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私を苦しめた相手への一番の復讐は「幸せになる事」ではない

本当によく見聞きする、

「あなたを苦しめた人への
一番の仕返しは幸せになる事です」

という言葉。

なぜ、コナンでもないのに真実はひとつみたいな言い方をするのだろうかと、いつも思う。私が口癖レベルで言う「断言しないで」の要素も多分に含んでいるし。

下手に断言した言説を広められると鵜呑みにする人もいるから、あえて歯の衣(きぬ)を一枚脱いで言うと

申し訳ありませんが少し迷惑です。

そもそも、あくまでも自分が実際に言葉を浴びた経験があっての語りだけど。幸せになるのが一番の仕返しだというのは

私にとっては全くの的外れ

でしかない。

一番は気が済むまで復讐する事

前提として、一番の仕返しを「幸せになる事だ」と信じている人を否定もしないし、それで心が救われるなら本当に何よりだと思う。その上で、

断言しないでほしい

と言っているだけの話。

私にとっては

と何度も念を押すけど。

さて話を戻して。

私にとって一番の仕返しは、気が済むまで同じ――いや、それ以上の目に遭わせる事のみ。目には目を的な感じだけど、それが私には理にかなっている。

当然ながら、

復讐は認められていない

からやらない。やらないけど、心の中ではそれはもう何億回と血祭りにあげている。そうやって、全部は難しいけど一生かけて少しずつ少しずつ少しずつ消化させているわけだ。もどかしいかな。

逆に言えば、それをしなければひと欠片の幸せすら味わいようがない体になったとも言える。人生をめちゃくちゃに壊されて、

生きる事に味がしないんだから。

「冷酷な人」だろうか。
「怖い人」だろうか。
「最低な人」だろうか。
「思いやりのない人」だろうか。

もしそう感じるなら、それは私がやられてきた仕打ちがどれほどかを考えようともしない人の勝手なイメージだと個人的には思う。同じ目に遭っても言えるのかと思う。その場に立って死を感じて、恐怖のあまり失禁してそのまま家に帰る事になれば分かってくれるかなと思う。それでも無理なら、価値観が相容れないだけだから、特に思うところはない。

そういう私からすれば、

「幸せになって見返すんだよ」

と言われても、苦笑いもできない。加害者のあいつらは、私が幸せになろうと気づきもしないし、生きていようと死んでいようと

あの頃なんてなかったかのように

のうのうと生きるだけだろう。風の便りでお店を開いた人もいるし、結婚をして子供がいる人もいる。もう記憶の片隅にも私はいないだろう。掘り返そうものなら、証拠がないから「言いがかりはよせ」も通用する。まさに、

あの頃なんてなかった状態の出来上がり。

だから、私を苦しめた相手への一番の仕返しは「幸せになる事」なんて生温いものではなく

「禁止されているから実際はしないけど
気が済むまで加減などせず復讐する事」

でしかないのだ。せめて心の中でリベンジ映画の主人公のごとく、世にも恐ろしい残酷な目に遭わせるイメージをする事なのだ。

繰り返すけど「私は」の話。

「許そう」とかうるさい

こうやって復讐したい気持ちを吐き出すと、

・仕返し考えてるうちは幸せになれない
・復讐を考えてるうちは青い
・やり返しても相手がその後笑顔で暮らしたら?
・相手の事なんて気にしないで生きるべき
・許して手放しましょう

などの反応が返ってきたりもした。

私の人生をミリも知らないだろうのに、幸せへ導いてあげているんだよ的なスタンスで。そして、そのどれもが中心に刺さらないというか、

「ブル」じゃなかった。

「考えてるうちは」もへったくれも、仕返しを考えずにいられないくらい苦しい気持ちは蔑ろですかという話だし。

「復讐を考えているうちは青い」かどうかは、他人が決める事ではないと思うし。

「相手が仕返し後に幸せになったら」も何も、幸せになったら二度と幸せになれない状態になれとさらに強く深く呪い願うだけだし。

「気にしないで生きるべき」と言うけど、嫌な事をされた時に「気にするな」とはつまり

見逃してやれよと同じ意味

だから立派な二次加害だと思うし。

「許して手放しましょう」とか、本当に苦しい目に遭って今後の人生を一般的な人以下の水準でしか暮らせなくなった身としてはうるさいだけだし。

しつこいけど、私にとっては心にかすりもしない。

以前、許す事についてnoteを書いた中でも伝えたけど、

*相手を「許す」という事|エトナシ サラ|note

「絶対許せないものもあるよね」と。「許せない事は許さなくてもいいんだもんね」と。「この言葉を安売りしなくていいからね」と。「相手のために使う言葉じゃなくて自分のために使う言葉なんだよ」と。「心を押し殺してまで使わなくていいんだよ」と。「震えながら怯えながら泣きながらそれでも笑いながら思ってもいないのに口にするものじゃないと思う」と。「こんな大事な言葉をこれほど私を傷つけた相手に言わなくてもいいよね」と――。

相手を「許す」という事/エトナシ サラ

こうやって自分で自分を慰めながら、自分の背中をさすりながら、欠けた奥歯に舌が触って当時の痛みを思い出しながら、理解のない周りの言葉を笑顔でスルーしながら、たまたま死なずに私は生きている。

ゆえに、本来どの言葉がトドメになってもおかしくなかった。命の安全装置は、とっくに外してある。

「追い詰められる」とは
それほどの状態でもあるんだから。

許せとか気にするなとか幸せになるのがとか、答えがそれひとつかのように断言しないでほしい。

私の幸せへの道のりを
どうか勝手に決めないでほしい。

願いはそれだけだ。

まとめ

回りくどい私の書き方は記事のたびに紹介しているけど、本当に今回のテーマも個人的な話だから誤解しないように。

私の言葉が回りくどい理由|エトナシ サラ|note

誰かの持論や人格を否定したいわけでもなく、議論をしたいわけでもなく、対立を煽りたいわけでもない。そういう意味合いで捉えられる言葉があったら、謝ります。ごめんなさい。

ただただ、この世の中に

「これはこうです」
「こういう育ち方はこうなる」
「これだからこうなんだよ」

のように、

ひとくくりに断言する言説が多く
それに声をあげる人がなかなかいない

から、必然的に「やめてほしいな」と声をあげる回数が増えているだけ。「私にはやめてください」と願う回数が増えているだけ。そして、この記事では

一番の仕返しは幸せになる事だ

という断言に「私は違うんだから決めつけないでください」と言っているだけ。断言していいのは

私が私に対する事を言う時だけ

だと思っているから。

一番の仕返しは、相手が気にならなくなるほど幸せになる事では決してなく

禁止されているからしないけど復讐だけだ。


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