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エッセイ

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#日記

幸せなループ 新しい出会い

幸せなループ 新しい出会い

ルーク・ハワード、ユップ・ベヴィン
ここ最近、クラシカルクロスオーバーというジャンルの音楽にハマっている。
恥ずかしながら今に至るまで、こうした音楽のジャンルがあることを知らなかった。
ピアノの音色、弦楽器の優しい調べ、その一つ一つの音にゆっくりと深く沈んでゆく。

こうして文章を書くにしても、電車に乗る時も、車の運転中も、ただただ音が静かに包み込んでくれる。

ここにたどり着いた経緯は以下の通り

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何かと少し戦ってみようか

何かと少し戦ってみようか

なんかしらないけど戦ってたな…

ふと、そんなふうに思うのだ。
もうずいぶんと遠い昔の話だ。

まだまだ子供だったのだ。
そこには明確な敵など居なかった。
見えない何かに、徒手空拳でジタバタしてたといったところか。
まあそうはいっても、いつもイライラ、触れるものみな傷つけるナイフみたいに過ごしていた訳ではない。
ただ、さぞかし周りの大人は扱いづらかったことだろ。
ただただ、いつも漠然と世の中に半目

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少し面倒 そしてほんのり…

少し面倒 そしてほんのり…

毎年このくらい時期って、いささか面倒である。

「明けましておめでとう」にはもう遅くって、お互い、「なんか今頃だとね〜」ってな目配せがありつつ、明けましてを省いて「今年もよろしく」くらいの挨拶となるのだ。

その「間」が、何とも億劫なのである。
年始の挨拶など無い方が楽だ。

かと言って、「いつもお世話になってます」の一言で済ませてしまうと、逆に何だか素っ気ないというか、愛想がないと思われはしまい

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大概のことはゆずる

大概のことはゆずる

「ゆずれない大切な何か」

そんなものが問われる事なんか、そうそう無い。

多くの場合、本当はゆずれる事ばかりだ。
だからあれこれ考えずにゆずってしまう。
頭は「ゆずりたくない」と一瞬ボヤくのだが、心で、「それホントにゆずれない事?」って問い直す。
そうしたら、「やっぱりゆずれないよ」ってことはそうそう無いと思っている。

だから、大概、ゆずる。

その方が、本当に大切なゆずれない何かを守りたい時

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明るくて、少しだけ寂しい

明るくて、少しだけ寂しい

北国の冬の夜は明るい。

皆が陽気という意味ではない。
光が明るいのだ。

それは、あたり一面を真白に覆った雪のせいだ。

流れる車のヘッドライトは、真白な道路に光のウェーブをつくり出し、テールランプはゆらゆらと路に揺れている。
信号の光、街の灯が、その白に眩しく反射し、街行く人々の服装がダーク系の色が多いのと対象的に、街はなんだか明るく華やぐ。
いつもの街、いつもの路がまるでステージの上みたいに

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お手軽センチメンタル

お手軽センチメンタル

この時期おれは、ちょっとしたセンチメンタルなジャーニーを密かに楽しんだりしている。
それというのも、お手軽な方法があるのだ。

センチメンタルジャーニーといっても、なにも雨の中を駆け出すような恋に破れたわけではない。

そう、ジャーニーといっても、つかの間のセンチメンタルタイムのことをそう呼んでいるのだ。
いや、タイムって何のことだ。

それは、ふとした瞬間の胸を締めつける甘酸っぱい一瞬のことだ。

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またきっと聴くだろう

またきっと聴くだろう

先日も書いように、この時期、無性にジャニス・ジョプリンを聴きたくなる。

夏の終わりを静かに見送る。
そんなジャニスの『サマータイム』は本当に心に沁みるのだ。

見送られる夏を思いながら、ぼんやりとと考える。
よく彼女の声を評して「魂の…」と表現されるが、生き急いだ彼女の魂は何を伝えたかったのだろう。
澄み渡る声とは程遠いハスキーボイス。
それでいて、誰よりも無垢な、時に、純粋が故の危うさすら感じ

