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私の言葉が回りくどい理由

私の言葉は回りくどい。

できるだけシンプルに表現したほうが印象に残るし、それっぽく説得力も増すだろう事は分かっている。なのに、

私はそれをしない。

もちろん、自分がまだまだ言葉を完璧に操れていない未熟者だからでもあるけど、それ以外の理由もある。

理由の一部については、こないだ掘り下げた記事で少し触れたものの、

その他にも語りたい部分が残っているため、追記を公開するに至った。本当は有料にしようと思ったけど、私自身の発信スタンスを少しでも多くの人に改めて伝えさせてもらいたいから、あえて雑記として。

ちなみに、作中に例文を挙げたりするけど「それらの表現がダメ」なわけではないし。私もケースバイケースでそちらの言い方をする時があるし。

「この方法が正解だからみんな真似よう」などと言いたいわけではない――それだけは、きちんと踏まえて読んでもらえると嬉しい。

不要な反発を減らす書き方

Twitterやnoteでもたびたび語っているように、私自身は

・主語はできるだけ小さくする
・くくった物言いをしない
・相手を否定しない
・貶し言葉や捨て台詞などを使わない
・したくてもできない人がいるのを忘れない

などを普段から心がけていて、そのニュアンスを伝えるためにはどうしても言葉を足す必要がある。

例えば、

A:○○をする人は△△になる

このAは断定形の文章で、ともすれば「決めつけている」と捉えられかねない。それが予想できるから、

B:○○をすると△△になってしまいがち
C:○○をすると△△になる時もある
D:○○をするのは△△からだったりもする
E:○○をすると△△になったりするから□□するのもアリ

BCDEのような、断定を避けた言い回しをするといった具合だ。これなら、△△だと決めつけていないし、否定だと取られづらい。「自分は△△じゃないぞ!」のような反発も減らせる。

結果、内容の本質が届きやすくなる。

ただ、これだけではない。内容量や文字数に余裕がある場合には、

F:○○をすると△△になったりするから□□するのもアリ。分かっていても、なかなかそれが難しかったりするんですけどね。

と、Fのように寄り添う形の付け足しもする。いつも私の文章に触れてくれている人なら「あーたしかにエトナシさんよくこれ言ってるわ」と思い当たるだろう。しつこいほどこの手の言葉を足していて、もはや口癖と言っても過言ではない。

これだけでも結構回りくどい言い方なんだけど、実はまだある。もっともっとフォローの文章を入れられる時には、

G:○○をすると△△になったりするから□□するのもアリ。分かっていても、なかなかそれが難しかったりするかもですけどね。なので、無理にというわけではなく、できる時にできる範囲で少しずつやれるといいなと思います。

ここまでやる。このGの文章の中には

・「も」を使う事によって
当てはまらない人への配慮になる

・「なかなか難しかったりするかも」で
実際問題のハードルの高さに寄り添う

・「できる時にできる範囲で」を加えて
押しつけないよという柔らかな空気にする

などの意図での表現を選んでいたりもするけど、なぜそうまでしていちいち足すのかと思う人もいるだろう。

理由は、いくら「~するのもアリ」と言ったところで「その気力すら湧かない」といった人もいるから。「今は難しい」といった人もいるから。「そんなに急に全部はできない」といった人もいるから。

あらゆる可能性に対しての配慮は無理だけど、だからといって全無視しないで、文字数などが許す限りフォローは入れたいと常に思っている。

だから、こんなにも足しているわけだ。

意識を変えなければ元の木阿弥

フォローを惜しまない言い方・書き方をするというのは伝わっただろうけど、これを続けるには

考え方自体が伴っている必要

があると思う。

心理的に「本当はこんな事言いたくないけど言っておかなきゃ叩かれるから」や「なんでこんな面倒なフォロー入れなきゃいけないんだ」なんて思いながら仕方なくやると、どうしても疲れて長続きしづらいし。どこかの場面で、ぽろっと襤褸(ぼろ)が出たりもする。

自由に発信できる場所だと特にそうで、意識を変えなければ元の木阿弥。つまり、思考の根っこが言葉にあらわれるという事だ。

最初に伝えた通り、私自身の思想が崇高だと言いたいわけではない。「どうだすごいだろう?」と、ボア・ハンコックのようにふんぞり返りたいわけではない。それどころか、

「周りから見ると面倒くさい奴に映ってそう」

とさえ思っているから。

数行で済むところを、一冊にして語ったり。
一言でいいのに、十言くらいの長さで返したり。

今回も、言葉をぎゅっと凝縮すれば1000文字程度で書き終えられたはず。なのに、それをしない。

ああ、我ながらなんて面倒くさい。面倒くさくないと言ってくれる優しい人も存在していると分かってはいるけど、なかなか私のようなタイプは――(こういう所)

まとめ

いかがだっただろうか?

ここまで読んでくれた人は、私の言葉の回りくどさが痛いほど分かったと思う。回りくどいから、パンチラインもぼけてしまってインパクトに欠ける。

だからそれほどウケない。
当然バズったりもしない。

でも、これでOKだと思っている。

完璧にとはいかなくても、実際に反発したくなる気持ちを減らせているようだし。10年以上Twitterなどのオンラインで活動しているけど、ありがたい事に言葉に関して

一度も荒れた経験もなく平和そのもの。

だから、いいのだ。どんなに回りくどく感じられても、私は穏やかに受け取ってもらえる言葉を選び続けるのだ。誰かと比較する意味合いでは決してなく、その上で、

誰よりも異常なほど"丁寧"に

言葉を書くのだ。

そんなに「派手」ではないかもだけど。
ぜんぜん「上手」ではないかもだけど。
あんまり「好手」ではないかもだけど。

届けたい「相手」に伝わるように。

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