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生活すること

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生きるって何だろう?それは生活することなのではないだろうか────30才で伊東市にある海の街へ移住して感じたことを書いています。
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2023年6月の記事一覧

芸術は感想の押し売りではない

芸術は感想の押し売りではない

どこにいるのか、毎朝自分と確認する。今は真ん中にいるらしい。とても平穏で、静かな世界が流れている。真ん中の世界を知ったのはこの街へ来てからだからまだまだ新鮮で、知らないことも多い。家事や事務作業などのできることは増えるけれど、感情は少し鈍くなっている気がする。薬を飲むことによって真ん中を維持させて、感情が振り切れないようにしているのだからそりゃそうか。真ん中にいると創作ができなくなってしまう不安が

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夢の設定

夢の設定

自分の夢がよく叶うようになった。叶えるために何か努力をしているわけでもなく、いつかその時が来たら叶うだろうぐらいの感じでいると急に横からスッと入ってきて、気がついたらもう叶っている。風景画を100枚描いたら展示会を考えようと思っていたら、3ヶ月後にはもう叶っていた。あんなに自分の曲を広めるのに必死だったのに、たまたま住んだ場所で作ってほしいと言われた曲は、歌を覚えたいと言ってもらえるほどになった。

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後回しにしない

後回しにしない

ちょっといい額を買った。自分用に。最初はそんな額を買うつもりはなかったのだけど、絵に合う額がこれしかなかったから結果的にちょっといいお値段の額になった。額によって絵の見え方はかなり変わる。値段よりも、絵に合うか合わないかの方がよっぽど重要だった。でもぶっちゃけ100均のものでもいい。ましてや自分用なのだからこの額を見る人は私以外にほとんどいないし、その額が100均のものなのか、ホームセンターのもの

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海の上で暮らしているようで

海の上で暮らしているようで

どうやら数日前からフラットな世界へ戻ってきたようだ。躁と鬱の両方を体験した約1ヶ月半はかなり危険な旅だったけど、無事にまたここへ戻ってこられて安堵している。波のある生活を受け入れることにしているから波があること自体に問題はなく、どんな旅で、どうやって戻ってきたのかが分かれば次の波もそれほど怖くない。躁鬱はまるで、海の上を漂う船に乗っているようだと思った。追い風を受けて加速しすぎれば、戻ってこられな

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小さな交差点

小さな交差点

道端でよく話しかけられるようになった。それは私が変わったからなのか、寄り道ばかりしているからなのか、この街で若者が珍しいからなのか、今までもあったのに気にしていなかっただけなのか、色んな理由があるのだろう。そんなたまたまその場に居合わせただけの出会いから、私はまるで突然もらうプレゼントのように嬉しさを感じるようになった。

私はパンを買って海岸で食べるのをよくやっている。この日もそうしようとパン屋

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誰かの幸せと私の幸せ

誰かの幸せと私の幸せ

私は幸せのハードルがとても低くなった。毎日海を見に行けて、お気に入りのコーヒーが飲めて、干物が食べれて、ご近所さんと喋れて、作品を作ることができれば満足。今はこれ以上望むものはない。だから毎日がわりとハッピーで、たまに鬱は来るけどそれでも根底はハッピーで、明日も明後日もこの繰り返しでいいなあと思っている。向上心のカケラもない(笑)ただ探究心はある。音楽も絵も文章も躁鬱も、もっともっと深く知りたい。

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落ち込まない鬱

落ち込まない鬱

身体が少し楽になってきた。心臓の鼓動がゆっくりになりつつある。降ってきた階段の一番下は通り過ぎたらしい。建てつけの悪い危険な階段だったけど、降り方はなんとなく分かってきた。心臓が苦しいと一つの動作をするのがすごく大変で、重たい身体を引きづりながらご飯を作ったり、洗濯をしたり、よくやったなと我ながら思う。最下層を通り過ぎた今からは、しばらく真横に進んでいく。ここから無理に上がろうとすると、まだ身体が

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生き延びるための観察

生き延びるための観察

朝起きて、キッチンをデフォルトに戻し、コーヒーを淹れて、文章を書く。いつもと変わらないことをしているけれど、身体は重い。その重さの要因は手足や腰などではなく、中心である心臓から来ているように感じる。心臓が疲れているっぽい。走り終わった後みたいな感じ。そのせいで全ての動作が遅くなっている。脳みそは至って冷静で、体調とメンタルを紐づけないようにそれぞれを分けて考えるようにしている。この体調に流されて心

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刹那に生きること

刹那に生きること

躁鬱人は、人生をどこか刹那的に考えていると思う。私は鬱状態なうなわけだけど、躁状態のことをあまりよく覚えていない。自分がどこで何をしていたのかくらいは覚えているけれど、その記憶に対して感情が付属していない状態だ。お酒で酔っ払った次の日に似ているかもしれない。あれは何だったんだろう…と頭の中を探しても見つからなくて、なくしたというより、スッと消えてしまったような感覚。過剰に出ていたドーパミンが出なく

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降っていく

降っていく

手すりを掴みながら、緩やかな階段を一段一段降っている。いつまで降るのだろうか。今までは急降下してしまい、何が起きたのか分からないまま地面に叩きつけられて大きなダメージを負っていたけれど、今回は落ちるのを理解しているから自ら下へ向かってみている。ここで無理やり元気に振る舞おうとしたり、普段と同じことをやろうとすると、余計に下へ引っ張られる。争うのではなく、受け入れていくイメージだ。躁でやりすぎた分、

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海岸沿いの散歩

海岸沿いの散歩

朝起きると、窓の外でゴーゴーと音が鳴っていた。昨晩、大雨が降った影響で増水した川の水が海へと流れ落ちる音だ。雨が降ると2、3日はこの音がしていて、まるで川の真横に住んでいるかのような気分を味わえる。ちょっと怖いけど。天気は快晴。数日どこにも行けなかったから、今日は丸一日制作をやめて散歩へ行くことにした。だけど文章は書く。文章はもはや制作ですらなく、排泄に近い。溜まった洗濯物を干して、家を出た。

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流されていく

流されていく

私は自分で決めることがとても大事な人間だった。そう、過去形になっている。今はなるべく自分で決めないようにしている。その方が面白いことがたくさん起きるのを知ったからだ。

大統領には毎日着る服を決めてくれる専門の人がついているらしく、それは他にもっと重要な選択をしなければならないからいちいち服なんて選んでいられないからだそうだ。私たちは服のように、日常の中でたくさんの選択をしている。何を食べよう、ど

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一目惚れした街

一目惚れした街

私が今住んでいる場所へ引っ越した理由は色々と書いてきたけれど、簡潔にまとめると「街に一目惚れしたから」だった。その街に丁度いい物件があって決めたもんだから、どうして引っ越してきたのかを聞かれて答える度に皆んな首を傾げる。変わった人が来たって感じに(笑)どうして首を傾げるのかと言うと、古い家が立ち並ぶ不便な場所だからだ。社会問題にもなっている少子高齢化や過疎化が進んでいて、若者が暮らしていく環境が整

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循環させていく

循環させていく

私の生活は至って平凡だ。朝起きて、コーヒーを飲んで、掃除洗濯をして、制作をして、ご飯を食べて、買い物へ行って、途中で海を見たりして、ご近所さんと話して、またご飯を食べて、夜眠る。昨年の12月にこの街へ引っ越してきてから、これらを繰り返している。そうしているうちに私は、唐突に理解し始めたことがある。「全は個にして、個は全なり、個は弧にあらず」という言葉の意味を。急に難しいことを言い出してどうしちゃっ

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