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正解は食器

長崎・佐賀・福岡 (および大分) に行っていた。
長崎は前に行ったときに 「福砂屋本店の近くに泊まっておきながら、カステラ全然買わなかった!」 となったので、リトライすべく飛んでみた。

前に有田に行ったときに、「有田焼ってステキ😆」 と思ったので (思いながらも買って帰ったのは波佐見焼だったと後に知った)、有田焼を買うつもりだった。

私は旅先で食器を買うのが好きなのだ。
先日沖縄旅行の限られた時間の中で、やちむん (焼き物) を物色して買って帰ったら、これがかなり満足度の高い買い物だった。

絵の具皿みたいな発色の綺麗なお皿を 3 枚 (本当はもっと欲しかった) 買って帰ったのだが、トーストを載せるたび 「いい!🥺」 と、『天空の城ラピュタ』でシータにアプローチする船員みたいになっている。


そうしたら九州は焼き物の宝庫であった。
有名どころでは有田・伊万里が筆頭かもしれないが、前述の波佐見にくわえ、唐津・小鹿田・小石原などなど、焼き物好きには垂涎のエリアとなっている。


「小鹿田焼の里」 へは、主に 3 つの道路からアクセス可能となっていたのだが、2024 年 3 月時点では左と下からは通行止になっているため、右側の日田市街側からしかアクセスできなかった。
Google Maps でもナビでもそれが表示されていなかったので、大変な目に遭った。

というわけで行く方は日田市街からアクセスするよう気をつけられたし。


この近くに 「鹿鳴庵」 という、「センスの塊」 とでも言うべきステキなセレクト ショップがある。


過去にはカフェ業も運営されていたようだが、私たちが行ったときはやっていなかったようだ。
ご主人と奥様が素敵な方で親切にこちらの相談に乗ってくださり、色々なお話も伺った。

お店には 「これが家にあったら生活全然違うよね」 という洋風 & 和風の茶室があり、あの高級列車 「ななつぼし」 のツアーでこちらに立ち寄ると聞いてなるほどと思った。

小鹿田焼の里まで行くのは大変であったが、ここでお茶が飲めるのならば行くだけの価値はある。
日田市街からは大して遠くないのだけれど、福岡側からのアクセスは大変であった。


小鹿田焼は個人の銘を打たないらしい。「みんなの財産」 と考えているようだ。とても謙虚で平和的な考えだと思う。



唐津では 「今岳窯」 というお店に立ち寄った。
体験はしなかったのだけれど、非常に評価の高いお店で気になったのだ。


朝イチ伺ったせいか、店主の藻風さんがいらっしゃり、焼き物と半生を話してくださった。

とにかく九州じゅうの土地を歩き回り、いい土を探したのだそうだ。
そして大金をはたいてギリシャ旅行に行った際にホームシックにかかり、その時に見た朝焼けを表現した作品が大英博物館のキュレーター (?) の目に留まり、「これください」 と言われて寄付したそうだ。
(「売ってください」 ではなかったとのこと😁)

前情報を仕入れずに入店してしまったのでそんなエピソードに驚愕した。え、じゃあ 10 年近く前に行った大英博物館でこの方の作品を見たことがあるかもしれないってこと?

これ結構、大英博物館行った人なら驚くのではないだろうか。
だって何の情報もなく入った窯元の店主の作品が大英博物館にあるって言ったら驚く。九州大学に飾ってあるとか言われたら、もちろん凄いなと思うけれどもそこまで驚きはしない。
東京国立博物館でも 「凄いなー!」 と思うけれど、大英博物館は驚愕だ。



↑ 写真はないけれど、本当に大英博物館に収蔵されている。


確かにこんな色の釉薬は見たことがないように思う。九州じゅう探し回ったからこそ、この方にしか出せない色を出せたのだ。

また、「さすがは陶芸家」 と思ったエピソードが、洪水 (?) によって多くの作品が割れてしまったのだそうだ。涙がボロボロこぼれて片付けていたが、家に流れ込んだ泥がとても綺麗だったので 「負けるか!」 と思って作った作品がまた評価されたとおっしゃっていた。

ちょっとエジソンの 「こんな火事は滅多に見られないから見に来なさい」 というエピソードを思い出した。
転んでもタダでは起きないというか、災い転じて福となすというか。


「天才とは 1% のひらめきと 99% の努力」 はエジソンの言葉だったのか!

