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【UPDATE】大人の力を思い知る〜酒乱ボクシング事件〜(自己紹介3)

こんばんは!
現在、若干の頭痛に悩まされている男、小栗義樹です!

金曜日は僕の出世作「ちょうどいいハンデだ」という自己紹介シリーズのUPDATE記事を書きます!

冒頭及び文末の記事は、過去に書いた自己紹介を読み直し、思ったことや違った視点・別の切り口などを追加します。本編の内容はそのままに、書き方がおかしい部分だけをRemakeしていきます。
文末の文章は有料とさせて頂きます。本編よりも皆様に役立つ内容、それでいて鋭い文章を書きます。自分の実を抉るような文章になるので、お金を払ってでも読みたいという人限定での公開とさせてください(笑)

今回から本格的に、僕の歴史を僕自身で振り返っています。

初めて父にぶっ飛ばされた話ですね(笑)

今までおぼっちゃまとして育てられ、外界との接点を持たなかった僕。しかし、幼稚園に通うになり、だんだんと外界との接点を持ち始め、大きな不安と小さな自信を身に着けていきました。

その小さな自信。それを身内に打ち砕かれる。そんな感じのお話になっています。先ほど読み返してみたのですけど、めちゃくちゃ胸が痛かったです(笑)

さて、そろそろ本編に入らせて頂きます。

この記事は、2021年12月31日。大晦日ですね・・・(笑)
大晦日に投稿した自己紹介記事「ちょうどいいハンデだ」の3本目。ボクシングの思い出です。それでは、どうぞ!


5歳ぐらいから、徐々に僕の人生がハードモードに突入していきます。妹の爆弾発言で、父が逆上しないよう、仲を取り持つ生活が当たり前になってきたころの事です。

そのころ父は、ボクシングにハマっていました。畠山選手をご存じですか?WBA世界スーパーフェザー級の世界チャンピオンです。父はこの人のファンでした。

父は、いつも僕や妹とボクシングごっこをしてくれました。

前回の記事にも書いたのですが、父はお酒さえ飲んでいなければ、本当に優しい人でした。色々なところに連れて行ってもらいましたし、父から影響を受けて好きになったものが沢山あります。

ボクシング繋がりで言えばマンガ「あしたのジョー」もその一つです。

しょっちゅう父とジョーのビデオを観ました。カードやフィギュアを買ったりもしました。今でも大好きなアニメです。

僕は周囲の人から「若いのに昔の事色々知っているね」と言われることがあります。これが営業の仕事にとても役立ちました。

間違いなく父のおかげです。

少し話が脱線しましたが、ボクシングにハマっていた父は、僕によく「よしき、ボクシングやろう!」と声をかけてくれました。僕の家は2階建て。1階にはフローリングのリビングと、隣に畳の部屋があって、畳の部屋でよくボクシングをしたんです。

父はいつも僕の左フックでダウンしてくれました(笑)

僕は父に勝てたことが嬉しくて、このボクシングごっこが大好きでした。

父はいつも10カウントで倒れると「よしきはいいパンチもってるな~」とほめてくれました。僕はこれが嬉しくて、この時間は本当に楽しかった。今でも母がリビングでニコニコしている光景を思い出します。

僕は自分はもしかして強いのではないか?と自信を持てるようになっていたと思います。前の記事にも書いたのですが、僕はおぼっちゃまとして育てられました。外の世界なんて見なくていい。好きなこと、好きな世界をみていなさい。みたいな感じで育ってきました。

だから臆病だし、やりたくない事をやらされそうになるとすぐにべそをかく。そんな子供だったんです。当然、幼稚園でも人と仲良くするのが難しかった。やんちゃでわんぱくな遊びなんてしたことがありません。遊具なんて怖くて使えません。太っているのもあって、腕の力で登ったり、ジャンプしたりする遊びも出来ませんでした。

クラスメイトが楽しそうに遊具で遊んでいるのに、僕は怖くて遊べないから、それをそっと横で眺めているだけ。当然、なかなか友達も出来ません。

でも、このボクシングが少しだけ僕に自信をくれました。

僕もやればできるのかもしれない。そんな事を思うようになったんです。

そこから少しだけ、幼稚園でも外で遊んでみようと思うようになりました。

この後、初めての挫折を味わう事も知らずに・・・(笑)

僕は少しだけ浮かれていました。幼稚園の遊具でも少しだけ遊べるようになって、体育?みたいなものが少しだけ楽しくなったんです。先生に鉄棒で褒められたのが嬉しくて、今でも鮮明に思い出せます。川崎先生、あの時褒めてくれてありがとう(笑)※体育の先生の名前です(笑)

そんな中僕はやっちまうわけです(笑)

