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野良猫たちと静かな日常

風景画展が終わり、少し静かな日常が戻ってきた。季節は巡り、気がつけば春から梅雨になっている。今年は昨年よりも早く時が過ぎていきそうだ。新井の山は深い緑へと染まっていき、温室のような湿った空気は、伊豆半島が遥か彼方の南からやってきた島だったことを感じさせる。保湿効果があってお肌によさそう。


春にお盛んだった野良猫は子供を産んだらしく、子猫の首根っこを掴んで運んでいる母猫と遭遇。バッタを捕獲して咥えている野良猫もいた。みんなたくましい。大自然の中で伸び伸びと生きる野良猫たちを見ていると元気をもらうと同時に、服を着て食物を育てコミュニティを形成しなければ生きていけない人間の非力さを感じる。生物は寝ている状態が正常であり、起きている状態は非常事態なのだとどこかの学者が言っていた。言われてみれば、起きている時は食べ物を確保したり、仲間を増やしたり、未来のために勉強をしたり、何かしら生命を維持するためのことをしている。野良猫たちがほぼ寝て過ごしているのに対して、人間があくせく動き回らなければならないのは、その非力さがゆえなのかもしれない。願わくば私もほぼ寝て過ごしていても退屈だと思わない、不安にもならない身体になりたい。


買い物へと出かける。最近はご飯に凝る時間もなかったため、味噌汁と干物とサラダのルーティーンになっていた。でも、どれだけやる気がなくて適当でも、コンビニ飯やインスタント食品を選ばなくなったのは成長だ。今夜はハンバーグにしよう。買い物の道中、気になる景色を見つけては自転車を止め、写真に収めた。自転車は流れる景色のスピードがゆっくりで、私の生活スタイルに合っていると感じる。でも一番いいのは徒歩。自転車でさえも気になる景色を何度も通り過ぎてしまっている。

途中で気になることのために寄り道する方が大事なのか、目的地へ早く辿り着く方が大事なのか、それはその時の自分が求めているものによって変わるだろう。私はなるべく前者でありたい。野良猫のように寝ていられればいいけれど、人間である私たちはそうもいかない。この果てしない時間をなるべく退屈しないように、何かで埋めていかなければならないからだ。ならば、寄り道できるところはなるべく寄り道して、退屈だと思う暇なんてなかったと思える方がいい。


つくばやさんで合い挽き肉を買う。ありがたいことに風景画展には、つくばやさんに飾られている私が描いた風景画を見て来てくれた人たちもいた。あらいの湯やご近所さん宅にも自分の風景画が飾られていたりして、なんだか不思議な体験に感じる。ずっと無固形物の音楽だけを届けていたからかもしれない。絵は目に見える形で存在し続けるけれど、音楽は目に見えず、その瞬間に消えてしまうため、届いていることを実感するのは難しい。だから、自分の作品がちゃんと届いていることが可視化されているのがとても不思議で、嬉しく思う。

家に帰ると、野良猫が隙間からこちらをじっと見つめていた。見つめるだけで、決して近寄ってはこない。食べ物でもあげない限り、私たちの距離がこれ以上縮まることはないのだろう。以前までは猫を飼いたいと思っていたけれど、こうした対等な立場で、共に生きている感じが今では気に入っている。私も何かに誰かに縛られるのは好きじゃない。厳しくても自由に生きたいと思っているし、野良猫たちもそうしている姿を見て元気をもらっている。


晩ごはんにハンバーグを作った。中身が生焼けでもう一度焼き直す。ハンバーグをうまく焼けるようになりたい。

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