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人生が充実すると創作は進まない
人生が充実すると創作は進まない。創作は自身の内側へと向かっていく行為なので、誰かと遊びに行ったり、イベントをしたりなど、ベクトルが外側へと向くようなことをしている間は何も生み出せない。さらに、しばらくの間はベクトルが向いた方向からは戻ってこられない。加速したままいきなりUターンはできないように、ブレーキを踏みながら緩やかに減速して、一度は完全に止まる必要がある。風景画展でベクトルが外側へと向いた私
もっとみる野良猫たちと静かな日常
風景画展が終わり、少し静かな日常が戻ってきた。季節は巡り、気がつけば春から梅雨になっている。今年は昨年よりも早く時が過ぎていきそうだ。新井の山は深い緑へと染まっていき、温室のような湿った空気は、伊豆半島が遥か彼方の南からやってきた島だったことを感じさせる。保湿効果があってお肌によさそう。
春にお盛んだった野良猫は子供を産んだらしく、子猫の首根っこを掴んで運んでいる母猫と遭遇。バッタを捕獲して咥え
創作とは何かと対話すること
私は一人でいることを全く苦に感じない。道端でご近所さんと世間話したり、干物屋のおじちゃんと話したりで充分満足できる。だから家族も友達もいない街へ移住できたのだろうけど。一人っ子なこともあり、一人の時間を過ごすサバイバル術みたいなものを幼少期のうちに会得したらしく、むしろ友達付き合いは苦手な方だった。ツアーミュージシャンになってからも旅の道中は一人だったし、どこかへ属したいという気持ちも全くない。一
もっとみる私のポンコツバッテリーの使い方
まるで水の底にいるかのような重たい身体を、地べたに横たえる。胸が締めつけられているせいで上手く呼吸ができず、脳に充分な酸素が行き渡らない。1秒先のことを考えるだけで精一杯。冷蔵庫の中にあった納豆や豆腐やレタスなどの調理しなくてもいいものを機械的に食べ、また地べたに横たわった。この傾いた世界を見るたびに私は、自分が躁鬱だったことを思い出す。
風景画展の準備のために大量のエネルギーを使い、バッテリー
視点が変わった世界で見えるもの
水がゴーゴーと音をたてて流れているのが聞こえる。さっきまで降っていた山の水が、川を伝い海の方へ降っていく音だ。昔は川だった上に道路を作ったらしく、私は川が通っている山を少し切り拓いた場所に暮らしている。山と海と川の3点セット。移住を決めた時はそこまで自然に囲まれて暮らしたいわけではなかったのだけど、この地へ来た瞬間にここで暮らしたいと直感で感じたということは、私は無意識に自然を欲していたのだろう。
もっとみるゴールのない芸術作品を目指して
藤森愛として活動14年目を迎えた(昨年は間違えて12年目と言ってたみたい)。今でもこうして藤森愛という看板を出して活動できているのは、たくさんの支えがあるからなのだと年月を重ねるごとに強く、深く感じる。
芸術ごとを続けていくのは難しい。なんでもそうだろうけれど、特に芸術は生きていくために必要なものとしての優先順位は圧倒的に低い。生きていくためには絶対に必要だ!という人もいるかもしれないけれど、芸
現実から解き放たれたフォルムと色彩
ポーラ美術館で初めてアンリ・マティスの「リュート」を見た時、正直その良さは分からなかった。パースを無視したダイナミックな線と、大胆に置かれた強烈な色彩に、私は戸惑いさえも覚えた。なんて自由すぎるのかと。自由すぎて脳が追いつかない。でも決して複雑なことはしておらず、むしろ簡略化されたその絵になぜか心が引っ張られる。美術館を見終わったあと、気になって調べたくらいだ。だけど当時の私は、その絵に引っ張られ
もっとみる言葉になる前の音に耳を傾けながら
カーカーカーというカラスの鳴き声で目が覚めた。時計を見ると朝6時前。ここ最近は目覚ましの音ではなく、朝日と共に鳴き始めるカラスの声で起きることが多い。お前はニワトリか!二度寝しようと思っても、スヌーズみたいに何回も繰り返すもんだから目が覚めてしまう。でも、目覚ましの音でびっくりして起きた時のような不快感はない。自然界の音だからかな。伊東に来てからは、自然の音に耳を傾けることが多くなった。特に文章を
もっとみる天国に生まれた私たちは
家にいながら好きな時間にドラマや映画を楽しめる。本を読まなくてもYouTubeで誰かが分かりやすく解説してくれている。お店に行かなくてもネットで注文すれば次の日には欲しいものが届く。どんなに遠い世界の果てでも写真や動画で見ることができる。お店の口コミを調べればハズレを引くリスクを下げられる。100円均一でだいたいの生活用品は揃えられる。500円払えばおいしい牛丼を食べられる。スマホを開けばすぐに誰
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