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人々は生きる意味の無さに気づき始める?

安楽死はもはやメジャーな死に方


安楽死が合法化されている国では、毎年大量の人々が安楽死によってこの世を旅立っていく。

例えばカナダは年間約一万人。
これは全体の死亡者のうち約3%の数字だ。

例えばオランダでは年間約8700人。
これは全体の死亡者のうち5%。

数値としては決して少なくない数値であり、安楽死で死ぬことは一般的になってきてるとも言える。

予備軍を入れると恐らく8~10%程度は安楽死を望んでいる計算になるのではないだろうか。

日本でも毎年推定2万人が自殺を選び、予備軍や未遂者、事故死とカウントされている自殺を含めたら10万人以上はいてもおかしくないと思う。

日本人はアメリカ・欧米人を陽気な人種だという偏見を抱いていることが多いが、アメリカでも高い自殺率は実は結構問題となっている。

私は思う。

人々は生きる意味の無さに気づき始めているんじゃないか?


そして少子高齢化問題。
少子高齢化は日本だけでなく、ヨーロッパや東南アジアでも深刻な問題となっている。

少子化には勿論経済的な理由もあるだろうが、大きな理由の一つにも生きる意味の無価値さに気づき始めているから、ではないだろうか。

頼んでもいないのに勝手に産み出され、どの国に・誰の元に産まれるかで大きな差がつき、厳しい競争に参加させられ、容赦なく搾取されるこの世界を楽園と思える人間は、おそらく搾取する側に立っている人間だ。

この一部の勝者と多数の敗者で構成される世界に、子供を生み落とすことは幸福なのか?
それって意味があることなのか?
多くの人達がこの疑問にぶち当たっているのかもしれない。

少なからず私はそうだ。
仮に結婚はしたとしても、子供は絶対に産まない。

虚無の世界に、自分の可愛い子供を産み落としたくなどない。

ベルギーで行われた安楽死

安楽死について詳しい人はご存じかもしれないが、ベルギーでとある理由により安楽死が実行された。
その理由は娘を失った悲しみに耐えきれないとのこと。

安楽死が合法化されている国では、間違いなくその条件は年々緩くなっている。
「治る見込みがなく、耐えがたい苦痛が伴う」ことが条件ではあったが、これに精神的苦痛も条件に入るようになった。

発達障害や貧困、はたまたHSPなども、治る見込みがなく耐えがたい苦痛と言えば、無理矢理定義に当てはめることは不可能ではないかもしれない。

死はもっと、身近なものになっていくのだろうか?

死は幸福への一つの選択肢

私は声を大にして言いたい。

死は生を上回る幸福である時もあると。

勿論全員ではない。だが、死による幸福を望む者も決して少なくない数で存在するということがもっと知られて欲しい。

死を否定してないで欲しい。
生を神格化しないで欲しい。










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