「やりたいことしかやらない=ワガママ」ではない、みんな本当はやりたいことしかやっていない

 そんなことない!と思われるかもしれない。でもみんなやりたいことしかやってないのは、本当だ。「"心"が本当にやりたいこと」を"頭"が正確に認識していないと、そこにギャップが生まれているだけ。

「"心"が本当にやりたいこと」を"頭"が正確に認識する

 例えば、ランチをしようと思ったとする。"頭"の中では視界に入っている牛丼屋ではなく、10分歩いた先のお店に行きたいと思っているとする。

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 "10分先のお店"を選んだ場合、やりたいことしかやってないわけで、ワガママでもない。自分の"心"に正直な"行動"である。

 では、"10分先のお店"ではない選択肢を選んだ場合、やりたいことがやれなかったのか。実はこの場合でも、やりたいことしかやってない。"10分先のお店"より優先順位が高い事があることを"頭"が認識していないだけだ。

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牛丼にした場合、その「理由」と本当の"心"が望んでいたことは、
「歩くのが面倒だったから」→ 便利さ>食べたいもの
「牛丼の方が食べたかった」→ 牛丼 > "10分先のお店"
「牛丼の方が安い」→ お金 > 食べたいもの
「時間がなかったから」→ 他に時間を割きたい事 > 食事
「連れが牛丼がいいと言った」→ 連れとの関係性 > 自分の主張を通すこと

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牛丼でも"10分先のお店"でもない場合、
「食べない、お金がかかる」→ お金 > 外食
「手前のコンビニにした」→ 手軽さ、コンビニで売っている物 > 他のお店
「飲み物だけでいい」→ 飲み物だけにすることのメリット > 食事をする
「一人で入れない」→ 人に見られたくない気持ち > 食事をする


便利さお金 、他に時間を割きたい事 、連れとの関係性、人に見られたくない気持ちとかが食事内容より大事であって何が悪い、何も恥ずべきことはない。それが自分にとって大事なのだから、それを"頭"が正確に認識していればいいだけ。


「やりたいことしからやらない=ワガママ」ではない

「自分の"心"を正確に把握し、それを実行する」=「やりたいことしかやらない」はワガママになるのか。

そもそもワガママとは、

自分の都合を中心に物事を考え、行動するさま。他人の都合を顧みないさま。「我儘」「我が侭」とも書く。

鎖で繋がれているとかでなければ、ほぼ全ての人類は自分の都合を中心に物事を考え、行動していると思う。理由は上記のランチのようなことで、結局自分のやりたいことを優先し続けているからだ。

ワガママの定義からすると、人類はみなワガママである。

しかし、人類皆が持っている特性をわざわざ説明して咎める必要あるのかな。「あいつワガママだよな」とは言われても、「あいつ寝るんだぜ」「あいつ食べるんだよな」とかは言われない。

 「他人の都合を顧みないさま」というのは個人によって程度が違うだろうが、やりたいことをしかやらないのはワガママでも何でもなくて、食事や睡眠ぐらい当たり前で、全員やっていること


みんな本当はやりたいことしかやっていない

 いやランチはそうだとしても、仕事だったら、人との付き合いだったら状況は全然違います!という意見も出てくるだろう。実際はランチと何も違わない。なぜランチとは違うと思うのか?

やりたくない仕事をやらされている、文句を言えない、文句を言っても意味がないから甘んじているだけ、相手と会話にならない、言ったら嫌われるかも、揉め事を起こしたくない、目をつけられたくない、、、

 耐えきれない空腹だったら、何か食べ物を探しにいくだろう。それと同じで、現在の状況に耐えきれなければ、何かしらの行動を起こすだろう。

 それをやらないというのは、議論する、打開策を用意する、見切りをつけて他に行くという労力より、現状維持の方が自分にとって大事ということだ。「現状維持が最も"心"が望んでいること」と"頭"が認識していれば、"やらされている"という発想にはならない。自分は"現状維持"を"選択している"となる。繰り返すと、「現状維持を選んで実行していること」は「本当にやりたいこと」しかやっていない。


どうやって自分の本当の"心"を知るか

"行動"は正直である。特に、無意識な行動というのは心に正直である。"行動"="心"である。したがって、自分がなぜその"行動"を取ったかを振り返ると、自ずと"心"の優先順位がわかる

"心""頭(認識)""行動"の3つがある。

"心""頭""行動"が全部一致していれば、「やりたいことをやっている」という自覚がある

"頭"≠"行動"だった場合、やらされてる感がでる。でもこれは、"心"="行動"で、"頭"が本当の"心"を正しく理解していないだけである("心"="行動"≠"頭")。


"心"に正直に生きるメリット

"心"がやりたくないことをやらされているという感覚も不満も存在しない、選択しなかったことに対する言い訳、自分のやりたいことをやっている・やろうとしている人への嫉妬心も発生しない。


まとめ

本当は、自分が全て選んで決めて生きている。それをどれだけ自覚しているかは人に依るだけで。



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