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西洋近代と日本語人 第2期[番外編2の35]


5.近代(modern)と脱近代(postmodern)

5.2 観念説(続き)

はじめに

1429.  前回までに、デカルトの神の存在証明について、基本的なことを三つ確認しました。第一に、神の存在証明に取りかかった段階(『省察』「省察三」)では、確実に存在するのは考える私と、その私の思考作用及び内容(観念)だけであること、すなわち、私と観念以外のいっさいのものは存在しないと見なさなければならないこと(番外編2の32:1284)。第二に、観念は何かを表現しており、表現するものに応じた実在性(表現的実在性)を、観念自身が含んでいること(番外編2の32:1305、同2の33:1328, 1344~1350)。第三に、一般に原因は結果よりも大きな実在性を備えていること(番外編2の34:1403, 1423~1427)。

1430.  この三つの基本的な条件の下で、デカルトは、「神の観念は表現的実在性が極めて大きいので、神の観念の原因となるような神そのものが、私の心の外に現実に存在しなければならない」(番外編2の33:1351)という結論を導こうとするわけです。今回は、この論証の概要を紹介するつもりでしたが、それは次回にして、その前に、少し考えたいことがあります。

1431.  デカルトは、学問的な水準で、真剣に、身の回りの事物の存在すら確実ではないと考えている。そんななかで、とにかく神の存在は確実であると、まずもって論証しようとする。これは奇異というか、不思議というか、すべての知識が疑わしいというときに、そっちへ行くかな、という素朴な疑問が浮かびます。自分の見出した自然哲学(数学的物理学)の中身をただちに述べればよかったのではないか。

1432.  この疑問は、今回、この草稿を書きながらはじめて意識したのですが、おそらく昔から潜在的に心の底にあったものです。西洋哲学史を勉強し始めたごく若いころ、神の存在にかかわる煩瑣な議論を読むたびに、退屈だな、と思っていた。この人は昔の人だし、クリスチャンなんだし、神の話をせずにすますわけにはいかなかったのは分かる――本人の内的な必然性は分かる――が、ここで神を論ずることは哲学一般においてほんとうに必要なのか? という疑問です。議論が神に流れていくことに実は納得がいかない。自分には関係ないことのように感じる。こんな風に感じているのに、煩瑣な議論につきあうのは苦痛でした。結局、神学談義は字を目で追うだけになっていたと思います。

1433.  今回、なんでここで神の存在証明に行くのかという疑問に、本人の内的な必然性からの理解とは異なる理解の仕方があることに気づきました。懐疑論を深刻に受けとめ、知識の全体系を基礎から作り直そうとする途上で、議論が神へと向かい、論理的な原理(形而上学)の考察を経由することは、〝絶対〟のある文明の思考のあり方を示している。そういうことなんじゃないかと気づいた。今回はこのことを考えます。

絶対のある文明、ない文明

1434.  形而上学より先に自然哲学を述べてもよかったという点については、広く知られた事情があります。デカルトは、みずからの自然哲学を体系的に述べた『世界論』(Le Monde)という著作を、『方法序説』(1637年刊行)や『省察』(1641年刊行)に先立って、1633年に出版しようとします。しかし、ガリレイがローマの宗教裁判で地動説のゆえに有罪とされたことを知り、結局出版を断念します。この著作が出版されたのは、デカルト没後の1664年でした*。宗教的・政治的な危険を回避するために、神を求める形而上学を自然哲学より先に公表したという側面が、あるいはあるのかもしれません。

注*: 野田又夫「デカルトの生涯と思想」pp.40-43、野田又夫(編)『世界の名著 デカルト』中央公論社1967所収。

1435.  しかし、神の存在証明が、たんに伝統的な権威にひれ伏すための身振りだったというのは間違いです。すでに述べたように(番外編2の33:1333)、神は、デカルトの哲学体系において、知識の基礎づけのためにぜひとも必要だった。神は万物を創造し、数学的真理の形式で宇宙に物理法則を与え、人間には生得観念として数学の諸観念を植え付けた。それゆえ、人間が明晰判明に認識する数学の諸命題は、神の創造したこの宇宙の物理法則を正確に表している。新たな自然哲学をこういう論法で基礎づけようとするならば、神の存在を証明することはどうしても必要です。

1436.  とはいうものの、こういう本人の哲学的思索に由来する内的な必然性は、デカルトが神の存在証明へと向かったことを完全に説明するわけではない。私は、そう考えるわけです。すべての知識が疑わしいときに神へと向かうことについて、それを選ぶ文明というものがあるのだ、という外からの説明が可能だと思います。言い換えれば、懐疑を克服するために神に訴えることは、〝絶対のある文明〟の固有の流儀なのだ、ということです。

