのだ。しかも、作るものは「お菓子」である。
その内に我が家にもヒット商品が生まれた。小売りではなく商店向けに卸すから、結構大量である。問題は箱詰めである。作るよりも詰める方が大変で、もうそうなると一家総出になる。祖父母に母親に同居していた若い叔母が製造所に集まって、みんなで詰める。もちろん私も、まだ小さい私の妹も。
実のところ、私にとって一番楽しかった家族体験はその頃で、二年ほどで菓子作りをやめてしまったが、その後でも、夕方になって庭の柿の実の赤さが目立つ頃になると、しばらくはその幸福感を反芻していた。

ついで『美術手帖』2011年2月号インタビューより
·私にはどうも「官」の発想がピンとこない。色気がないから嫌だというだけなのかもしれないけど。近代の日本画がつまらなくなってしまったのは、画家たちが「官」の考え方を体現したからじゃない?狩野派はステレオタイプだけど、まだヘンなことをやっていて面白かったのに、近代になると「我こそが新しい」という気分だけで、枠から一歩も出られていない。
·何かを言い切って理論を構築するという方法もあるけれど、理論によって切り捨てられるディテールを思うと、ディテールが生きていることのほうが大切だと思う。
·小説というのは理論ではなく、ディテールが積み上がっていくものだから、本当なら柱がないと組み上がらないはずだけど、柱がなくても組み上がってしまったものが小説だと、どこかで思っている。
·筋の通し方で言うと、私、バームクーヘン式なんですよ。バームクーヘンって、真ん中に棒がないと、つくれないじゃないですか。でもできあがったら、中味は空洞。
·「長い間、オレはずっと歌舞伎的なメンタリティで文章を書いていたんだな」って気づいて、「ああ、見たものって、こういうふうに使うんだ」と思った。いいものを見て、何かに転用することのほうが発展で、自己増殖して同じ体験をずっと続けていくことは、衰退なのではないかな。

『悲劇喜劇』2011年4月号より「三島由紀夫と藝術」
三島由紀夫の戯曲のページを開くと、「劇場の音」が聞こえて来るような気がする。舞台を取り巻いて存在している「劇場」の存在感が不思議に強く感じられるのだ。
1980年代の初め頃、彼の全集を読み返していた。三十代の半ばになろうとする私の目に入った三島由紀夫は、かつてのものとはかなり違っていた。三島由紀夫の文章の美しさを実感して、その美しさが新鮮だった。
小説で重要なことは、我を語ることでもなく、世界を語ることでもなく、「説明する」という行為を全うすることだと、その時に気がついた。私が発見した三島由紀夫の美しさと新鮮さは、彼が彼を捨てて、作品を作品たらしめる「説明」を全うしているところにあった。
我を捨てて緻密な書き割りを塗り続けるという行為は、芸術とか文学というような「信ずべき枠組」を持たない限りは成り立たないものだと思う。三島由紀夫の戯曲のページを開いて「劇場の音」が聞こえるような気がするというのも、同じことのように思われる。
かつて「藝術」とか「文學」と呼ばれたものが、三島由紀夫の中で「信念」という個人的なものに昇華していたからだろう。

つづいては2010年初めから2011年末まで『中央公論』で連載していた時評からいくつか
まずは2010年1月号より「ユニクロvsしまむら」
服というものは「ファッション性」というわけの分からないものと連動しているから、「着られるものではあるが、ファッション性がないから、着たくはない」ということが起きる。母親という女は、それでも「自分の着る物」には神経は使うが、色気づいた年頃の男の子のことは分からない。分かるのは、「なんだかうるさいことを言うようになった」だけで、そういう子供のためには、「これならいいか?これ着ときな」という押し付けになる。我が身の昔でも思い当たるが、そういう哀しいあり方をしている男の子達は今でもあちこちにいて、そんな年頃の男の子の母親に便利なのが、「ファッション性がある」と思われるような衣料品がなんでも揃っている「ファッションセンターしまむら」である。
あり方としては、ユニクロと対比されるところまで来ている。
自社製品を作り出して売っているユニクロは、ブランドである。ブランドであって、安い。ブランドの大衆化であって、大衆化に必須の「ダサくなる」というところを、デザイン性で回避している。そして、それが大量に出回る----ある意味で「都市生活者のカジュアルウェアの制服化」でもある。
「すぐれたデザイン性がある」というのは「思想性が強い」ということでもある。これに対するのは、「雑多が当たり前」という本音性で、もしかしたら「ファッションセンターしまむら」は、新しい日本的価値観を作り出して行くのかもしれない。

ついで2010年3月号より「ドラマの軸と「小太り女の結婚詐欺」」
「結婚詐欺を繰り返し、その周辺で男達の不審死が続く小太りの女」というものの出現は、もしかしたら大きな時代の転換点を表すものかもしれない。
こういうことを言うのもなんだが、「小太りの女の結婚詐欺」---しかも「セレブを装った生活とそのブログ内容」を知って、「その手があったか---」と思う人は多いだろう。つまり、「自分をあまり美しくはないと思って鬱屈している、独身生活が長くなってしまった女達」である。
「恥とか外聞を捨てて、正々堂々と勝負してしまえば、獲物はあるのよ」と、その女は教えてくれる。「ちょっとくらいの嘘がなんなの?ちゃんと引っかかる男はいるのよ」と教えてくれる。「その手があったか---」と愕然として、目の前に不思議な光明を見出だす女は、きっといくらでもいるだろう。だから、この事件の余波は、不思議な形で広がるぞ---などと思う。
「悪女」というのは昔からいる。そして演出上「悪女」はだいたい美人である。
考えてみれば、世の中にこんなにも「ちょっとした美人」が横行して、「こうすればあなたはもっと美人になれる---そもそもあなたは不細工ではないのだから」という論理と具体的方法が氾濫している時代はないだろう。みんなが「普通の女」になって、「普通の女」が「大体美人として通るもの」になり、「あとはファッションとメイクだけ」になってしまうと、不美人はいなくなる----「不美人はいないんだから、私が美人であってもいいのよ」という論理は、こうして罷り通る。誰もが自分から発信し、進んで「参加」を実現して行く世の中というのは、実のところこういうもので、だからこそ、「美人」をドラマの中心に据えるオーソドックスなドラマは成り立たなくなる。
「最近のドラマはつまらないな」と思う人間がいて、「自己参加の道」が現実の中に開かれている以上、変な事件が連発してもしようがない。改めてドラマのあり方を考え直す時期に来ていると言っても、仕方がないか----。

つづく




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