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生活すること

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生きるって何だろう?それは生活することなのではないだろうか────30才で伊東市にある海の街へ移住して感じたことを書いています。
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記事一覧

頑張っている暇なんてないほど創作は忙しい

頑張っている暇なんてないほど創作は忙しい

7月9日

今日は一日、何も予定がない。そんな日はなるべく外へ出ずに制作をする。予定がなければ引きこもって制作をする、というのが習慣になった。やる気があるとかないとかも考えずに、自然と作業部屋へと向かう。モチベーションに頼るのは本当に不安定なもので、モチベーションが湧かない時は、そのモチベーションを上げるために違う何かをしようとする。それは本来やらなくてもいいことだったり、自分を酷使してしまってい

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それくらいのもの

それくらいのもの

7月8日

腱鞘炎になってからお世話になっている先生の整体を受けに向かった。この先生に出会えていなかったら、今でも右手は痛いままだったかもしれない。3週間に一度診てもらっていて、ずっと座りっぱなしで制作しているせいか歳のわりにバキバキらしい。ここで痛みをリセットしてもらえるおかげで、私はまた制作を続けることができる。神の手。本当にありがたい。

私は一軒家に住んでいて、しょっちゅう部屋を移動するか

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野良猫のルーティーンと共に

野良猫のルーティーンと共に

7月5日

朝一でベランダへ野良猫がやってきた。私の方をじっと見つめている。ご飯がほしいのか、ただ気になっているだけなのか。人間である私は、その表情から読み取ることができない。しばらくすると去っていき、そしてまた戻ってきた。今度は置いてある水を飲み、そのままそこへだらんと座る。さっきのは偵察かなにかだったのだろうか。ウトウトとまぶたを重そうにしている。そんな猫を横目に、私はいつものように文章を書く

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繰り返すことでしか見えないものたち

繰り返すことでしか見えないものたち

7月3日

ポトスへ水をあげる。毎日どれかが水を切らす。日々同じようなことが繰り返されているようで、少しずつ違う。ルーティーンがあるとその変化には気づきやすい。どうしてルーティーンなんて毎日同じことを繰り返すんだろうと思っていたのだけど、やってみてようやく分かった。繰り返している人にとっては、同じではないということを。惰性で繰り返しているのではなく、やる度に新しい発見があるからまたやってみたくなる

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面倒くさい楽しさを知ってしまったら

面倒くさい楽しさを知ってしまったら

7月1日

雨が続いている。窓の向こうに見える山には白い雲がかかり、木々の緑色はより一層深く見えた。自転車で買い物が行けなくて少し不便だけれど、この街へ来てから雨が好きになった。木々たちが雨の恵みを喜んでいるように見えるからかもしれない。観葉植物へ水をあげる時もなんだか喜んでいるように見える。今日は月に一度のサボテンへの水やりの日。頻度が少なくて忘れてしまいそうだから、月の始めと決めている。私が枯

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自分から生み出たものを否定しない

自分から生み出たものを否定しない

少しずつ創作の感覚が戻ってきている。何度も休憩しながらダッシュで走るより、緩やかなスピードで走り続ける方が楽なように、創作も毎日ダラダラとやり続けている方がいいものが出来上がったりする。決して気合いは入れず、でもサボらず、歯磨きをするように毎日ダラダラと続けるのだ。ふと後ろを振り返ってみた時に、想像していなかったものや、想像を超えるものが出来上がっていたりするからおもしろい。

私にとって創作は呼

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人生が充実すると創作は進まない

人生が充実すると創作は進まない

人生が充実すると創作は進まない。創作は自身の内側へと向かっていく行為なので、誰かと遊びに行ったり、イベントをしたりなど、ベクトルが外側へと向くようなことをしている間は何も生み出せない。さらに、しばらくの間はベクトルが向いた方向からは戻ってこられない。加速したままいきなりUターンはできないように、ブレーキを踏みながら緩やかに減速して、一度は完全に止まる必要がある。風景画展でベクトルが外側へと向いた私