実はこの陶芸家の藻風さんも 「自分がこのような評価を受けられたのは努力したから」 とおっしゃっていた。
私からしたら、努力したら誰でもエジソンや藻風さんのようになれるとは到底思われない。しかし、誰にでもできない偉業を成し遂げる人こそ、自分の才能を過信せず、努力を積み重ねて人が行けないところまで行くのだなぁと思った瞬間であった。

(ご子息も併せて) 相当な賞を受賞されている方だが、HP にもそのような経歴はアピールされておらず、とても気さくな窯元さんだ。
Google Maps に投稿されている、体験した方の作品の写真も良さそうだったので (先生が良いせいもあるのだろう)、時間があれば私もやってみたかった。
滅多に体験は申し込まないけれど、こちらは魅力的に映ったのだ。


帰り際には奥様とご子息 (長男の方かな?) がいらして、おふたりとも大変親切で道案内も詳しく教えてくださった。
私がどうしても 「このお寿司屋さんに行きたい!」 と、予約を入れてしまっていたため、あえなく 1 時間ほどで退店してしまったが、今度は焼き物体験してみたい。

お寿司屋さんのお寿司もおいしかったし、途中で寄った棚田も美しかったので満足だけれど、少し悔いが残った。


なんだか色々なところを回ったのでどれがどれか覚えていないのだけれど、全部で 20 点ほど買ったらしい。
もう開き直って買うことにしたので、送ってもらったものも含めてかなり好き放題買った。
新入社員や大学生が来月から一人暮し始められるくらい買った。

私は揃いで食器を買うことはほぼないので、大した量にも金額にもならない (と思っている)。

多分お土産も併せて食器に 4 万くらい遣ったが、食器って記憶にある限り割ったことがないし (パートナーにはすごく昔にガラスのティーカップを割られてしまったことがある)、毎日 & 長く使えるので、お金のかけどころとしては大正解なんじゃないのかと思う。
山道具よりも断然安い😄😄


来月はタイに行くので、これまたセラドンを買いたいなーと思っている。すでに何枚か購入済みだが、タイのセラドンの色は美しくて大好きだ。
チェンマイのサイアム・セラドンには前に行ったけれども、今回はバンコク界隈なのでバンコクで探すしかない。チャトゥチャック マーケットでもかなり売っていたような気がする🤩🤩

あとタイで売られている象グッズがかわいくて結構買ってしまう。自分が象を好きだと思ったことは 1 度もなかったのだけれど、売られているグッズはめちゃくちゃかわいいのだ。

先日も川越で子供用の象のお茶碗 (波佐見焼らしい) がとてもかわいかったので、小さかったけど買ってしまった。
波佐見焼は軽い上にモダンな柄がたくさんあって、値段も手頃なものが多いので入手しやすいし、普段使いに良い。


私は海外旅行の自分用のお土産もほぼ食器なので、エアパッキンやら PPT テープやら、行きのスーツケースにたっぷり入れておく。

特にヨーロッパ圏ではチャリティー ショップで素敵なお皿を数百円で買って帰るのがひとつの楽しみだ。
アンティークで有名な街に行けば色々あるけれども、値段は当然高くなる。
チャリティー ショップは慈善団体が運営しているのでとても安い。その中で掘り出し物を見つけるのが楽しいのだ。

デンビーというイギリスの老舗メーカーの食器が好きなのだけれど、大衆向けなのでチャリティー ショップでもかなり見かけるし、手頃な価格のものが多い。

↑ 日本でも買えるけれど、イギリスではもっと安い。


Royal Worcester (ロイヤル ウースター) のお皿もちょいちょい見かけた。フルーツのシリーズが美しいので、何点か買ってしまった。
デンビーより高級品だと思うが、これもチャリティー ショップだと大して変らない価格で買える。


Royal Doulton (ロイヤル ドルトン) もたまに見かけただろうか。


ウェッジウッドはほとんど見ない😅 みんな手放さないのかなあ。


日本で売られているマグカップは小さめなので、私はデンビーまたは Royal Doulton のマグカップで毎日紅茶を飲んでいる。300ml は優に入るのでたっぷり飲めて良い。

どーっしても欲しくて Royal Doulton の Fable コレクションと London Calling は頑張って持って帰ったのだ。Fable はお皿も買ったし、友達のお土産にもした。
が、日本でも売られていたらしい😁

デンビーのマグも、どのシリーズにするか相当悩んだ。どれも捨てがたかったからだ。Azure か、Imperial Blue か、Halo か、Linen か、Heritage Orchard か、Heritage Terrace か……。
こんなに悩む選択肢ある? ってくらい、何もかも色がツボって散々悩んだ。

そして Heritage Terrace を購入した。10 年近く経つ今でも、毎日のように使っているし、飽きない。
内側のブルーが美しいし、外側の生成色が温かみを感じる。


