橋本治の後期雑文を読む1

橋本治はデビューから80年代までの雑文をパンセシリーズにまとめ、90年代前半の雑文は、中央公論社から出版された『春宵』『夏日』『秋夜』『冬暁』にまとめ、90年代後半から2004年ごろまでの雑文は『ひろい世界の片隅で』にまとめていた。それ以降のものに関しては、雑誌の連載をまとめた単行本が主で、色々な媒体に書かれた雑文をまとめたものはない。(雑文集という感じではない『バカになったか、日本人』や没後に出版された『「原っぱ」という社会がほしい』は除く)
ここでは主に2010年代の雑文を紹介する。
まずは『芸術新潮』2010年1月号創刊60周年特大号「わたしが選ぶ 日本遺産」より「「美しい本」という伝統」
《源氏物語絵巻》以来、日本人は「美しい本」を作り続けて来た。江戸時代になってすぐ、その以前の「古典」と化したものが版本になって現れた。俵屋宗達風の表紙を持つ嵯峨本です。謡本の表紙が雲母摺で輝いている---その「美しい本」の伝統は、竹久夢二が表紙絵を描いたセノオ楽譜にも受け継がれていると思う。
白黒印刷の挿絵が生かされている美しい小説本だって、江戸時代にはあった。葛飾北斎が挿絵を描いた曲亭馬琴の『椿説弓張月』は、「墨一色」であってしかるべきその挿絵が「墨二色」以上だった。
王朝の絵巻物の時代を通して当たり前になった「美しい一点の本を作る」というあり方が、江戸時代の複製文化の時代になっても生きていた----「本が美しいものであってもいい、だからこそのエンターテインメントだ」という考え方は、明らかに生きていたと思う。「本が美しくあっていい、美しい本というものはちゃんと存在するのだ」という伝統を絶やしたくはない。

つづいては『熱風』2010年4月号より「歌舞伎座の改築に関して思うこと」
私自身は、歌舞伎が変わろうが変わるまいが、どうでもいい---私の中に「動かぬ歌舞伎像」というものもあるし、歌舞伎を取り巻く環境が変わっちゃったんだから、しょうがないじゃないかと思う。
歌舞伎は「町の中の演劇」だ。だから変わってしまった町の中で歌舞伎だけが変わらずにいることは不可能だと思う。
歌舞伎が「町の中の演劇」であることの典型的な例は、花道の向こうに桟敷というものがあることだ。「ドラマを進行させる役者」の向こうに、当たり前のようにオバさんがいる----それが歌舞伎で、つまり歌舞伎は「町中の道の上でやっている演劇」でもある。
歌舞伎には、至るところに「魅力的な不純物」が埋め込まれている。歌舞伎座の中にはオデン屋もあるしシューマイ売場もある(今でもあるのかどうかは知らないが)。そういうものと共存するのが、日本の本来的な伝統というものである。劇場というものは「町の中」にある----だからこそ、劇場の中にも「町」がある。そういう前提で成り立って来たのが、日本の伝統的な「劇場」だから、ここには「格式の高さ」と「わけのわからない俗」が共存しているのだ。歌舞伎の外見から内装の一々に至るまで、そうなっている。しかし、高度成長以後の日本は、「わけの分からない俗」を切り捨てる方向にしか走っていない。そう考えると、歌舞伎座が歌舞伎座のままであるのは、不可能事に近い。

つづいて『演劇界』2010年6月号「歌舞伎座の記憶」(御名残四月大歌舞伎初日観劇記)
私は何年ぶりかで歌舞伎座にやって来た人間なので、「歌舞伎座至って健在なり」としか思えない。中に入って客席に座るとますますそうで、「永遠に存在するものの中にある安らぎ」のようなものを感じる。
歌舞伎座の客席に座ると気持がいい。変わらずにあるものの中に身を休らえているような気分になる。それが私にとっての「永遠」だけれども。
今の歌舞伎座の再建は昭和の戦後で、ある意味で歌舞伎座は、私にとっての「昭和そのもの」だ。学生時代に「明治は遠くなりにけり」という言葉を耳にして、遠い人達の郷愁を感じもしたが、やはり「昭和も遠くなりにけり」の時代になっているのだな。

ついで『列外の奇才 山田風太郎』より「とんでもない「普通の人」」
私が山田風太郎の名を意識したのは、高校生の時だった。それは1965年のはずである。その年に映画監督の大島渚が、風太郎先生の『棺の中の悦楽』を映画化すると報じられた。当時の私にとって、大島渚は「難しい芸術映画の監督」だった。だからその映画を1本も観ていなかった。
山田風太郎の名は『棺の中の悦楽』の作者として記憶され、その私が『棺の中の悦楽』とめぐり合うのは、四年の終了年限を過ぎてもまだ大学に残っていた1971年のことである。その年に『山田風太郎全集』が講談社から刊行されたのだ。
そこにはとんでもないタイトルが並んでいる。それらが、全部「エロ」を前提にしたものであることは間違いがない。しかし私にとって山田風太郎は、「エロの泥沼の底からなにかすごいものを引きずり出して来る人」になっていたので、「このすごいタイトルで山田風太郎という人はなにをしでかしていたのだろうか?」という気になる。第一回配本の『おぼろ忍法帖』(現在は『魔界転生』)を読み始め、当然のごとく興奮してしまった。
実のところ私は、講談本の主人公の話や戦国大名の話にあまり関心がない。へんな手垢がつきすぎていると思うので、そう簡単に入り込めない。しかし『おぼろ忍法帖』は、そんなものを突き抜けた、とんでもなくエキサイティングな「普通の小説」だった。山田風太郎が、そこまですごい人だとは、思ってもみなかった。従って、「一体どんなすごい話なんだ?」と思っていた『棺の中の悦楽』も、「とんでもなくへんな衣装をまとった"普通の小説"」だった。
私が風太郎先生の小説で感動し、飽くこともなく読み続けたのは、「見てくれなんか関係ない。"普通"に行き着けなければ感動はない」ということを示してくれるものがそこにあったからだ。


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