tetsujin
西洋哲学史の流れを背景にして、近代日本の西洋文明の受容のあり方を考えます。 毎月、第2、第4土曜日に記事を公開する予定。
人間生活と暴力のかかわりについて論じています。発達心理学、霊長類学、行動経済学、進化生物学、文化人類学的戦争研究、それから、映画批評、美術批評などの異なる分野を横断して、なぜ私たち現代日本語人は自信をもって〝正しい暴力〟をふるうことができないのか、を考えています。
5.近代(modern)と脱近代(postmodern) 5.2 観念説(続き) はじめに 1514. 前回は、デカルトの第一の神の存在証明の論理を紹介しました。これは、考える私の心…
5.近代(modern)と脱近代(postmodern) 5.2 観念説(続き) はじめに 1466. 前回はデカルトの神の存在証明が、真理をめぐる論争の公正な審判者を立てるはたらき…
5.近代(modern)と脱近代(postmodern) 5.2 観念説(続き) はじめに 1429. 前回までに、デカルトの神の存在証明について、基本的なことを三つ確認しました。第…
5.近代(modern)と脱近代(postmodern) 5.2 観念説(続き) はじめに 1391. 前回(番外編2の33)は、観念の表現的実在性というデカルトの独特の考え方につい…
5.近代(modern)と脱近代(postmodern) 5.2 観念説(続き) はじめに 1316. 前回(番外編2の32、2024年3月9日公開)は、デカルト『省察』の神の第一の存在証…
5.近代(modern)と脱近代(postmodern) 5.2 観念説(続き) はじめに 1271. 今回は、デカルトが『省察』の「省察三」で展開した神の第一の存在証明の前半にあた…
5.近代(modern)と脱近代(postmodern) 5.2 観念説(続き) 1244. 前回、本居宣長の「物のあわれを知ること」の認識論を検討して見いだしたことは、宣長は懐疑論…
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き) 4.5 愛の思想と日本語人(続き) 4.5.3 物のあわれの説と西洋における愛の思想の相違点(続き) はじめに 1205. 前…
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き) 4.5 愛の思想と日本語人 4.5.2 本居宣長と西洋思想を対比するために 1162. 今回と次回の2回にわたって、本居宣長…
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き) 4.5 愛の思想と日本語人 はじめに 1113. 愛について、思いのほか長くこのブログで考えてきました。振り返ると、「番…
5. 近代(modern)と脱近代(postmodern) 5.2 観念説(続き) 前回への補足 1072. 前回の記事の後半から、初期近代(early modern)の西洋哲学史を扱っています…
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き) 4.4 愛の思想について 4.4.3. エロース、ピリアー、アガペー 4.4.3.3. アガペー(愛)について 個人と愛、近代と脱近…
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き) 4.4 愛の思想について 4.4.3. エロース、ピリアー、アガペー 4.4.3.3 アガペー(愛)について 前回への補足 1013. …
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き) 4.4 愛の思想について 4.4.3. エロース、ピリアー、アガペー 4.4.3.3 アガペー(愛)について 愛と自由について 969…
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)4 4.4 愛の思想について 4.4.3. エロース、ピリアー、アガペー 4.4.3.3 アガペー(愛)について 方針の変更 909 キ…
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)4.4 愛の思想について 4.4.3. エロース、ピリアー、アガペー 4.4.3.3 アガペー(愛)について アガペーの四つの特徴 88…
2024年6月8日 11:43
5.近代(modern)と脱近代(postmodern)5.2 観念説(続き)はじめに1514. 前回は、デカルトの第一の神の存在証明の論理を紹介しました。これは、考える私の心の中に神の観念があることを根拠として、神が心の外に実在することを論証する、という形式をとっています。論証のかなめは、考える私の心の中に神の観念が確かにあるが、その観念の表現している無限の実体を、考える私が丸ごと
2024年5月25日 10:37
5.近代(modern)と脱近代(postmodern)5.2 観念説(続き)はじめに1466. 前回はデカルトの神の存在証明が、真理をめぐる論争の公正な審判者を立てるはたらきをもっている、という話をしました(番外編2の35:1456)。今回は、神の存在を証明する論理の実質を紹介します。1467. 証明の前提になる条件は三つが明らかになっています。第一に、さしあたり、確実に存
2024年5月11日 11:35
5.近代(modern)と脱近代(postmodern)5.2 観念説(続き)はじめに1429. 前回までに、デカルトの神の存在証明について、基本的なことを三つ確認しました。第一に、神の存在証明に取りかかった段階(『省察』「省察三」)では、確実に存在するのは考える私と、その私の思考作用及び内容(観念)だけであること、すなわち、私と観念以外のいっさいのものは存在しないと見なさなければ
2024年4月27日 11:21
5.近代(modern)と脱近代(postmodern)5.2 観念説(続き)はじめに1391. 前回(番外編2の33)は、観念の表現的実在性というデカルトの独特の考え方について検討しました。デカルトは、「観念」という言葉を使うにあたって、「私の意識のうちにあるものは、いわば、ものの像(image)であって、これにのみ、本来、観念という名はあてはまる」(『省察』「省察三」p.257
