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ラブは遠ざけろ

ラブというものには、よくよく気をつけた方がいい。
細心の注意を払い、遠ざけることだ。

これまでだって、ラブにはさんざん苦しめられてきたのだ。
時に振り回され、打ちのめされ、ずいぶん遠回りもさせられた。

ラブは、強くなればなるほど、相手にとっては重荷になって行く。
ラブは、自分と等しい熱量を、相手にも強要してしまう。
そんなラブはいつしか執着に変わる。
いや、ラブこそが、執着の本質だ。
人への執着。
物への執着。
なんにしても、過熱したラブの行先は、蒸発しカラカラに干上がるだけだ。
後には何も残らない。

行きすぎたラブは、どんな関係においても、等しく大きな代償を伴うのだ。

それに比べてライクはいい。
程よい距離を置きながら見守ることができる。
それは互いの負担を軽減させ、良好な関係をサステナブルなものへと向かわせる最適解だ。
しかし、人はその気持ちをライクに留めることが難しいようだ。

人は常にラブを渇望する。

実際ラブは、時に全能感を伴い、他では得難い快感を与えてくれる。
それ故、人はライクよりラブが上位である事を標榜してやまない。
いかにラブが素晴らしいかを声だかに叫び、街はその共感で溢れている。

いつの時代も…

人間関係において、ラブをライクで留めることが出来れば、不幸の大半は消滅するのではないだろうか。

唯一、ラブを語りラブを正しく行えるのは、神様だけのような気がする。
キリスト教でいうところのアガペーということか。

男であれ女であれ、親であれ子であれ、最上級のライクくらいが、人間が扱える精一杯。

ラブを渇望せず、ラブに焦がれることなく、ライクを丁寧に繋いで行けたなら。

おれ自身、そうなれたらどんなに救われることだろう…



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