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20世紀美大カルチャー史。「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」第1話

1989年の春、
私は東京は八王子の山奥にある美術大学に通っていた。

四年生になったばかりの時期だ。
学内に二つある学食の新しい校舎にある方の一番奥の窓際の四人掛け席に座って一人で昼食を食べていると、それまであまり親しくなかった同級生のコヤマが一番奥の入口の方からツカツカと近づいてきた。

コヤマは越谷の老舗職人一家の生まれで、有名な高偏差値理工大学の付属高校からこの美術大学にやってきた。

固太りの体形に髭、金のキャスケットに金チェーンにtroopのスニーカーという装いの「インテリ・ギャングスタ」であった。

コヤマは私の席まで来るや否や、

「ちょっと聞いてよ〜!」

と言いながら、眉間にシワを寄せて、口を尖らせながら私の居るテーブルの向かいに座ると、

「昨日さあ〜、ハルノと二丁目行ったらよお〜」

ハルノは同じく同級生。この美大で初めてのドレッドヘアをした男であり、西東京出身者によくある「左翼系」の家庭に育った。
細身の身体は筋肉質でボクサーのようあった。

「うんうん」

「アイツさあ〜、サ〇エ(※1)のママに持ち帰られてよお〜」

「マジか笑、で?」

「クスリかまされてたみたいでよお、夜中に目が覚めたら布団の中でママがハルノのチンコまさぐっててさあ」

「ぎゃははは!」

「で、「オマエ何やってんだ!」って蹴っ飛ばして逃げたってよお」

「あいつ、何やってんだよ!」

「ヤバいよ、”モーホ暴れん坊将軍”だよ!ぎゃははは!」

「全裸で白い馬乗ってんだろ!?」

「ヤバいよね〜!モーホ暴れん坊将軍!ぎゃははは〜!」

と二人の馬鹿笑いが学食中に響き渡った。

我々の熱い夏はこの瞬間から始まった。

八王子の山奥の緑は生き生きと生い茂り、春の太陽は無機質な白い学食の空間を隅々まで柔らかく照らしていた。

(つづく)

※1:正式名称は「ニューサ〇エ」、新宿二丁目の老舗ミックス・クラブ。2020年、件のママは鬼籍に入られたとのことである(本文は基本的にフィクションです)

某美術大学4年生の時の筆者


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