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心理的安全性が脅かされるとどうなるか

前回に引き続き、世間を騒がせた大手中古車販売会社の事件で考えさせられたことについて。

以前のコラムで「心理的安全性」というキーワードについて触れたことがあります。

前回からの抜粋ですが、「心理的安全性」とは、ハーバード大学で組織行動学を研究するエイミー・エドモンド氏によって提唱された、「組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態」のことです。

この概念を、

・ チームの他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、罰したりしないと確信できる状態

・ 対人関係においてリスクのある行動をしてもこのチームでは安全であるという、チームメンバーによって共有された考え

と定義しています。

生産性向上のために、こういった要素がとても大切という話でしたが、今回は反対に、この状態が脅かされると人はどうなるか、ということについて考えてみたいと思います。

「心理的安全性」はそもそも和訳であって、もともとの英語だと「サイコロジカル・セーフティー」という単語です。

「心理的」とも訳せますし、「精神的」とも訳せます。

つまり、精神的な安全や安心が保障された環境であるかどうかが組織やチームに所属する従業員にとっては非常に大事という話ですよね。

前述した問題を起こすような企業においても、従業員が6千人くらいおりますが、その全ての人が悪人であるわけがないはずです。

ところが、トップや上長が異常なパワハラ行為を心理的にも物理的にも振るってくると、果たして部下たちはどうなるか。

心理的安全性が保障されないということは、「精神的に不安定」な状態に追い込まれるわけです。

この時点で、ある意味まだまともな思考で判断ができるような人は、おそらくこのような組織からは自ら離脱していくことでしょう。

そういった思考する力や余裕さえ奪われてしまった人は、虐待され続ける人の心理と同じような状況になるのではないでしょうか。

更なる圧を与えらえることを避けるためには、常識的に考えてやってはいけないことでも、「自らの身を守る」というその一点のために、悪事に加担をしていきます。

ひょっとしたら、追い詰められ過ぎた人などは、自分のやっていることの善悪の判断さえつかなくなっていたかもしれません。

生産性を向上させるという心理的安全性の真逆の手を打つことで、皮肉にも生産性の向上を強制的に推進してきたわけですが、業績アップの恩恵を享受する幹部以外はお客様も従業員も誰も満たされないような状況下にあって、これまで行ってきた数々の悪事の内情が外部に漏れるのは遅かれ早かれ時間の問題だったのだと思います。

従業員の心理的安全性が脅かされる中での利益の追求という行為の結果はこうなる、というとても参考になる反面教師的なメッセージとして、こうしたブラック企業の崩壊事案を受け止めています。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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