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【UPDATE】いじめと家庭環境の変化(自己紹介13)

皆様、こんばんは!
埼玉県越谷市で、がやてっく株式会社という小さな会社を経営している小栗義樹と申します!

本日は僕の自己紹介記事「ちょうどいいハンデだ」のUPDATEをします。

本日アップデートする元ネタはコチラです。

アップデート記事とは何かというと、
・当時書いた本文(下線部分内)を少しだけ修正・加筆する。
・冒頭の挨拶文(これ)を完全リニューアルする。
・文末は有料パート。過去に書いた自己紹介を読み直し、思ったことや違った視点・別の切り口などを加筆、思い出した新たなエピソードなども追加します。

有料部分はかなり尖った話をします。その話の先に、皆様の日ごろの生活に役立つ何かがあればいいなぁと思っております。

今日の記事【閲覧注意】です。読んでて吐き気がしました(笑)

覚悟のある方のみ、この先を読んでみてください(笑)

記事の最後には追加のUPDATE情報があります。有料パートでは、5年生でやられたいじめの中で、一番きつかったエピソードを書こうと思います。

はぁ・・・いきますか(笑)

それでは参りましょう!

この記事は、2023年1月10日に投稿した、僕の13本目の自己紹介記事です!


今日は5年生の頃、僕に降りかかったいじめと家での生活を振り返らせてもらいます。

僕が主に受けていたいじめは

・陰口
・物を隠される
・ハブ
・給食操作
・画びょう
などです。

陰湿ですね~(笑)

このくらいの年齢になると、面と向かって悪口を言われる事は少なくなりました。あるあるなのは「手紙やノートに陰口を書かれているパターン」です。

低学年の頃、特に傷ついた悪口は「デブ」でしたが、5年生で初めてこの「デブ」を超える悪口が出現します。

「汚い」と「くさい」です。

これ、思い出すのも嫌なんですが、この悪口とは中学3年生くらいまで付き合う事になります。

この2つの悪口が、自分の見えないところで繰り返されているという独特の気持ち悪さと相まって、信じられないくらいのダメージを与えてきます。

中でも一番きつかったのは「授業中の手紙回しです」

授業中、女子が手紙を回しているのがスケベおやじにバレました。スケベおやじが回っている手紙を取り上げ、みんなの前で読み上げたのですが、そこに僕の陰口が書かれていたのです。

「小栗ってくさくね?」

です。

いや、陰口書くのも意味が分からないですが、読み上げる意味も分からなくないですか?(笑)

義樹君、2重でダメージを追っていてかわいそうです。。。

この時の恥ずかしさや、もどかしさや、残酷さは忘れることができません。

あと、陰口と言えば「〇ね」という言葉もこの頃から使われるようになりました。

これ、マジで傷つきますよね。

もしかして自分は「ここにいちゃいけないのかな?」という気持ちになります。

あとは「かわいそう」

これも厳しいです。

これは名字が変わったことで生まれた陰口なのですが、僕は別にかわいそうではありません。一生懸命生きています。こんなことを言われる筋合いはないのです。

特に傷つくのは「両親揃ってなくてかわいそう」です。

片親の何がいけない。好きでそうなったわけじゃない。

次に物を隠されるです。

これは、4年生の頃にもありました。4年生と大きく違うのは靴を隠される事が多かったという事です。

これね。本当に止めてほしいんですよね。その靴もノートも筆箱も、親が買ってくれたものなんですよ。ゴミ箱とか、庭とかに捨てられてるのを見ると、親の顔が浮かんできます。ごめんなさいという気持ちになるんです。

あと、何が楽しいのか分かりません。一生懸命探しているところなんて、見ていて不憫だと思うのですが。

ちなみに靴隠しで言うと、体育前に靴を隠されてしまい、探していて授業に遅れた事がありました。「靴を探していて遅れてしまいました」とスケベおやじに言うと「バツとして校庭10周」という謎の罰が発令されました。

靴を隠されて、親に申し訳なさを感じているなか、校庭を走らされる意味が分かりません。悔しくて仕方がなかったです。

この頃から、ハブられるといういじめも始まりました。

要するにグループに入れてもらえないといういじめです。2人1組とか地獄ですよね。誰とも組んでもらえないのだから。特にきついのは、授業の中でグループを組んで何かを作る時です。

誰とも組んでもらえないから、最後まで残ります。

「小栗君は、1人班でいいと思います」と言われたことがありました。

確か、学活か何かの授業で街の事を調べる授業がったのですが、余裕で余った僕に誰かがこの発言をしました。1人班て(笑)

無理言うな(笑)

地味にきつかったのは給食です。

僕の分の給食が明らかに少ないのです。サラダだけ多いというパターンもありました。クスクス笑われるんです。なんでそんな事されなきゃいけないのでしょう。

午後、お腹がすいて仕方がありません。

最後は画びょうです。

椅子の上に画びょう、上履きの中に画びょう、筆箱の中に画びょう。

危ないです。余裕で刺さったこともあります。

傷つけるようないじめは止めてほしい。痛いですからね。

こうした状況が、僕以外の生徒にも行われていたのかもしれません。5年1組にもクラスカーストは存在していましたから。何なら4年生の頃より明確でした。このクラス、女子のが好き放題やっていました。スケベおやじが女子を優遇するもんだから、付け上がる女子が多かったのです。

