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快・不快の感覚と品位の関係性

インターネットが普及して、沢山のコミュニティーが出来て、かつては一方向の検索ばかりだったところから、今後は反対に自らの方から発信していく様々なSNSのプラットフォームが増え続けています。

私は専ら文字中心のSNSばかりを活用しているのですが、おそらくはアクセス量を増やすことでフォロワー数を増やすのに一番効果的なのは、やはり視覚に訴えることに強い動画サイトなのだと思います。

こういった発信できる場所が増えてきている速度に対して、「どのような情報までを配信していっていいのか」というルールの策定の方が正直なところそのスピードについていけていないのが現状です。

当社もグループ企業として、関連会社各社があの手この手で動画による周知活動を始めています。

そんな中で、ある動画SNSを見たスタッフから声が上がりました。

「ちょっとこれはないのでは」
「見ていて不快な印象を受けた」
「品がない」

知らせを受けて、何人かで確認をしてみましたが、おおよそ上記のような印象を皆同じように受けておりました。

その反面、アップされている全ての動画から果たしてマイナスの印象を受けたかというと、そうではない素敵な動画ももちろん多くありました。

ただ、確認してみて腑に落ちたことが、「途中から目的がフォロワー数を増やすことになってしまったかもしれない」という現場からの反省の声でした。

フォロワー数を増やしたければ、既に他者が上げているダンスなどの取り組みをマネしてみたり、その本家とハッシュタグで連動させたりしてみれば一定の成果は上がるはずです。

ところが、マネをした大元の動画が個人的にフォロワー数を増やそうとしているものであれば、誤解を恐れずに言いますとそこにはコンプライアンスや礼節や品性など様々な炎上要素への配慮がそれほどなされていない場合が想定されます。

個人が上げているものであれば、その責任を取るのもまた個人です。

これが企業として上げていた動画の場合は、やはりその組織に所属する全員が巻き込まれます。

どこかの知らない個人が、炎上するような素材を上げていても、笑い話や他人事で済みますが、いざこれが自分の会社での出来事となると他人事でなくなり結果笑えなくなるのですよね。

ですから、不快に感じたり、品位がないという印象を通常よりも強く受けてしまうというのは、自分自身がその状況に巻き込まれていたり同じように見られてしまっているということへの嫌悪感なのだなと思っています。

また、原点回帰した時に本来の目的をもう一度見直す必要があると思います。

この組織の良いイメージをどうやって広めていくか。その周知活動のためのひとつの選択肢が動画によるSNSでの配信なわけです。

そのためには常に、「何が良いイメージなのか」「相手にそれをどう受け止めて欲しいのか」という考え方や姿勢が大切になります。

そういう思考が前提にあると、「どうバズるか」よりも「どう在るか」「どう成りたいか」という目的が優先された内容の配信となるはずです。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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