#民主主義
代表制直接風民主主義によるデジタル意志決定の可能性
デジタル技術を用いた社会的意志決定への参画について、私は、主権在民のもとで民主主義を実現するには究極的には個別政策を直接その国、地域に住む人々が決めるのが望ましいと考えている。技術的にはそれは十分に可能な水準にあるとは思うが、地方自治の規模ならばともかく、国政規模となると、それは民主主義の形態で見た時に現状の代表制間接民主主義とはあまりにかけ離れているために、政治的には制度論を含めたかなりの大変革
もっとみる民主主義を通じた資本の力の等身大化
マルクス批判から一転して資本主義を見てみる。
資本の力が強くなり過ぎている、という感覚は持っており、それはマルクス的な資本蓄積理論もさることながら、個人的には資本による他資本の支配というところに起因しているのではないかと感じている。会計的には他社株は資本の部に計上され、労働を迂回して配当だけが利益として計上される。これについては、労働がそのシェアを求めることができるか、と言えば、理論的には営業利
代表制間接民主主義の限界
独裁対民主の構図が作られる中、民主主義は理想的として語られがちであるが、私の目から見れば、少なくとも代表制の間接民主主義には、様々な点で限界が見られるようになっていると感じる。それについて論じてみたい。
まず、民主主義というのは対話によって成り立つのが理想ではないかと感じるが、代表制の間接民主主義、特に顕著なのは小選挙区制度であるが、一つの選挙区から一人しか代表が選ばれないとなると、候補者同士の
情報の絶対的不完全性
昨日書いた日銀の金融緩和について、中日新聞によると指値オペは3年半ぶりとのこと。別に新たな手法などとどこにも書いてあったわけでもないので良いのだが、情報は常に解釈と共にあるということで、その意味で発した情報が完全にそのまま他者に伝わるということは基本的にはないのだろう、ということを感じた。
特に新聞などが、行間を読ませる、ということを一つの編集テクニックにして、それによって全体構造の中での記事の