2024年4月13日 10:25
5.近代(modern)と脱近代(postmodern)5.2 観念説(続き)はじめに1316. 前回(番外編2の32、2024年3月9日公開)は、デカルト『省察』の神の第一の存在証明の前半部分を紹介しました。考える私の心の内にある観念を分析し、それぞれの観念が何かを表しているという表現的な性質に着目して、表現的実在性(objective reality)という概念を導入する。これ
2024年3月9日 12:01
5.近代(modern)と脱近代(postmodern)5.2 観念説(続き)はじめに1271. 今回は、デカルトが『省察』の「省察三」で展開した神の第一の存在証明の前半にあたる論理を検討します。観念という哲学的装置の特性に依存した証明なので、観念とは何か、というあたりから考えて行きます。観念:意識内容の私秘性1272. 西洋近代の哲学文献にあらわれる「観念」(idea)
2024年2月25日 11:49
5.近代(modern)と脱近代(postmodern)5.2 観念説(続き)1244. 前回、本居宣長の「物のあわれを知ること」の認識論を検討して見いだしたことは、宣長は懐疑論の洗礼を受けていなかったようだ、ということでした。なお、懐疑論とは、さしあたり、自分は真理に到達できないのではないか、という疑いのことをいうものとします。懐疑論は、人間は真理に到達できないのではないか、という一
2024年2月11日 11:36
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)4.5 愛の思想と日本語人(続き)4.5.3 物のあわれの説と西洋における愛の思想の相違点(続き)はじめに1205. 前回、最後に次のように記しました。「物のあわれを知ることは、エロースと違って、世界の存立根拠の探求につながらす、アガペーと違って、行為者の自由意志を前提せず、ピリアーと違って、社会的関係において理性的思考を要請しない
2024年1月27日 10:38
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)4.5 愛の思想と日本語人4.5.2 本居宣長と西洋思想を対比するために1162. 今回と次回の2回にわたって、本居宣長の「物のあわれ」の説と西洋における愛の思想を対比して検討します。対比するといっても、宣長と西洋思想のあいだには、私の知るかぎり影響関係はないので、少し注意が必要になる。漱石は、西洋思想も学び、キリスト教も知り、恋愛は神聖
2023年12月23日 12:04
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)4.5 愛の思想と日本語人はじめに1113. 愛について、思いのほか長くこのブログで考えてきました。振り返ると、「番外編2の5」で夏目漱石の『こころ』を取り上げて以来、ずっと近代日本における愛について考えて来たことになります。こういうことになると予想してはいなかった。ブログ第2期は、「ものごとを実現して行く根底には力がある、その力とは何か
2023年12月10日 14:54
5. 近代(modern)と脱近代(postmodern)5.2 観念説(続き)前回への補足1072. 前回の記事の後半から、初期近代(early modern)の西洋哲学史を扱っています。愛(アガペー)の話から近代哲学史に話題が移ったのは、もっぱら私の連想によります。私の直観的連想によれば、「愛は再興されたが愛は人には不可能なものであることが判明する、というルターの陥った困難は、…
2023年11月25日 12:01
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)4.4 愛の思想について4.4.3. エロース、ピリアー、アガペー4.4.3.3. アガペー(愛)について個人と愛、近代と脱近代1036. 夏目漱石や本居宣長を取り上げて、近代日本における個人と愛の問題を考えているうちに(番外編2の8~16)、西洋の代表的な愛の思想の検討をすることになり(番外編2の17~24)、そこから思いがけず
2023年11月11日 11:51
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)4.4 愛の思想について4.4.3. エロース、ピリアー、アガペー4.4.3.3 アガペー(愛)について前回への補足1013. 前回は、神の愛(アガペー)が原罪を帳消しにする(イエスの死が人類の罪を贖う)とはどういうことなのかについて、あえて我流の説明を与えました。今回は、まず前回の議論への補足を行ないます。そして、その後、次の論点
2023年10月28日 14:25
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)4.4 愛の思想について4.4.3. エロース、ピリアー、アガペー4.4.3.3 アガペー(愛)について愛と自由について969 前回は、大略、以下のような話をしました。隣人愛は、人から人への善意のはたらきかけであり、愛(アガペー)は社会を形成する原理として機能する。しかし、そのアガペーとしての愛は、「現行の社会秩序を拒絶する自由が個
2023年10月14日 11:40
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)44.4 愛の思想について4.4.3. エロース、ピリアー、アガペー4.4.3.3 アガペー(愛)について方針の変更909 キリスト教的な愛(アガペー)の話を、番外編2の19(2023年8月12日公開)から4回にわたって続けてきました。でも、私の言いたいことになかなか行き着かない。前回(番外編2の22)の公開時に、ツイッター(X)で
2023年9月23日 12:06
4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)4.4 愛の思想について4.4.3. エロース、ピリアー、アガペー4.4.3.3 アガペー(愛)についてアガペーの四つの特徴882 前回はキリスト教的な愛としてのアガペーの四つの特徴を、ニーグレンの『アガペーとエロース』*から抜き出して示しました。アガペーは、第一に、自発的であり(spontaneous)、外からの動機づけによらない