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暴力の恐怖は生きている限り一生続く

暴力にも、いろいろな形がある。

私自身、例えば「いじめ」については一家言を持っているけど。それもまた、ひとつの暴力の形だ。そして、他にも

・DV
・虐待
・誹謗中傷(それに類するもの)
・性的暴行

などの形もある。

これらをひとくくりにはできないし、被害者側が感じる度合いも人それぞれ。「負けるもんか」と自分の中で処理できる人もいれば、そうではなく「もう無理だ」と絶望する人もいる。さらに――。

「それくらい」かどうかは基本的に他人が決める事ではないから、一般的に見て10のうち1程度だったとしても

本人が10と思ったら10

なのだ。

ちなみに、タイトルには「一生続く」と書いてあるけど、これはあくまでも私の場合はという話。全て私個人の意見。誰もがそうだと言っているわけではないから、どうかどうかそこは誤解なきよう。

了承してから、続きを読んでください。


罪が重くなろうと破る人は破る

暴力に限らずではあるんだけど、

「もっと厳罰化してほしい」

これは、私がずっと思っている願いだ。厳罰化すれば、多少なりともストッパーになると思うし。実際に刑がくだる時にも効果があるだろう。

ただし。

厳罰化をしても意味がない場面

も実際は多いわけで。それに関しては、早急に何かしらの法整備なりシステムなりが出来上がってほしい――と心から思っている。

意味がない場面とは、単純に

常識や注意や話が通じない人が絡む

という場面。

例えば、ストーカー被害を受けて相手に

接近禁止令

的なものが出たとして。相手がそれを素直に守る人かどうかは、人間性に委ねられている。「もう近づくな」で近づかなくなるケースもあるだろうけど、ぶっちゃけ

・結界が張ってあって一歩でも踏み入れると
高圧電流が流れて死んでしまう

・体に取り出せない何かを埋め込まれて
範囲内に入った時点で捕まる

のような仕組みでない限り、

おかまいなしで近づく人はいる

かもしれないし、実際に事件もあったと記憶している。

別の例えで言うと、また他の機会に語る予定の誹謗中傷(それに類するもの)に関してもそう。

批判と誹謗中傷やそれに類すると思われるものの線引きが明確じゃなくふわふわしているから、自分の中でいくらでも正当化や正義化ができる。

情報開示がやりやすくなったとはいえまだまだハードルは高い上にネット禁止や一切その人にアクセスできなくなる措置がとられるわけではないから、

おかまいなしで言い続ける人がいる

し、それによって悲しい出来事も実際多いと記憶している。

つまり、暴力に対してどんなに罪を重くしようと相手が身体的・状況的拘束を受けていない状態では安心ができない人も、少なからずいると思う。もちろん、拘束だけで安心できるとは限らない(次に語るけど)を前提として。

他の犯罪などでもそうだけど、手足の暴力や言葉の暴力とはそれほどに

「ふたたび」の怖さ

がまとわりつく行為でもあると思う。安心という単語が辞書から消えてしまうような。私はそこを強く強く強く訴えたい。

事実、いじめを十数年受け続けた私はいまだに「またいつかやられるんじゃないか」と恐怖を持ち続けているし。決して他人事ではない。

どんなに「もう大丈夫」と言われたって、

その保証も保障もないんだから。

「また暴力をしに来る」という恐怖

厳罰化は望んでいる。強く望んでいる。望んでいるけど、それでは効果を発揮しない場面も多いというのは、先ほど語った通り。

さらに突っ込んで言えば、いかに厳罰化をしようと恐らく殺人でない限りは

死刑にならない

というのが現状。

当たり前だと思うかもしれないけど、暴力を受けて恐怖を植え付けられた私個人としては

「いつか刑務所から出てくるんだ……」

がどうしてもどうしても先に立つ。

罪を償って更生するのも大事なプロセスだろうし、立ち直る機会を与えるのも重要だと頭では分かっている。十分すぎるほど分かっている。

でも、いつかは出てくる。

その事実が、人によってどれほど怖いものであるか。リアルに想像すれば難くないと思う。難くないであってほしい。

死刑にならず出てくるとしたら、可能性の話として

「また自分の前に現れるんじゃないか」
「怒って仕返しにくるんじゃないか」
「探して見つけられるんじゃないか」
「もっと酷い暴力を振るわれるんじゃないか」
「逆恨みして殺されるんじゃないか」
「やけになって道連れにされるんじゃないか」
「もっと酷い事を言われるんじゃないか」
「またのらりくらり言い逃げされるんじゃないか」

