○○したいならまずは自分から?
ここ最近、いろいろな場面で
といった「まずは自分から論」を聞く機会が増えてきた気がする。言わんとしている事は伝わるし、思うのも当然自由だし、その持論を展開している人を否定もしない。
それが前提の上でだけど、個人的には
「まるでその順番が正解かのように言う」
のが、とても引っかかったりはしている。それから「もうひとつ別の理由」で、まずは自分から論がとても苦手だったりする。
順番関係なく上手くいく時もある
はっきり言って「自分から何かしないと上手くいかない」とは限らないと私は思っているし、事実そういう経験もある。
自分から動きもしなかったけど、棚ぼたで嬉しい出来事が起こったり。努力も何もしていなかったけど、予想外の吉報が舞い込んだり。適当に描いたイラストが、思わずウケて人気になったり。
たしかに、自分から積極的になれば上手くいく確率は上がるかもしれない。でも、ならなくても全然ゼロじゃない。
むしろ、あまりにも「自分から自分から」と順番を気にしすぎて二の足を踏んでしまい、上手くいかない場合もあったりするから。
例えば、自分で自分を愛せなくても、誰かに愛されて初めて「愛情」を知って自分の事も大切に愛せるようになった――という人だっているわけで。
それは、冒頭の論からすれば順番が逆だけど結果としては上々。
「自分を愛せない人を愛する人なんていないよ」と思うかもしれないけど、誰もがポジティブで明るくて努力をしていて魅力あふるる人を好きになるわけではないし。
真逆のタイプに惹かれる人もいるから、順番を鵜呑みにしないように「私は」している。何度も言うけど、
あくまでこれは「私は」の話。
議論するつもりも正解と謳うつもりもないから、順番を重んじるかどうかは人それぞれ。
それで焦る人それで凹む人
最初に言った「もうひとつの理由」については、とても単純な話で。順番が大事順番が大事と言われると、
焦る人もいる
からだ。
例えば「人を幸せにしたい」と素直に思った時に「まずは自分が幸せにならないと」が常識になると、気持ちにストップがかかるケースもある。
動こうとした足が止まり、自分が幸せになる行動と結果を自問自答してGOを出すまで時間が必要になり、幸せにしたい相手とのタイミングを逃してしまうと焦ったり。
また別の例えで、先ほども触れたように「愛されたい」と願った時に「まずは自分を愛すべき」が常識になると、
「自分を愛せない私は誰にも愛されないんだ……」
と凹む人も出てくる。実際にそういう悩みを受けたり、私自身が諦念したりした事もあるし。
だから、そういう「焦らせる言説」や「凹ませる言説」が個人的には苦手なんだと思う。特に、これはもう何億回何兆回と繰り返しているように、
押しつけ・決めつけの言葉が無理
なのもあって、そういう類を心が拒否してしまう。もちろん、決めつけないで柔らかく言ってくれている人たちもいるのは大大大前提。そういう場合には嫌味な意味一切なく「うんうん。そういう考えもあるね」と思うだけ。
その辺りを混同しないでくれるとありがたい。
まとめ
自分にとって苦手というか賛同できない言説は、数えてみると本当に多い。決して「逆張り」をしているわけではなく、今日も触れたように
明確な理由を持った上で。
そういった「もっと深く掘りたいと思うデリケートな言説たち」は、このnoteで今までもたくさん取りあげているから、よろしければ今回のと併せて購読してみてほしいし、感想などもよろしくお願いします。
ちなみに、先日noteの記事をジャンル別にまとめた
「マガジン」
世界一丁寧な言葉の選び方|エトナシサラ(にゃんひー作者)|note
相談を受ける側の心得|エトナシサラ(にゃんひー作者)|note
100円エッセイ|エトナシサラ(にゃんひー作者)|note
深掘りエッセイ|エトナシサラ(にゃんひー作者)|note
エトナシなんでも相談所(Q&A)|エトナシサラ(にゃんひー作者)|note
雑記|エトナシサラ(にゃんひー作者)|note
なども作ったし、有料記事はPayPayでの支払いにも新たに対応したようだから、時間がある時にディグったり一気読みでもしてもらえたら、エトナシはなおさら喜びます。
というわけで「まずは自分から」の逆を行く私は、体も弱いのでこの辺で横になって吉報を待とうと思います。