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雑記

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#民主主義

主義から共義へ 資本主義と情報共義

ismという言葉、それには限らないが、近代的な外来概念を日本語に翻訳したとき、考え方、というような意味を主義として訳したが、主義とは主たる義でありいわば主観的価値観だと言える。主観的価値観をベースにして社会の考え方を定めるというあり方自体に大きな問題があり、とは言っても価値相対主義の観点からはどの価値観も主観的であり、では一体どのように社会についての考え方を定めるべきだろうか。

ismとcrac

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法治主義・正義・民主主義と新規事業との決定的な相性の悪さ

よく、資本主義のベースとしての法治主義や民主主義が言われるが、それは本当にビジネスと新和的なのだろうか?

価値観の押し付け?としての新規事業

社会にこれまでないような価値を提供する新規事業というのは、新たな社会的価値観の提示ということになる。それは、文字通りこれまでの社会的価値観とは違うということであり、それが既存の枠組みに照らし合わせて善であるのか悪であるのか、という判断は個別の正義意識に委

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社会観察の結果としての自我 ー 資本主義と民主主義の現状

夏目漱石が『草枕』でいうように、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」という具合に、社会において自我を通すのは難しい。この自我とはいったいどのようにイメージしたら良いのか。

自我のイメージ

「智に働けば角が立つ。」というのは、社会を戦略性、つまり合理的関係性に基づいて渡ることだと考えられるか。知恵を働かせてあちこち取り入るような行動をすれ

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代表制直接風民主主義によるデジタル意志決定の可能性

デジタル技術を用いた社会的意志決定への参画について、私は、主権在民のもとで民主主義を実現するには究極的には個別政策を直接その国、地域に住む人々が決めるのが望ましいと考えている。技術的にはそれは十分に可能な水準にあるとは思うが、地方自治の規模ならばともかく、国政規模となると、それは民主主義の形態で見た時に現状の代表制間接民主主義とはあまりにかけ離れているために、政治的には制度論を含めたかなりの大変革

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社会科学の非科学性とその飼い慣らし方

市場における自然価格については、社会科学的な分析が可能なのかもしれない、ということを書いた。それにはやはり条件があり、同一の財について複数の供給者がいて、市場が独占状態にならないことが必要になる。これが、社会を科学するのに非常に難しいところであり、物理学ならば、一定性質の複数の物質が所与で存在するということを前提とすることができるが、社会では人間の性質を固定するのが難しいために、その前提を打ち立て

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社会は科学しうるのか – 非科学性の権化 権力の魔力

自然科学においては、自然を観察した結果から帰納的にその理屈を導き出すが、社会科学においては逆に現状の観察から自らの理想像、あるいは意志のベクトルに向けて自然にたどり着くように演繹的に理屈を導きだすことなのではないだろうか。意志のベクトルと書いたが、実はこれが科学と呼べるのか否かの一つの大きな分岐点であるともいえそう。意志を押し付ける力、つまり権力を持ってしまえば、それを用いて社会をある程度自由にで

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民主主義を通じた資本の力の等身大化

マルクス批判から一転して資本主義を見てみる。

資本の力が強くなり過ぎている、という感覚は持っており、それはマルクス的な資本蓄積理論もさることながら、個人的には資本による他資本の支配というところに起因しているのではないかと感じている。会計的には他社株は資本の部に計上され、労働を迂回して配当だけが利益として計上される。これについては、労働がそのシェアを求めることができるか、と言えば、理論的には営業利

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代表制間接民主主義の限界

独裁対民主の構図が作られる中、民主主義は理想的として語られがちであるが、私の目から見れば、少なくとも代表制の間接民主主義には、様々な点で限界が見られるようになっていると感じる。それについて論じてみたい。

まず、民主主義というのは対話によって成り立つのが理想ではないかと感じるが、代表制の間接民主主義、特に顕著なのは小選挙区制度であるが、一つの選挙区から一人しか代表が選ばれないとなると、候補者同士の

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常設委員会制度による行政”民営化”案

いま、世界の憲法の歴史について少し調べていたら、ドイツ帝国において、帝国衆議院が常設委員会を持ち、それによって行政を行う(そこまで書いてあるかはしっかり読み込んでいないのでわからない)というようなことが出ていた。これはたいへん面白そうな仕組だ、と思い、そこから発展させた考えを少しまとめてみた。

常設の委員会の制度は、国政でも、地方自治制度でも採られているところが多いのではないかと思うし、もっと言

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地方分権への道筋案

中央集権的な体制の限界というのは見えてきていると思うのだが、かといって、それを変えるような具体的な動きを起こせるか、といっても、地方は百人百様、なかなか一つの具体的な制度設計をするのは難しい。かといって地方分権を中央集権で行う、というのは本末転倒だし、地方に任せるといっても、それは都道府県の枠組みに強く縛られることになってしまい、具体的に地方分権への道筋を描こうとしても一筋縄ではいかない。

そこ

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河野談話の悪質性

後十日もすると、かの悪質な河野談話が発表されてから29年目を迎える。そして、その日は、そこから派生したとも解釈できる慰安婦支援の財団への10億円支出を主導した当時の岸田外務大臣が総理を務めて初めての河野談話総括の機会であるともいえる。

果たして、財団へ支出した10億円というのが、河野談話の指摘するように国の強制制を認めたが故に、その謝罪の意味を込めて出したものなのか。そんな解釈を許すのは、岸田総

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法治主義の欺瞞

法治主義、特に実定法は、法律に書かれた権利に基づいて社会が運営されることになる。それは、そもそも人間が持っているべき権利を、法律の名の下に制限するものであり、決して自由をもたらすものではない。

例として、日本国憲法と国民との関係を見てみる。日本国憲法では法の下の平等を定めている。一方で、その法を変えるための手続きは、国会各議院での2/3以上の発議の下で国民投票にかけられることになる。その時点で一

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民主主義の危機

どこかで書く、と書いた民主主義の危機について書いておきたい。

現在の民主主義の基本は、選挙で選ばれた代表が民意を代表して意思決定を行う、というものであるといえる。しかしながら、その意思決定が民意を代表しているかどうか、などというのは直接確認のしようもなく、”民意”なるものが実際に行使できるのは、選挙によって、選択肢がなんであれ、消極的選択として他の候補者に投票して反対の意を表明する、という非常に

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情報の絶対的不完全性

昨日書いた日銀の金融緩和について、中日新聞によると指値オペは3年半ぶりとのこと。別に新たな手法などとどこにも書いてあったわけでもないので良いのだが、情報は常に解釈と共にあるということで、その意味で発した情報が完全にそのまま他者に伝わるということは基本的にはないのだろう、ということを感じた。

特に新聞などが、行間を読ませる、ということを一つの編集テクニックにして、それによって全体構造の中での記事の

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