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YESマンが気づいたNOの必要性

自分は結構イエスマンだと思う。

実際に映画のイエスマンを観て3日間真似したこともある。

その結果台湾のビジネス研修と中国に行くことになった。

その日に飛行機を予約して後からトビタテの研修が入って緊急帰国することになって飛行機を取り直したりもした。(ほんとバカ)

そしてお金が足りなくなって借金もした。

ベトナムでも最初の月は遊びの誘いには全部行くようにしてたし
そうしたら知らない人たちと山でキャンプしたり友達もかなり増えた。

危ない目にもまあまああったけど。

そんな後先考えないイエスマンだった僕がNOの重要性に気づいたのは
やはりインドだった。

キッカケは命の危機を感じたこと。

インドでも最初はイエスマンで色々な経験をしようとしてた。

だけどそうはいかなかった。

身体の不自由な物乞いに小銭をあげたら足りないと追いかけられた。

急いでいるから先入れてと順番を譲ってあげたら10人ぐらいに抜かされた。

段々と違和感を覚えてくる。

乗ったトゥクトゥクで知り合いの店連れてってあげると言われ店に入ると奥に連れていかれ買わないとやばいぞと脅される。

俺の意見良いと思うよねと言われ同意したら
こいつが言ったと全責任を押し付けられた。

話のネタには困らないほどたくさんの経験をした。

だけど決め手は違うこと。

デリーには物乞いがたくさんいるが、その中に赤ちゃんを抱えてお金をせびるタイプの物乞いがいる。

炎天下の中、ボロボロの服を着た何日もご飯食べてないような母親に抱かれ
連れまわされる。

どうしようもないんだと死んだような目でこっちを見てくる。

車の窓越しに目が合えば引き込まれそうになるような目をしている。

多くの人がかわいそう。

こう思うだろう。

僕も最初はそうだった。

同じ人間なのに。世界って全然平等じゃないって同情した。

それでも平等だと言っていいのは僕ではなく窓の向こうの人だ。

だけど世界はもっとずっとドス黒い。

実母でもなければ実の子でもない。

赤ちゃんはどっかから誘拐されてきた子で炎天下と空気で
2週間ほどで死んでしまうらしい。

いわばビジネスのための誘拐。
ビジネスのための死。

裏には悪の組織がいることだってたくさんある。

今は少なくなったらしいがまだまだいる。

無くならないのはお金をあげてしまう人がいるから。

その人は同情や慈善、思いやりのつもりでお金をあげたかもしれないが
回りまわって犯罪を助長している。

ただインドには実際に困っている人がたくさんいるのも事実。

慈善団体やNPOに寄付しても実際にそういった人たちに
お金が届かないことだってたくさんある。

実際にインド人に募金はするな役人にいくだけだから
と注意を受けたこともある。

そんな判断力がない未熟な自分が自己満な同情で
YESと判断する危険さに気づいた時初めてNOの重要性に気づいた。


インド人は物乞いが
インドのイメージになっているのが悲しいとも言っていた。


僕らには知らなければならないことがたくさんある。

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