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ジャニス・ジョプリン、そして晩夏

ジャニス・ジョプリン、そして晩夏

日に日に陽は傾き、黄色い日差しがかすれた葉に照りつける9月の初旬。
目に映る全てのもの、吹き抜ける風すらも、なんだか疲れ切ってしまっているように感じる。

そんな時、いつも無性に聴きたくなるのが「ジァニス・ジョプリン」だ。

どこか気怠さを帯びたハスキーな声が、夏の終わりにピッタリな気がするのだ。

今は日も暮れて、微かな風がレースのカーテンをフワリと揺らせている。
風呂上がりの隙だらけの格好で、

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風をいっぱいに集めたら

風をいっぱいに集めたら

電車待ちのホーム。

今日は、晴天なれど思いのほか風が強い。
着ているシャツが、パタパタとはためく。
バタバタといってもいいくらいだ。

電車到着までは、まだ時間があるようだ。
そこでおれは、目をつむり思考を飛ばしてみる。

目の前に広がるのは、広大な海だ。
ここは日本海か。
海風が容赦なくおれを洗う。
あいにくの曇空。
じきに一雨くるだろう。
人影も無く、猫の子一匹見当たらない。
ただただ、白浪

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レモンスカッシュ

レモンスカッシュ

レモンスカッシュ…

なんとも甘酸っぱい単語だ。

レモンスカッシュ

おれにとってのレモンスカッシュは、初夏の季語だ。
まあ、同じく夏のイメージを抱く方が多かろう。
しかし、おれにとっては「初夏」なのだ。
真夏の太陽ギラ!ではない。
あくまでも初夏。
お気に入りのTシャツをやっと着れるようになる季節。
タバコをぷかりとふかし、隙だらけの構えで、入り浸っていた喫茶店でまったりする。
耳元で流れる曲

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ラブは遠ざけろ

ラブは遠ざけろ

ラブというものには、よくよく気をつけた方がいい。
細心の注意を払い、遠ざけることだ。

これまでだって、ラブにはさんざん苦しめられてきたのだ。
時に振り回され、打ちのめされ、ずいぶん遠回りもさせられた。

ラブは、強くなればなるほど、相手にとっては重荷になって行く。
ラブは、自分と等しい熱量を、相手にも強要してしまう。
そんなラブはいつしか執着に変わる。
いや、ラブこそが、執着の本質だ。
人への執

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物悲しい機内に差し込む朝日

物悲しい機内に差し込む朝日

故景山民夫さんがその多くのエッセイで、旅にまつわるエピソードをたくさんお書きになっている。
エッセイに限らず、旅は景山さんの作品にあって欠かせぬ要素と言えるだろう。
そのエピソードの一つに、こんなものがあったと記憶している。
ある時、国際線の飛行機に乗ったところ、乗客は数人しかおらず、その乗客全員とクルーで、機内でホッケーだかサッカーだかを楽しんだというものだった。
まあ、景山さんがご自身も何処か

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ダメさの塩梅

ダメさの塩梅

なかなかのモテ男が知り合いに、居る。

なかなかの年齢でもある。
そのせいか最近は、そのモテ数値も下降気味。
本人も感じているらしく、しみじみとぼやいていた。
それでもやはり色気といったものはまだまだ健在だ。

もうすっかり大人… いや場によってはもうジジイと言ってもいいだろうその男は、なかなかのダメ男でもある。
いい歳をして、すぐムキになる。
時間にルーズで周りに甘える。
会話を一方的に進め、キ

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壁いっぱいになるまでは

壁いっぱいになるまでは

自宅の壁という壁を本で埋め尽くしたい。

そんな望みを抱いている。
願望でもあり、目標でもある。
夢では終わらせたくないかな。

そもそも本が大変好きである。
と言っても、小学生の頃は、本の一冊すら読まない子供であった。
中高生くらいから音楽好きが高じて、ミュージシャンの自伝的な本を読み耽るようになった。それでも、まだまだ雑誌や漫画の類を読んでいる方が圧倒的に多かったように思う。

しばしば書いた

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