橋本治の後期雑文を読む9

橋本治が購入したマンションで、ある騒動が起こった。その顛末を『中央公論』2013年8月号に書いている。それが以下の「マンション管理組合理事長騒動記」である。

2009年の6月、私は自分の事務所が入っているマンションの管理組合の理事長になった。管理組合の理事は区分所有者の持ち回りだが、区分所有者として20年以上もそこにいる私のところへそんな話が来たのは初めてだった。
前年の末に長編小説を書き上げた私は、さすがに年で疲れ果てていた。その年には更に長編小説を2作書く予定になっていた。そこへやって来たのが、「管理組合の理事になる番です」という話だった。
これを辞退することも、10万円のペナルティを支払えば可能になる。しかし恥ずかしながら、私にはそんな経済的余裕がない。だから半年の間に長編小説を2作書くなどという無謀を引き受ける。しかし私は作家なので、マンション管理組合の理事になるというのは貴重な体験になるから、しておいた方がいいかとも思う。「あまり忙しくなりすぎると、人は"忙しいから出来ない"と断るよりも、なんとかして"出来る余地"を探そうとするものだ」と思った。なって分かるが、忙しすぎる人間が後一歩のところでブレーキをかけられなくなるのはそのためだ。それを言えるだけの経験はしたようにも思える。
初めて理事の交替が行われる管理組合の定期総会の場所へ行って、なんだか心が安らがなかった。それは、総会の出席者の印象が、なんとなくギスギスしてこわかったからだ。
実は我がマンションの管理組合は裁判を抱えていて、土地問題で訴えられる被告人の立場にあった。
「裁判を抱える」という事態は、それだけでもう十分に落ち着かない。弁護士を雇って任せたはいいが、その方針に異を唱える人間だって出て来る。しかも、誰もが法律に詳しいわけではないから、「あまり法廷では通用しない勝手な主張」も出て来る。それを大声で主張されても、法律に詳しくない人間にはなんとも言いがたい。
そんなことはもちろん知らず、私はオバサマだらけの管理組合の総会に出席し、理事長になってしまった。ヒラ理事の任期は二年で、理事長のそれは一年。しかも我が管理組合は、一年目の理事から理事長を選ぶ習慣になっていた。
新理事長になっての最初の仕事は、「今度また地裁で裁判があるから行って下さい」だった。ほぼ月一回のペースで霞が関の東京地裁へ通うことになった。
地裁で審理が行われると、その後で我が方の顧問弁護士がやって来て、裁判の経過説明をすることになっている。普段は定員6人の理事会が、その時ばかりは希望者も参加して拡大理事会ということになる。裁判が月一ペースなら、この拡大理事会も月一ペースで、当然のことながら大揉めで、二時間たっても終わらない。
裁判というめんどくさい問題を抱えたおかげで、我がマンションにはやらなければならない問題が山積していた。
建って40年のマンションは水漏れがひどくなって来た。10年に1度やる外壁修理の大規模修繕の時が近づいて、水漏れ防止のためにもそれをしなければならないのと、40年間一度も改修工事をしていない排水管が劣化をしていて、圧縮空気を使って清掃する業者が、尻込みして、その清掃を一年も二年もしていない。どちらかと言えばまず排水管工事をしなければならなくて、一度その工事は予定されたのだが、そのままになっていた。どうしてかと言うと、例の裁判が関わって来る。
大規模修繕も排水管改修工事も、どちらも数千万円の金がかかる。修繕のためにその費用は積み立ててあるが、裁判を終わらせるためには1800万円の和解費用が必要になる。その金を出すとなると、2つの工事費用が足りなくなる。それで、工事の計画はペンディングになっていたのだが、その解決を待っていたら我がマンションがボロボロになってしまう。それで排水管改修工事プロジェクトがスタートすることになった。
実は、この排水管改修工事こそが、裁判を終わらせるためのキイポイントだったのである。
季節は秋の半ばを過ぎて、私はなんとか長編小説を一作書き上げたが、裁判を巡る騒ぎは佳境へと突入している。
問題となっている土地を18000万円で購入するという和解案に対して、「この訴えそのものが不当だから拒否!」という強硬なる反対派がいて、反対派の声は燃え上がって、消えることはない。
冬に向かって事態はなんだかやばい方向に向かっているように思えた。
冬になって私は二作目の長編小説を書かなければいけなくなっていたのだが、そう簡単に筆は進まない。裁判所に行けば反対派に罵られるし、「やだな」と思って、ついに裁判所へ出掛けようとして吐き気に襲われ吐いてしまった。それでも裁判は終わらない。排水管改修工事の方も予定通りに着手開始となる。
裁判の和解案が一応固まってしまったので、「この和解案を承認するかどうか」を決議する総会を開かなければならない。そのためには、各組合員に配布する総会の資料が必要になる。
「私がやります」と言って書きはしたが、やたらと長くなる。裁判の質と和解の必要自体は簡単に説明出来るものだが、そんなものを書いて渡しても反対派が承諾するわけがない。相手の神経を逆撫でしないような書き方をしたら、やたらと長くなるしかない。この試作品をコピーして、他の理事と弁護士に見てもらった。やることをやった私の口からつい愚痴が出た。
「でもお金ないんですよ。」と言ったら、弁護士の表情が変わって、「ないの?」と言った。それで私達は、現在進行形の排水管改修工事と次に予定される大規模修繕の話をして、「だからカネはない」と言った。弁護士は、出来上がった和解案の紙を破いて、「こんなのは無理だ」と言った。そして、「我が管理組合には金銭的な支払い義務は生じない」という新しい和解案を提出すると言った。「初めの和解案はこれだった」と弁護士に言われて、「!?」である。
新しい和解案が出来て、「これなら文句ないでしょう?」と拡大理事が開かれ、総会も開かれたのだが、それでもまだ「反対」があったから、少しあきれた。
管理会社の担当者は、「こんなに理事会や総会ばかりやってるところ、他にありませんよ」と言ったが、多い時には週に3回も理事会を開いていたのだから、もっともである。
理事長としての私の任期は1年だが、裁判も配水管工事もその任期中には終わらなかったので、新しい理事長に「もう少しで終わりだから、私が担当します」と言った。すべてが終わったのは、まだクソ暑い9月のことだが、終わった私を待っていたのは、病気による長期入院だった。入院して私は、「自分は律儀な人間だな」と思った。

以上抜粋。なおこの文章は、副題に「日本型民主主義の縮図がここに」とある。


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