などが事が挙げられるわけで。これを、下手すると一生背負わなければいけないのだ。少なくとも私は、

この恐怖を一生背負う事になった。

背負いたくもないのに。こんなもの好きで背負うわけじゃないのに。無理矢理だ。強制的にだ。

助けを求めて逆恨みを買う恐怖

「助けを求めよう」
「訴えよう」

といったアドバイスは、たしかに正論だろう。それで解決する人もいるだろう。その上での話だけど、それが簡単にできない人だっているはずだ。現に私がそうだった――と、何度もしつこく言うけど、回りくどくて申し訳ないけど、この話は全て

あくまで私はの話なので。

私の言葉が回りくどい理由|エトナシ サラ|note

前章でも書いたように

「相手がまだこの世にいる」
「捕まってもどうせ出てくる」
「逆恨みを買うかもしれない」
「さらに酷くなるかもしれない」

これだけでも、警察に相談できない理由としては成立していた。できるはずがなかった。とても怖いから。

こちらがアクションを起こせば
アクションを起こし返される

という流れが容易に想像できたから。法律が禁止していようが、やけになった相手にはそんなものなんの効力もないのは、さんざ語った通り。

助けを求めて逆恨みを買う恐怖と戦うくらいなら、我慢して少しでも穏便に済ませたいと私は思っていたし、この考えはある種自然だと今でも思う。

まだ相手が生きている――この危険性から

一生守ってくれるならまだしも

そうでないシステムなのに、なんの寄り添いもなくただ「そんな事されてたなら警察へ行って訴えるべき」と言われるのは、私には響かなかった。

「大事(おおごと)にしないで」

とさえ思っていた。

大事にされるのが迷惑だった。それで注目を浴びて非難を浴びて逆上する相手が予想できたから、正義ぶって粒立てようとする人は私から見れば敵だった。

何度も言うけど、

一生守ってくれるわけでもなく、
その場だけ関わってきて、
その後は自力で頑張って生きてね。

というのは、たとえそれが現実だとしても、苦しい真っ只中にいる私にはあまりに無責任に感じてしまう。だから敵だった。

敵ではないと言うなら、完全隔離された安心して過ごせる街を作った後にしてほしい。それが無理なら、腹いっぱい寄り添って今の怖さを想像して言い方を考えてほしい――と思っていた。

いや、今も思っている。

刑務所から出てきた後に、報復として殺されそうになって身の危険を感じた時、一瞬で救ってくれるわけでもないのだから。

そういうわけで。「助けを求めよう」は、決して簡単ではないという事を、少しでも少しでも考えてくれたら私は嬉しい。想像してくれたらもっと嬉しい。

えらそうに聞こえたなら本当にごめんなさい。そういう意味合いはないと、あらためて最後に付け加えさせておいてください。

まとめ

今回は、もう少しだけ掘り下げて書こうと思っていた。

でも、書き始めたら少しメンタルがやられてきた。ONE PIECEで言うところの、アマゾンリリーにて奴隷だった過去を打ち明けるシーンで、サンダーソニアが「ああああああ」と発狂したような状態になってしまった。実際に取り乱すほどではないけど、心が少し暴れた。

あまり頻繁にこういうスイッチが入るほうではないけど、向き合うのも命がけだという事かもしれない。油断してはいけないな。

というわけで、掘り下げもそこそこにあえて無料公開となった次第。それでも結構自分なりに暴力の怖さをまとめられたと思うから、

何か感じるものがありますように。
無料以上の価値を感じられますように。

最後の最後になったけど、気づけば

190記事

を超えていた。

おめでとうエトナシさん。

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