1437.  これに対し、日本社会は、〝絶対のない文明〟を体現している。懐疑から私の存在を見いだし、その次に神の存在証明に向かう、という議論の進み方が奇異にも不思議にも見えるのは、絶対のない文明から絶対のある文明を見やったときの違和感なのです。このあたりを考えます。

絶対のない文明

1438.  神ないし絶対については、本ブログで、これまでもときおり触れてきました。「絶対absolute」とは、辞書的に言えば、「相対relative」の対義語であり、「他と関係せず、それだけで完全で、なんの条件もない」ことを言います(番外編2の14:552, 554)。「絶対」的な存在とは、人間の認識から独立に、そこに在るものです。だから、「神 God」は絶対者ですし、また哲学でいうところの「物自体 thing-in-itself」や「実体 substance」も「絶対」の例となります(同2の15:591)。要は、人間の認識の外に、それ自体で存在しているものをいう。

1439.  「絶対」という日本語は、明治期に「absolute」の訳語として使われ始めました(番外編2の14:550)。それまで日本語には「absolute」に相当する語がなかった。日本語人は「absolute」について考えたことはほとんどなかったはずです。

1440.  その証拠に、たとえば現代日本語で「絶対的な存在」というと、日常会話では、しばしば〝誰も逆らえないような強い力をもった存在〟といった意味になる。たしかに、「人間の認識から独立に、そこに在るもの」は、私たち人間の思惑とは無関係に、それ自体の原理に従って作用するので、〝逆らえない〟し、またその意味で〝強力〟ですが、こういう特徴は人間にとってどう感じられるかということ、つまり人間に相対的な性質です。絶対的な存在の本質ではない。日本語人は、依然として「絶対」を特殊な相対としてとらえていると思われます。

1441.  日本語の作りあげた文明は、絶対を知らない文明、絶対のない文明であるらしい。ただし、「絶対」は人間の言語使用と切っても切れない関係にあります。人間の認識の外にそれ自体で存在しているものをまったく想定しないとしたら、自分と他人が同じ世界に生き、同じ対象について語っている、というコミュニケーション*の前提が根拠を失ってしまう。それゆえ、当然、日本語も「絶対」を前提しています。これは語「キン(金)」を例として説明しました(番外編2の14:572~575)。

注*: 余談に近いけれど、大事かもしれない注記。「コミュニケーション」というカタカナ語は、私の印象では、うまく日本語に置き換えられない。英語の“communication”は、元をたどればラテン語の“commūnicō(コムーニコー)”「共有する、分け合う」という動詞から派生した名詞です。元に「共有する、分け合う」という意味がある。でも、“communication”を、「伝達」という標準的な訳語に置き換えると、共有するという意味要素は薄れて、一方的な通告に近くなってしまう。日本語によるコミュニケーション(意思疎通)は、人みなが「同じ世界に生き、同じ対象について語っている」という対等の関係性を〝顕在化させないように〟作用していると思われます。

1442.  絶対はコミュニケーションの支えですから、絶対の〝ない〟文明というものはありえない。なので、日本語は絶対を〝あえて考えない〟文明を作りあげた、と言う方が正確でしょう。でも、簡潔を旨として、これを「絶対のない文明」と言ってもよいことにします。

絶対を〝あえて考えない〟ということ

1443.  番外編2の14と2の15で、本居宣長と絶対の関係を取り上げて、「宣長は、絶対へ到る道を歩んでいない。絶対は、宣長の「物のあわれ」の説に現れようがなく、二つは相容れない」(番外編2の14:545)という解釈を提示しました。そして、それを裏づけるために、以下のような議論をしました。

1444.  宣長は、物の心を知ることと物のあわれを知ることを区別しない方向をとった(番外編2の15)。「物の心を知る」とは事物の本質を知ることであり、「物のあわれを知る」とは事物の本質を知って感動することです。宣長は、事物の本質認識と、事物への感動体験が区別できることを理解していました。だが、この二つを〝あえて区別しない〟方向をとります。宣長が関心をもっていた審美的な領域では、対象の本質は、自分の感動のなかにありありと姿を現す。それが物のあわれを知ることであり、とりもなおさず、物の心を知ることだった。この場合、本質認識と感動体験は等値(equivalence)の関係になる。二つは事実上同じ一つのことなのです。(番外編2の15:609)