私の部屋に飾っている、貝で作られた絵画はどこかの素人の人が作ったものだと思うけれども、友人の家の近くのセカンドハンド ショップで見つけてとても素敵だったので 30 ポンド (当時 4,500 円程度) で買ってきた。

木製 & ガラス張りの額縁 & ケースまでついていたので、預入のスーツケースに入れるのはとても不安だったけれど、めちゃくちゃ頑丈に梱包して持って帰ったので、なんとか貝数枚が破損するだけで済んだ。

フランスのグラタン皿も確か 2 ポンド? 4 ポンド? 「こんなに美しいものが 2 ポンドで!?」 と、信じられない気持ちで買って帰ってしまった。
めちゃくちゃ大きいし重いので、使う用途がないのだけれど。
グラタン焼いたら大量にできてしまって、グラタン皿としてはちょっとよろしくない。 
とりあえず紅茶や美しいお菓子の缶などを中に入れて飾っている。


そんな感じで食器を増やしているので、食器棚が増えつつあるのだ。
また今日も Amazon で 1 つ注文してしまった。




ハンドメイドをお休みして 1 年半が経ちそうだ。

ものづくり全般好きなので、やっている間はとても楽しかった。

しかし、コロナ禍で旅行がままならないということで始めたため、旅行ができるようになったらハンドメイドにあまり時間が取れなくなった。

平日はフルタイムで働いていて、売れるのは大変嬉しいしありがたいのだけれど、土日は梱包 & 発送で終ることも多々あった。

作りたい気持ちはあるけれど 「作らなきゃ」 みたいな気持ちもあって、私は今までに体験したことや見たり聞いたりしたものをものづくりに落とし込んでいたため、アイデアを一時的に使い果たしたとも言える。

しおりの題材になるものを、しおりから持ってきたくはないのだ。全然違うところから持ってきたい。
たとえばそれはこんにゃく作りからかもしれないし、煙のような手につかめないものかもしれない。
または壮大な物語からの空想によって生まれるなど。

今まで自分が作ったもので 「これはよくできた!」 と思えるものは 3 種類くらいしかない。
また、そういうものと 「商品」 としての価値というのは一致しない。
私は副職レベルなので、やるもやらないも選べるのだ。


作るからには 「世の中にないものを作らないと意味がない」 と思っている。似たようなもの、ありそうなものを作り上げてもそこに価値はないのだ。
それならほかの誰かが作ればいい。私がわざわざ出ていかなくても、誰かが作るのだからそれで世の中には供給されるのだ。

「こんなのあったらいいな」 から商品づくりが始まって、できあがって 「あぁよかった! 想像していたものを形にすることができた!」 と思えるときは本当に達成感で満たされるのだけれど、アイデアだけあってそれが技術的・素材的にうまくいかなかったり限界を感じるときはやはり悲しいしやるせない気持ちになる。

さんざん試してダメ、ということはあるのだ。

世の中に存在しているものを作ることはおそらくそんなに難しくない。成功例があるからだ。
しかし 「ないもの」 を作ろうとするなら、失敗の轍も自分で作ることになる。


また、「ものづくりの業」 というものも感じている。
私が作っているものは、地球にやさしくないものも含んでいる。
制作は、梱包は、配送方法は……。
もちろん、そこまでエコエコ生活を推進しているわけではないのだが、「つくり手側のエゴなのでは……」 と悩んでしまうこともある。

私のパートナーは本職がファッション関係のデザイナーである。
だから 「職業としてのものづくり」 としては彼の方が断然精通しているし、やはり彼も 「ものづくりの業」 のようなものには疑問を覚えることもあると言っていた。


私はしおり屋をやっていたわけだが、なるほどしおりは何年も使えるだろう。特に流行などもなく、好きなものを使えばいいだけの話だ。
フィルム タイプのものも作成していたので、紙タイプのものよりも永く使えるだろう。

しかし、「印刷し損じ」 や 「印刷の余白」 の部分は捨てることになる。
私が何も作らなければ、ゴミなど出ないのだ。

「余白の部分」 を捨てるのが嫌で、ギリギリまで印刷してそれをサンキュー タグに使う (さらにサンキュー タグはしおりになる) ことで、ゴミが出ることへの言い訳のような、少しでもゴミを出さないような策は講じてみたけれど、それでもそのタグばかり溜まっていくのだ。

食器はお金をかけるにも正解だけれど、製作物としても正解なのではないかと思った。
土より出でて、土に還る。
誰かの手に渡ったのなら、長く使ってもらえる。しかも毎日だ。