「パパ、ボクシングをしよう!」

僕は父にそう言いました。

僕から父にボクシングごっこしようと声をかけるのは初めてだったと思います。僕は浮かれていた。だから、きっと忘れていたのでしょう。

ちゃんと話していない父には声をかけちゃいけないことを。

父は「おう!やるか!」と言ったと思います。

そして、リビングから畳に移動しました。この時気づくべきでした。畳に向かう途中の扉に身体をぶつけながら歩いている父。これは危険だと。

そして、ボクシングごっこが始まったのです。

父はファイティングポーズを取っていましたがフラフラです。僕は5歳。ボクシングなんて見様見真似。ガードなんか固めることもなく父のボディーにパンチ。

父はガードしていましたが、恐らくここで一発いいパンチが入ったんですね。僕はそこから左フックを放とうとしたのですが父から、とんでもないアッパーをもらいました(笑)

畳の部屋の中央付近で混戦していたはずなのに、気づけばリビング側までポーンと飛んでいったんです(笑)

鼻から血がでました(笑)

完全な20代扱い。出来上がった身体用のパンチです(笑)

ひどいよね(笑)

僕がん泣き(笑)

母が飛んできて、ケンカスタートです(笑)

父はたぶん、プロのボクサーと戦っている夢を見ていたのだと思います。僕の記憶の中での父は僕を吹っ飛ばした後「ごめんな」とか「大丈夫だったか」みたいな反応はなかったと思います。

僕は2つのことに気づきます。

大人って本気になるとこんなに力があるのか。

僕は強くなんてなっていなかった。

と言う事です。

挫折ですね。

僕はここからまた少しだけふさぎ込みます。

ちゃんと話せていない父に逆らうと大変な目にあう。僕は決して強くない。身の程をわきまえないと。

もちろん、5歳の僕はこんな言葉は使えません。でも当時、これに近い感情を抱いていたと思います。当時の僕は、また父に気を遣うようになりました。逆らってはいけない。なんなら地雷を踏みぬく妹はもっと危ない。うまく守ることができるか?そんな事を考えるようになったのです。

それ以来僕は、父とボクシングごっこをやっていないはずです。もしかしたら、素面の父とは何度かボクシングをしたかもしれませんが、記憶に残っていないです。

それくらい僕にはショックな出来事だったのでしょう。

ちなみに僕は高校生の頃、とあるきっかけで空手を習います。普通空手を習うって強くなりたいから習うものじゃないですか?

僕は違います。殴られる事にビビらないで済むようになることを目的に空手を習いました。

この頃には、将来仕事をする。その時に、相手と対等に話すためには恐怖心を取り除く必要がある。最悪のケースは殴られること。なら、恐怖心を払拭する方法は、殴られることに対して、恐怖を感じないこと。空手で殴られることに慣れておけば、素人が急にとびかかってきても怖くない。普通に話せる。

そんな理由で空手を習っていました。

冒頭に営業の仕事で役に立った。みたいな話をしたと思うのですが、この空手も仕事に大変役立ちました。だって、大人がどんなに怒ったとしても、全然怖くなくなったのだから(笑)

ケンカとか非効率だし、めんどくさいからしないですけどね(笑)

言い争いとか馬鹿のすることです(笑)

これは、ボクシング事件を教訓にして考えた事です。大人は力が強いこと。大人は見境が無くなると子供でも本気で殴ってしまう頭の弱い生物であることを学んだからこそ、事前に空手を習って対策出来たわけです。

また少し脱線しちゃいましたね(笑)

話を戻します。

ちなみに僕は6歳くらいから、父と遊んだ記憶がほとんどなくなります。

小学校になった頃には、父は昼間でも家にいました。夜になると今まで以上に両親の言い争いが増えました。

この頃には、僕はもう父を父と思えていなかったかもしれません。ちゃんと話ができる父よりも、ちゃんと話せない父を見る事の方が圧倒的に増えました。

僕はボクシング事件以来、ふさぎ込んだまま。そんな状況で幼稚園を卒業し、小学生になります。気質がおぼっちゃまで太っている挫折ボーイ。そんな奴が環境の変化についていくことができるわけありません。

ここから僕は学校でイジメを受けます。そして、家はより一層冷え込んでいきます。

大惨事です。僕にとって最初のどん底時期がすぐそこまでやってきているのだから。

はぁ~、しんどい(笑)

思い返すと、あの頃の義樹君はずっと泣いてましたよ(笑)

タイムスリップできるなら、義樹君にいっぱいお菓子を買ってあげたい(笑)

思い出したら悲しくなってきました(笑)

続きはまた明日書きますね(笑)


はい。ここまで読んで下さりありがとうございました。

ここからはこの記事のUPDATEをします。

すみません。今日はここから有料パートにさせてもらいます。

どんな事を書くかというと、

  1. ボクシング事件の後日談

  2. 飲酒の恐怖

  3. 父の姿を見て始めたバンド活動

です。

僕が作った曲に「放熱」という曲があるのですが、この曲はこの事件を主にして作りました。僕にとって音楽・バンド活動は、自分の身を守るためのものだった。そんな話をしたいなと思います。

もしよければご購入をお願いします!
ご購入いただいた料金は全額、僕がこれから始めるお店の開業・運用費用に充てさせて頂きます!

それではひとまず。ここまで読んで下さりありがとうございました!
また、明日の記事でお会いしましょう!

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