1445.  自分の感動を離れて、対象の本質を問うことを行なわない。そうすれば、「自分が美しいと〝感じる〟ことと、対象がそれ自体において美しく〝ある〟ことを分ける必要はなくなる」(番外編2の30:1217)。別の言い方をすれば、これは、対象が何であるかを知るということを、つねに自分と対象との相対的なかかわりのなかに留め置く姿勢です。自分の感動を原理的に超えている絶対的な存在を〝あえて考えない〟ことによって、自分の美的体験の中に対象の本質が現れていることが保証される。自分があわれを感じる対象は、そのまま〝あわれなるもの〟となる。ただし、この〝保証〟は、体験の当事者の確信に過ぎません。他人にとっては意味をなさないものです。

1446.  これを逆からいうと、本質認識と感動体験を等値と見なす宣長的認識論は、意見を異にする他人の体験に意味を見いだすことができないということです。他人の体験の方が対象をむしろ正確にとらえているのかもしれない、という可能性を認めることができないのです。要するに、自分は間違っているかもしれないという懐疑的な内省をもつことができない。宣長はたびたび論争に打って出ましたが、自分が間違っているかもしれないと思った様子はありません。本質認識と感動体験を等値と見なす認識論は、懐疑論と両立しないのです(番外編2の30:1240, 1241)。

「疑う」とは何をどうすることか

1447.  では、「疑う」とは何をどうすることなのか。簡単にいえば、誰の言うことであれ、そのまま真実を告げているとは受け取らないことです。他人ひとの言うことをいちいち疑ってかかるのは好ましい振る舞いではない。日常生活では、あまり推奨されない態度です。しかし、学術的討論や法廷弁論では、誰かの主張が事物の真相をとらえていると、あらかじめ決め込まないことが必要になる。

1448.  「主張」は、「言明」とか「陳述」といってもよくて、単純化すれば「aはFである」という平叙文で表現される思考内容のことです。だから、疑うとは、ある思考内容が真実であるとあたまから決め込まないことを意味する。自分であれ、特定の誰かであれ、あるいは世間の人々一般であれ、ある人や人々の思考内容が、客観的な世界と正確に一致しているわけではないと考えること。これが疑うという態度の実質です。

1449.  デカルトは、日常の感覚経験を疑い、自然学、天文学、医学その他を疑い、さらに狡猾な欺き手を仮定して幾何学や代数学までも疑いました。しかし、考える私の存在は疑うことができないのを見いだします。

「きわめて狡猾な欺き手がいて、策をこらし、いつも私を欺いている。…(中略)…欺くならば、力の限り欺くがよい。しかし、私がみずからを何ものかであると考えている間は、決して彼は私を何ものでもないようにすることはできないであろう。」(『省察』「省察二」p.245*)

これは、考える私を見いだす場面です。この後すぐ、「私はある、私は存在する」という命題は必然的に真である、と記される。有名な「私は考える、ゆえに私はある」という表現は、『方法序説』に出てきます。この「私はある」という主張は、読者が自分で考えてみても確かにそうだと首肯される内容です。だから、素直な読者は、デカルトが「私はある」に引き続いて主張することも真理に違いないと思ってしまうかもしれない。それはしかし、なかなかそういうものでもないのです。デカルト自身、反論の余地がありうることを認めています。

注*: 野田又夫(編)『世界の名著 デカルト』中央公論社1967所収の『省察』のページ付け。以下同じ。

真理の語りと懐疑の許容

1450.  デカルトは、自分が見出した真理を自分は語っているという姿勢を崩さない。前回記したように(番外編2の34:1409, 1410)、読む側としてはちょっと怪しいなと思うようなことでも、「自然の光によって明らか」と断言します。『省察』の「まえおき」で、「私をして真理の確実で明証的な認識に到達せしめたと思われる考えを展開し、自分が説得されたと同じ理由をもって他人を説得することもできるかどうか、確かめたい」(『省察』「読者へのまえおき」p.233)と述べています。自分は「真理の確実で明証的な認識」を語るのだという姿勢は一貫している。

1451.  ところが、デカルトは、自分は真理の認識を語るが、そうはいっても、「だれかが異議を申し立てるかもしれない点を何もかも予見しうるなどと思いこむほど、自分を過信しているのでもない」(省察』「読者へのまえおき」p.233)とも言います。まわりくどい言い方ですが、反論の余地はあるかもしれん、ということです。だから、自分は「才知と学識とにひいでた若干の人々の反論にこたえることにする」(同上)と述べる。この言葉どおり、『省察』は、刊行前に本文の草稿を当時の著名な学者たちに送付して、彼らの反論とデカルトの答弁を本文に付した形で刊行されました。第一版では六つの反論と答弁、第二版ではさらに一つ追加されて七つの反論と答弁が付されている。反論と答弁は、『省察』本文の倍くらいある長大なものです。