スケベおやじは、黙認だったのか気づいていないのか。基本、いじめについて言及する事はありませんでした。

僕も、スケベおやじと戦う事に集中していたので、他の人のいじめに気を回す余裕はありませんでした。それくらい、このクラスの僕に対するいじめの筆頭は担任だったのです。

だから、クラスメイトのいじめと担任によるいじめが重なる時が、一番ダメージを追っていました。

振り返るとよく生きてこれたなぁと思います。

次に家での出来事です。

僕は、これから父になる男性に気を遣っていました。祖父母の家で祖父に気を遣い、その前は父に気を遣っていた僕です。この頃には、大人の男性が本気怒る姿が苦手になっていたので、この男性がいつ着火するのか気が気でなかったです。

ちなみに、この男性は優しい人でした。

後々母とケンカが絶えなくなり、家はまた冷え切った感じになるのですが。

この人、優しかったのですが、唯一の難点が毒舌でした。

割と傷つくことを平気でいうタイプでした。だから、発言にイラっと来ることがありましたが、言い返して怒られるのは嫌だったので、黙っていたイメージがあります。

ここでよく揉めていたのは妹でした。人物紹介でも書きましたが、妹はまぁまぁなトラブルメーカーでした。育ての父が、何かしら毒づいた発言をするといつも突っかかっていました。

大体妹がふてくされて、母が妹に怒鳴るという構図が日常でした。

僕は「バカだなぁ~」と思いながら見ていました。妹にも母に対してもです。

育ての父が、毒を吐くことはもうわかっています。ここでやるべきは、妹はスルースキルを身に着けてシカトし、母は妹ではなく父に対して「止めて」と言うべきです。

このくらい考えればすぐにわかります。

なぜ、毎回同じ事を繰り返すのか?

僕には全然理解できませんでした。その都度ケンカになり、険悪なムードになります。僕は、この2人のケンカが嫌で嫌で仕方ありませんでした。

晩ごはんの時とか、最悪です。飯がまずい。ただでさえ、給食が操作されているのに。

せっかく静かになったと思ったのに。バカのせいでまた険悪で気まずい時間を過ごさないといけないわけですから。

この頃、育ての父とは、個人的に遊びに行くことはあまりありませんでした。出かけるなら一家で出かけます。でも、出かけたところで結局妹が父の毒舌に突っかかり、その都度母がキレるというのを見ることになるので、全然楽しい思い出はありません。

僕は、妹が余計な事を言わないように気にかけつつ、怒鳴り始めたら無視をする。という行動を繰り返していた記憶があります。

5年生になっても、結局気を遣わないければいけない。学校では、先生やいじめと戦わないといけない。僕のどこに安息の地があるのか?そんな事を考えていた気がします。

妹と母がケンカしているところに割って入ると巻き添えを食う事がありました。大体「余計な事を言うな」と母に言われました。

余計な事も何も、そもそも原因は父です。妹もアホですが、こいつに何かを言ったところで、収まらないのは分かっています。

原因を排除しようとしない母にいら立ちを覚え始めたのもこの辺りでした。

僕は大人が嫌いです。というか、僕よりバカな大人が嫌いです。今まですごく優秀で、聡明な判断をしている大人とは数人しか出会ったことがありません。

なんでそんな奴らのために気を遣わないといけないのか?なんで僕がこんなに窮屈な思いをしなければいけないのか?

この頃から、そんな風に考えるようになりました。

この時点で、僕にはわかっていました。この育ての父と母が後々上手くいかないことが。そしてそれは的中する事になります。

と言う事で、5年生はこの辺で終わりにさせてもらいます(笑)

僕にとって、4年生と5年生は本当にダークな時期でした。ちなみにこの後、6年生になるのですが、家を除き、6年生は少しだけ楽しい思い出があります。次回の記事は今までより、ポップなものに仕上がるはずです。

義樹君、やっと君にとって少しだけ楽しい時期だった6年生だよ(笑)

中学・高校・大学は地獄多めだからさ、ここは楽しい記事にしようね(笑)


はい、ありがとうございました!

いやぁ~この記事きついです(笑)

当時の僕の心境、えぐかったと思います。よく書いたなと(笑)

4年生の頃に受けたいじめを余裕で凌駕する内容を、軽めのタッチで書いてます。スケベおやじがみんなの前で読んだ手紙の話とか、読み返していてキレそうになりました(笑)

画びょうなんて危ないから、絶対にやっちゃだめですよね。

結構ハードないじめを受けていた僕ですが、気持ちが保ち、毎日学校に行けていたのには理由があります。要するに心の支えがあったんです。

何かというと、小説です。

僕、漫画とかゲームよりも小説を読むのが好きでした。もちろん当時は、ちゃんと意味を理解していたわけではないのかもしれません。でも、太宰治の「人間失格」や、江戸川乱歩の「モノグラム」、坂口安吾の「小さな部屋」なんかはこの頃に読みました。

物語の登場人物が抱える気持ちのどこかには、必ず「自分に似た感情」があって、だったら僕の今の状況さえ、何とかなるものなのではないのか?と考えることがありました。

文学が持つ「問題提起」や「特別で普遍的なシチュエーション」というものは、どこかでその人の支えになったりすることがあります。人間を考えた・人間を突き詰めようとした過去の作品に自分を重ねると、なんとなく勇気が湧いてきて、今の状況を辛いと思わなくなることがあるのです。

もしも今、どこかで辛い思いをしている人がいるのなら、時間を取って文学に触れてみてほしいです。必ずどこかに、あなたと同じような境遇の人物がいて、その人から勇気をもらえると思います。

さて、ここからは有料パートです。

今日は、5年生の時に受けたいじめの中で、むちゃくちゃきつかったエピソードを1つご紹介します。

これも閲覧注意です。

それでも読みたいなと思ってくれる方がいれば、購入して読んでみてください。

ここまで読んで下さりありがとうございました!

また明日の記事でお会いしましょう!

さようなら!

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