【アイドル新歴史学】 2018年のモーニング娘。と近代建築。
「ロックという形式」から「ロックの神」が去ったのはいつからだろうか。
1960年代の革命の時代、1970年代の革命の挫折、そして浮かれた大量消費の時代が到来したのが1980年代であった。
その時代を前にして、「ロック」という一つの結晶体は分裂した。
「形式(ウツワ)」と「神」は離れ離れになったのである。
それは「近代建築」の歴史が直面した崩壊のプロセスと全くおなじものであった。
ヨーロッパにおける市民革命の時代の象徴として登場した「近代建築」は、王権制度、ブルジョワジーを否定し、民衆のために新たな「建築」をゼロからつくりなおした(ということになっていた)。
旧体制の建築における「装飾」はマルクシズムにおける「剰余価値」の具現化であり、それは建築が労働者を抑圧することを意味していた。それを排除することは「革命の建築」になるための必要な手続きであった。
かくして、装飾を廃した「白い幾何学」は華々しく世界に登場し、その「単純な造形」は、貧しい大衆のために「安価で大量生産した建築を提供する」ために必要な形式とされていた。
すなわち「社会主義」に基づく建築の形式の誕生である。
当時、多くの予測を大きく裏切って、ロシアで革命が成功した。現実の追い風を得た「近代建築」は我が世の春を迎え、ソビエトがその聖地となった。
しかし、その春は短く終わった。スターリンの登場である。
「社会主義」はスターリニズムによって「独裁体制」へと変貌した。
聖地ソビエト、聖典ロシア・アヴァンギャルドに肩入れしていた「近代建築家」は一瞬にして足元を掬われたのである。
かくして「革命」「社会主義」の理想を具現化した「近代建築」はスターリニズムと相いれないモノとなり、聖地ソビエトでは懐古主義としての「革命的ロマン主義」、すなわち「過去の装飾(権威)を再び纏った」形式が復古したのである。
かくして「ロック」、否、「近代建築」という結晶体は分裂し、その「形式」のみが大量消費社会の「一つの商品アイテム」となり、「革命」というワードは建築家たちの間で禁忌となった。
かつ、「歴史を白紙化」して登場したはずの「近代建築」が、実は「歴史的な引用」から成り立っていることが暴かれたのである。まるで「デストロイ!」と華々しく登場したパンクバンド、セックス・ピストルズが今聞くと良質なR&Rバンドであるような話だ。
かくして、「近代建築」から「革命」という「魂」は抜き取られ、消費社会の中で大衆の消費欲動を刺激する一つの美学的な「フェティッシュ」へと変容し、近代建築その文化的な生命を終えたのである。
この「近代建築」の始まりと終わりの過程は、まがまがしい商業ビルの一角でブルジョワジーのご趣味の時間のために演じられている「歌舞伎」や、三日間で貧窮者の一か月分の家賃ほどのお金を吸い上げる祭典の出し物となっている「ロック」のそれと入れ替えてもなんら違和感がないものである。
さて、上述した、分裂して形骸化した「かつて生きていた大衆文化、革命文化」であった「近代建築とロック」とは真逆のベクトルで登場したのが「アイドル」であった。
1970年という「フラワームーヴメントの終わり」と「高度消費主義時代の開幕の象徴である大阪万博」の年に誕生し、最初から商業主義のど真ん中にいた「アイドル」。
そこへ、2018年、居場所を失い放浪していた「ロックの神」が降りてきた。
それは、「今日輝く為に明日を捨てる」という覚悟が呼び寄せたのである。
かくして、「ロックの神」が宿ったモーニング娘。は、「ロック・フェス」に降臨し、誰よりも「ロック」し、「形式ロック」たちをぶっ飛ばしたのであった。
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