1452.  デカルトは、真理を語っているという姿勢は崩さないが、しかし自分の主張には反論の余地があり得ないと決め込んではいなかった。一般向けにフランス語で書いた『方法序説』では、むしろさらに謙虚です。

「私は自分の著作を人々によく吟味してもらいたいのである。そしてその気になってもらう機会を多くするために、何か反対論をもたれるかたはどなたでも、それを私の書店に送ってくださるようお願いする」(『方法序説』「第六部」p.220*)

こんなことを述べている。そして、書店から通知をもらったら、自分は答弁を記すよう努めると言っている。このお願いは、「自分の誤りに気づけば率直にそれを承認し、またそれに気づきえなければ、私の書いたことの弁護のために必要だと考えるところを簡単に述べ〔る〕」(同上)機会を得るためでした。そして、そうすることで本の内容が真理であるかどうか読者が判断しやすいようにするためだ、というのです。(ただし、書店経由の反論と答弁が実施されたかどうか私は知りません。それについて耳にしたことがないので、たぶん実施されなかったんじゃないかと思います。なお、前回紹介した『ビュルマンとの対話』は、晩年のデカルトと若い学生の質疑応答の記録です(番外編2の34:1422)。その対話する精神は、このお願いと一種通ずるものがあるかもしれません。)

注*: 野田又夫(編)『世界の名著 デカルト』中央公論社1967所収の『方法序説』のページ付け。以下同じ。

1453.  デカルトは、一貫してみずからが明晰判明にとらえた真理を語るという姿勢を崩しません。だが、同時に、自分の議論が反論の余地のないものだとも考えていなかった。自分が誤りうることを認めており、その意味で、自分の主張への懐疑を受け入れている。そして、批判を受け、答弁する機会をもつことが、自他にとって有用だと考えている。自分が真理に到達しているという主張に十分な根拠があると考えてはいるけれども、だからといって、自分は真理を得たと決めてかかるわけには行かず、批判に対して開かれていなければならない。デカルトはそう考えている。

懐疑の許容から神の招請へ

1454.  真理を獲得しているわけでも、決定的に拒まれているわけでもないというこの中間的な状況は、神を要請します。というのも、デカルトだけでなく、すべての人間は、有限な知性の持ち主としてこの中間的な状況にいる。人はみな、一定程度の知性の持ち主として、自分は真理をとらえたと思うことがあってよい。しかし、有限な知性は、自分が誤りうる(知力が有限である)ことを認めねばならず、批判に対して開かれていなければならない。こうして批判と答弁が行なわれるとき、その批判と答弁は、公正な審判者を要請する。それが神です。もうちょっと詳しく言うと、以下のようになります。

1455.  私は真理を知りうる。あなたも真理を知りうる。しかし、私とあなたの知り得たことは、一致しないことがある。なぜなら、私もあなたも有限な知性にすぎず、片方または双方が誤っている可能性があるから。したがって、私とあなたが相互に相手の主張を吟味し、批判し、答弁することが望ましい。

1456.  その際、どちらが真理により近いのかを判定するのは、私またはあなたではなく、第三者である。というのも、私もあなたも誤りうる存在にすぎないから。この第三者による審判は、人間の認識の外にそれ自体で存在しているもの、すなわち、絶対的存在を基準として行なわれる。というのも、人間の認識を真とするものは、認識の外にそれ自体で存在しているものとの一致であると考えられるから*。だとすると、絶対的存在それ自体が、第三者として審判を行なうのが最も理に適っている。この絶対的存在は、「神」と呼ばれる。というわけで、真理をめぐる論争の公正な審判者として、神を招請するのが最も理に適っていることになります。人間が置かれた中間的な状況は、こうして必然的に神の存在を要請するのです。

注*: ここで、真理の対応説(the correspondence theory of truth)という真理概念を導入しています。真理の対応説は、真理とは認識内容と実在の対応(一致)であるとする考え方で、「有るものを有るといい、無いものを無いという」のが真ということであり、「有るものを無いといい、無いものを有るという」のが偽ということだ、というアリストテレスの真理概念(アリストテレス『形而上学』1011b25~30)に由来します(番外編2の32:1290)。この説は常識的で、強力ではあるけれども、異論はありうる(が、立ち入りません)。デカルトは、明晰判明な認知という真理基準を提示していますが(番外編2の32:1290注参照)、上の1435で述べたことが正しければ、根本においては、対応説的な真理観を取っているといってよいでしょう。善なる神が物理法則と人間の数学の諸観念の一致を保証していることが真理の実質であり、その一致の認知上の手がかりが、考える私の明晰判明な認知である、という順序になるからです。