まさか今から陶芸家を目指そうとは思っていないけれど。


また、パートナーの仕事を知って驚いたけれど、実際のデザイナーの世界って 「パクリパクられ」 なのである。

各ブランドがハイブランドのデザインをパクってきて、「それっぽい」 のを作るのである。なんなら 「エル〇スの~」 とか言ってしまう。

なんというか、ものづくり好きな人って 「ほかの人とは違うもの」 を生み出すことに喜びとか意味を見出すと思っていたので驚いた。

「(世の中に) ないものを作りたい」 のではないのか…… と。

ファッションのデザインとはまた違うのだけれど、↓ の話が非常に興味深かったので転載してみる。


↑ この方の落胆はよく分るし、ビジネスとして求められていることがこの方のやりたいこととは乖離があるという構造も分る。
「やりたいもの・こと」 を提供するのではなくて、「ほしいもの」 を提供するのがビジネスなのだ。

「やりたいこと・もの」 と 「ほしいもの」 がうまく合致していたらハッピーだけれど、常にそういうわけにもいかないだろう。


学生時代、講師に 「デザイナーになりないのかアーティストになりたいのかよく考えろ」 と言われていたのを思い出す。

  • デザイナーはとにかく 「納期」 が命。自分が納得していなくても 「70 点」 でも仕上げることが大事。クライアントの意向も汲む必要があるが、その分給与は担保される

  • アーティストなら納期にも製作にも縛りがない。好きなものを好きなように作ればいい。しかし食っていけるかどうかは分らない

当時から私は 「デザイナーには向いていないだろう」 と思っていた。
デザインとは全く関係のない仕事に就いたが、今でも自分のする仕事が違うようにされるとかなりイラついてしまうし、「そうじゃない」 というのを伝えてしまうときもある。
悪い意味でプライドが高いのだろうと思うが、「なんでわざわざ悪くするのよ?」 と思うと結構イライラするし、ガマンするとこれもまた結構ストレスになる。

デザイナーに向いてはいないが、アーティストになれる自信もない。結局 「やりたい & できる仕事」 を選んで今の職業に就いた。

これは大正解だったと思っている。
実際は大した仕事内容ではないのだけれど、「対応できる人が (今の会社に) いない」 ため、「こんな仕事で給料くれるの?」 と思って勤務してきた。

しかし、その勤務が今ちょっとままならないのである。
なぜか (ってこともないのだけれど) めちゃくちゃ苦痛に感じる日々が増えた。

年末から (本当はもっと前から) ずーっと悩んできて、冬季うつ的なところもあって (今年の冬長い🥺) 調子が良くなかった。

「やりたくない仕事」 を請け負っているからである。本職とはまったく関係ない仕事を 「(周りの人より) できるから」 といってずーっと請け負ってしまったけれど、それが私を蝕み続けた。

それが飽和しただけとも言える。


何がしたいのか、心地よく感じることは何だったのかすら最近ちょっと分らなくなる中で、小鹿田焼の銘を打たない話や、藻風さんの 「努力」 という話は大変考えさせるものがあった。

今日、仕事のことでメンタル トレーナーというか産業カウンセラーの人と話をするので、事態が好転するといいなぁ。
ちょっと何でもうまくやろうとして常に脳みそフル回転で、そんな自分が嫌になったりするときもあるんだけれども、そういう自分が未来である今の自分を助けてもいるわけで。

自分は自分 (の特性) をやめられない。


ものづくりは大好きだけれど、ハンドメイド品販売が好きかは分らない。
人を喜ばせるのも大好きだけれど、フルタイム勤務の中では待たせてしまう時間が長くて、45 分しかない昼休みの中で毎日のように発送に行っていたときは待たせずに済んだ。

しかし時間は確実に削られてしまう。
発送に 1 回 15 分かかるとしたら、5 日で 1 時間 15 分なのだ。発送を週 1 にすればその時間は梱包に充てられることになる。

でも実は 「人を待たせる」 ということが大嫌いだったりする😁
いつ売れるか分らないシステムでは、なかなか時間のやりくりが難しい。

あぁ、仕事でもプライベートでもやることが山積みだ。
休んでいたからその分色々と溜まるのである。
「我慢できない我慢」 はいつしか必ず澱になる。

せめて素敵うつわで飲食したい。


私が買った器を見ると、どうもアイボリー ~ ブルーにかけた色味のものを好んで購入しているようである。

特に ↓ みたいな色の焼き物も好きだ。

「澱青釉」 という字に 「澱」 と入っているのが面白い。


果たして、澱とは人を苦しめるものなのか、深みを加えるものなのか。


私ももっと藻風さんの言う 「努力」 が必要かもしれない。

あの方はきっと 「これだ!」 と自分が納得するものに出会うまで、妥協しなかったのだ。

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