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落ち込まない鬱

身体が少し楽になってきた。心臓の鼓動がゆっくりになりつつある。降ってきた階段の一番下は通り過ぎたらしい。建てつけの悪い危険な階段だったけど、降り方はなんとなく分かってきた。心臓が苦しいと一つの動作をするのがすごく大変で、重たい身体を引きづりながらご飯を作ったり、洗濯をしたり、よくやったなと我ながら思う。最下層を通り過ぎた今からは、しばらく真横に進んでいく。ここから無理に上がろうとすると、まだ身体が回復しきれていないから後の反動がでかい。2日前に降りきったぜ!と喜び、調子に乗って色々やったら、その晩は呼吸困難になってしまった。せっかく落ち着いてきた心臓がまだついていけなかったのだろう。傷ついた身体にはリハビリが必要なのを忘れていた。降るのもゆっくり、上がるのもゆっくりを意識していこうと思う。

なんでこんなに冷静なのかと言うと、気分の落ち込みがないからだ。いや、気分は落ち込んでいるか。あまりテンションが上がらず、爆発している髪の毛を早く切りに行きたいのだけど、誰かと話すのはちょっとしんどいなあと感じている。躁の時の話しかけまくっていた自分はどこへやら。だけど冷静にいられて、ゆっくりでも色んなことができているのは、自分で自分を全く責めていないからだと思う。脳は反復をするクセがあって、自分を責めるという回路を一度作ってしまうと、勝手にその回路へ行ってしまうらしい。普段から自分を責めているから鬱になるのか、鬱になったから自分を責め始めるのか人それぞれだろうけど、その回路を解除しない限りそこへ何度も戻ってしまうのだ。幸福感に関係しているセロトニンやノルアドレナリンなどの神経伝達物資の分泌が低下すると、偏桃体という部分が異常に反応して、脳内で痛みが増幅されてしまうらしい。私の身体の重たさもそのせいなのだろう。つまりただでさえ痛みを感じやすいのに、さらに痛みつける行為を何度も繰り返しているのはもはや鬼畜の所業というわけだ。

ではどうやったら自分を責めなくなるのか。ネットで調べてみると、自分に自信を持とう☆とか、他人と自分を比べないようにしよう☆みたいなキラキラ自己啓発が出てくる。んなこと分かっとるわあああああ!!!できないから調べとるんじゃあああああ!!!と心の中でスマホを叩き割る。とあるサイトの自己否定の克服方法がこちら。

①自分を褒める②欠点を必要以上に見ない③完璧な人間はいないという考えを持つ④他人と自分を比べないようにする⑤自己否定をしたら次の行動を考える⑥専門家を頼る

いや、そもそもこれができないから困ってるんですけど?結果論じゃなくて方法を教えろやあああああ!!!と再び心の中でスマホを叩き割る。

私はこれらを意識してみても全くできなかった。意識したのは別のことで、私がよく言っている「今」に集中することだった。つまり過去の反省や、未来の心配をしないで、たった今起きていることだけに集中する。自己否定というのは、これまでやってきたこととか、これからやってしまうことからしか生まれない。例えば私は今コーヒーを飲んでいるのだけど、美味しいなあとしか思っていない。だけど自己否定というのは美味しいなあ以外のことをずっと考えていて、昨日は失敗しちゃったなあ…、明日は上手くできるかなあ…、一昨日も同じ失敗したしなあ…、今月までにできるようにしないとなあ…と時間軸が今からずれていっている。コーヒーの美味しさどこ行った?!今ここにあるコーヒーを味わいなさいよ!そのためには、コーヒー美味しいコーヒー美味しいコーヒー美味しいって、最初は念仏みたいに唱えないとできないかもしれない(笑)「今」という一瞬で通り過ぎていく時間からは反省している暇も、心配している暇もない。集中していないと捉えられない時間軸なのだ。

だから言ってしまえば、自己否定している時は暇なのだろう。私は鬱なのに毎日がわりと忙しい。風景画でいかにいい線を引っ張れるかに集中したり、料理でいかに上手く肉を焼けるかに集中したりしていて、身体の重たさを反省している暇はない。というよりも、わざとその暇を作らないようにしているのかもしれない。身体の重たさで何もしていないと、脳みそが暇だから自己否定でもするか〜と回路を作ってしまう。だからどんなに身体が動かなくても、何かはするようにしている。その何かは成果物がなくてもいい。今を感じるためのものだから、ただやっているだけでいい。身体はしんどい。でもそれは幸福ホルモンが足りなくて痛みを感じやすくなっているだけだよ〜と、何度も教えてあげる。そうするとだんだんと自己否定の回路から外れていき、今に集中し始めて、過去や未来のことを考えなくなっていく。それが私なりの落ち込まない鬱の過ごし方だ。

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