絶対のある文明の流儀

1457.  冒頭で、懐疑を通じてせっかく考える私を見いだしたのに、なんでそこから神の存在証明に行ってしまうのか、という疑問を示しました。そんな回り道をせずに、考える私の見出した真理をまっすぐ展開すればよかったではないか、と。しかし、この疑問は、「絶対のない文明から絶対のある文明を見やったときの違和感」(1437)であり、「懐疑を克服するために神に訴えることは、〝絶対のある文明〟の固有の流儀」(1436)である。このことを、ここまで論じてきました。かなめの論点は何なのか、それを短くまとめておきたい。

1458.  ここまでの議論は、個々の部分は十分明快だと思いますが、全体としてどういうことなのか、少しのみ込みにくい。私自身、そう感じます。そのひとつの要因は、「私は考える、ゆえに私はある」という発見によってデカルトが懐疑論を克服した、という哲学史の常識です。この常識はもちろん正しいのですが、懐疑論は克服されたはずなのに、その後の段階で、再び自分が真理に到達していると決めてかかるわけには行かない、という仕方で懐疑論が浮かび上がってくる。これは一体どういうことなのか。

1459.  考える私の発見によって克服されたのは、人間はおよそ何ひとつ確実に知ることはできない、という全面的な懐疑論です。デカルトはこれに以下のように応じました。「私はある」という認識は、絶対確実である。それならば、ここに少なくともひとつ、確実な知がある。よって、全面的な懐疑論は否定される。

1460.  こうして全面的な懐疑論は否定できますが、だからといって、個々の問題で人間が決して誤らないということにはならない。誤りに陥る可能性はつねにあるわけです。人間は、真理にまったく到達できないわけではないが、かならず真理に到達できるわけでもない。こういう中間的段階に位置している。

1461.  この中間的段階にあって、真理に到達しようとするとき、どうするか。デカルトは、自分が真理だと明証的に認識したところを述べ、異論をもつ他人から反論してもらい、自分の主張が正しいのか他人の反論が正しいのか、自他の認識の外に位置する絶対的な存在に照らして決定する、というやり方をごく自然に採用しています。絶対的な存在の究極は神 God ですから、神の存在証明を行なうことは、中間的存在としての人間が、それぞれの努力を通じて真理に到達する際の公正な審判者を確立する、という意味をもつことになります。デカルトが神の存在証明で行なっていることはこういう意味をもっているのだ、そしてこれが、絶対のある文明の流儀なのだ。これが今回私が言いたかったことです。

1462.  これに対し、たとえば本居宣長はどういうやり方をとったのか。宣長的認識論は、自分の体験の中で、対象がその本質を顕わにする瞬間をとらえる、ということにすべてが懸かっています。物に深く感動するときに、物の心が知られるのであって、それは各人が対象に徹底的に相対あいたいすることによってのみ獲得できる。日本の哲学でよく語られる物心一如とか主客合一とは、こういう決定的体験を言うのでしょう。こういう認識の図式には、自分の体験を原理的に超えた絶対的な存在は導入できないように思われます。これは、絶対のない文明の流儀なのです。

1463.  絶対のない文明の視点から、絶対のある文明の流儀を見やると、絶対的な存在を呼び出す手続きが、余計な手間のように見えます。戯画化すれば、次のような感想があっても不思議ではありません。

〝対象が本質を顕わにする瞬間をとらえ、それを深く感じ、そこで感じたことを(可能なら)表出することが必要なすべてだ。自分と他人の体験のいずれが真であるかを、自他から独立に存在する基準に照らして判別しようとするのは、いわば社会的な手続きに過ぎず、個人的な真実を取り逃がすことでしかない……〟

1464.  神学的な議論が空理空論に見えてしまうのは、未知の真・善・美にむかう個人の投企は神を要請する、という絶対のある文明の論理が、絶対のない文明で育った人々にはピンと来ないからです。弱年の私は、自分の育った絶対のない文明に浸った状態で、勉強の対象である絶対のある文明を見やっていたので、西洋哲学史の神学の議論にひどく退屈してしまったわけです。

1465 次回は、5月27 25日(土)に公開する予定。これ以上先延ばしにしないで、デカルトの神の存在証明の論理を分析するつもりです。


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