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野良猫たちと静かな日常

野良猫たちと静かな日常

風景画展が終わり、少し静かな日常が戻ってきた。季節は巡り、気がつけば春から梅雨になっている。今年は昨年よりも早く時が過ぎていきそうだ。新井の山は深い緑へと染まっていき、温室のような湿った空気は、伊豆半島が遥か彼方の南からやってきた島だったことを感じさせる。保湿効果があってお肌によさそう。

春にお盛んだった野良猫は子供を産んだらしく、子猫の首根っこを掴んで運んでいる母猫と遭遇。バッタを捕獲して咥え

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社会と私の間にはいつもアートがある

社会と私の間にはいつもアートがある

他者と上手く混ざり合えたら、伝えられたらアートなんて必要ない。私はいつも社会と自分の間にできた溝を埋めるように作ってきた。作らないでいられることはそれだけ人生が充実している証拠でもあり、作れることは自分だけの逃避場所があるということ。アーティストが元気な時より病んでいる時の方が作れるなんて話があるのは、創作行為が現実からの逃避だからなのだろう。

作る時は一人だ。みんなで一緒に作るバンドなどは例外

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私はやっぱりシンガーソングライター

私はやっぱりシンガーソングライター

熱海から新幹線に乗り換えて、名古屋へと向かう。街が変わると、空気が変わるのを顕著に感じるようになった。ツアーをしていた頃は全く気にしていなかったのに。伊東での暮らしは、私の五感をより敏感にさせたらしい。おかげで都会へ行くと鼻炎になるようになった。いいのか悪いのか…。特に名古屋の地下鉄に乗ると、帰ってきたなあ~と感じる。学校へ行く時も、バイトへ行く時も、ライブへ行く時も、何度も何度も吸ったあの懐かし

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意味を付ける人

意味を付ける人

朝起きて、コーヒーを淹れて、観葉植物に葉水をして、洗濯機を回しながら、文章を書く。私の朝のルーティーンだ。脳みそが一番新鮮な朝一に文章を書くと、身体の調子がいい。文章の内容の調子はその日によるから、どこにも見せずに消すこともよくある。この文章ももしかしたら消すことになるかもしれない。それはまだ自分でも分からない。完成度はあまり重要ではなく、私は私の中から何が出てくるのかを楽しんでいる。そんなことを

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私の処方箋

私の処方箋

今の暮らしになってから1年半以上が過ぎた。ここでの日々は静かに、穏やかに流れていく。ありとあらゆる存在が私を支えてくれているおかげだろう。打ち寄せる波の音も、どこまでも続いていく地平線も、季節と共に色を変えていく山々も、朝陽と共に歌い始める鳥たちも、今日は天気がいいねとご近所さんと交わす会話も、おまけでもらった干物も、日常の中にある全ての出来事が私の支えとなっている。

以前の私の支えは音楽しかな

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創作とは何かと対話すること

創作とは何かと対話すること

私は一人でいることを全く苦に感じない。道端でご近所さんと世間話したり、干物屋のおじちゃんと話したりで充分満足できる。だから家族も友達もいない街へ移住できたのだろうけど。一人っ子なこともあり、一人の時間を過ごすサバイバル術みたいなものを幼少期のうちに会得したらしく、むしろ友達付き合いは苦手な方だった。ツアーミュージシャンになってからも旅の道中は一人だったし、どこかへ属したいという気持ちも全くない。一

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私のポンコツバッテリーの使い方

私のポンコツバッテリーの使い方

まるで水の底にいるかのような重たい身体を、地べたに横たえる。胸が締めつけられているせいで上手く呼吸ができず、脳に充分な酸素が行き渡らない。1秒先のことを考えるだけで精一杯。冷蔵庫の中にあった納豆や豆腐やレタスなどの調理しなくてもいいものを機械的に食べ、また地べたに横たわった。この傾いた世界を見るたびに私は、自分が躁鬱だったことを思い出す。

風景画展の準備のために大量のエネルギーを使い、バッテリー

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